九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「よたよたランナーの手記」(90) 時速11キロに   文科系

2014年12月23日 11時40分35秒 | 文芸作品
 22日は、アキレス腱痛が起こる前の4月以来初めて時速11キロを、10分以上走れた。この心拍数が思ったより低くって、156~7。長いアキレス腱痛から9月中旬に9キロ時に回復してきて、その心拍数が155。そこから今、11キロ時の心拍が155ほどまでにと、じっくりと構えて戻って来られたわけだ。前日21日に1時間9.6キロを走った上のことだから、僕にとって非常に嬉しいニュースになる。こんなふうに。

 21日に最近の1時間走最高距離を走って、22日に最高速度までを10分間以上もアップできた。それでいて、本日23日、筋肉系の張りも、疲労もどこにも残っていない。これぐらいの運動強度なら毎日やっても良いよというサインが出たということ。これが、嬉しい。まだまだ伸びるというそういうサインとも読めるのである

 この1時間9.6キロが最高速度を時速10キロまでに抑えて走ったものだから、1時間10キロ目標まであと400メートルは、11キロ時で15分も走れるなら軽く延ばせる距離になる。つまり、自分で予測していたよりも心肺機能も、身体も強くなっているということだろう。夢みたいに気がする。
因みに今年の3月15日に1時間9.85キロを走った時も11キロ時が最高速度だったが、これを抜く準備は十分過ぎるほどになった。するともう、07年の時点に心肺機能も筋肉強度なども全てが戻ったという、そんな嬉しいサインなのである。もっとも、無理をすると心房細動が出て止まり歩かねばならずこわごわと走っていた時期よりも、今のが良くって当たり前かも知れない。でもあの時は、時速12キロも出せのだが、今はどうなのだろう。なんかいろんな希望が湧いてくるのだ。
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「よたよたランナーの手記」(89) 9.6キロまで来た  文科系

2014年12月22日 06時46分47秒 | 文芸作品
 18日は、その合計距離は4.4キロ×2回の8.8キロに過ぎないが、時速10.5キロで10分ほど走った。その心拍数が155以下に下がってきたのがこの日の朗報である。10キロ時では146、7以下に、10.5キロ時でも155以下になった。こうして、11キロ時が155に下がる事態も見えてきたわけで、こんな今は、どんなスピードまで走れるのだろうかと楽しみになっている。今の僕の場合、心拍数155までなら常用速度と言えるから、大切なことなのだ。心拍160で走り続けるのもほとんど苦しくはないのだけれど、5分程度を越えるのは止めておこうと決めている。

 長いアキレス腱痛から9月中旬に9キロ時に戻って、その心拍数が155。10月末には同じ9キロ時の心拍数が145まで下がった。そこで11月初めには10キロ時を走り始めて、その心拍が155~160。それが今に至って10.5キロ時で155以下と、そんな経過をたどったわけだ。本当に、どのスピードまで戻り、走れるのだろうかと、好奇心をかき立てられている。
 5年前の慢性心房細動カテーテル手術以降走るのをいったん断念させられたこの身だから、こんな今は本当に幸せだと感じる。僕の場合、1時間ほど走り続けられることを血流という若さの象徴と捉えてきたから、そんな感じが強いのかも知れぬ。我が身体に関わって断念させられたこういう大切なものを、再び追求できる。それも73歳のこの身体が8年ほど前の走りにどれだけ戻れるかという、復旧を図りつつある。ちなみに2007年1月の北名古屋マラソン10キロ54分18秒は、時速11キロに毛が生えた程度だ。

 そしてさて、21日には、30分2回が4.7キロと4.9キロで、合計9.6キロになった。この日は最高時速を10キロまでに抑えてのことだが、1時間10キロ達成まであと400メートルになった。ここからは、11キロ時近くで走る練習をする積もりでいる。10.5キロ時を18日に10分ほどやったのだから、11キロ時ももう無理してという感じではなくなっている。ただし、膝などの補強運動を十分にやらないといけないだろう。ここまでの積み上げ、楽しみを水疱としてしまわないように。
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琉球新報より    らくせき

2014年12月21日 10時30分27秒 | Weblog
琉球民族独立総合研究学会は20日、沖縄国際大学で総会を開き、琉球人への差別問題や自己決定権確立などを国連に直接訴える活動を来年度から始めることを決めた。琉球人は先住民だとして国連に直接訴える活動を展開してきた「琉球弧の先住民会」とも連携し、直訴行動を強める考え。総会の後「国連活用」をキーワードに開かれたオープン・シンポジウムでは、「琉球弧の先住民会」メンバーが登壇し「とにかく訴えを継続し、沖縄の抑圧されている状況を国際社会に理解してもらうことが肝要だ」と強調した。
 シンポジウムは「世界的事象から考え、実践する琉球独立」をテーマに、先住民会のメンバー、当真嗣清、宮里護佐丸、親川裕子の各氏が登壇。国連で先住民として米軍基地問題などを訴えた糸数慶子参院議員や上原快佐那覇市議も国連での成果や課題を報告した。
 親川氏は「国連に行く目的の一つは国際人権法と照らして日本がいかに人権後進国かを国際社会に知ってもらうことだ」と紹介。宮里氏は「琉球が独立するためには国連の活用は必須だ。琉球の自己決定権を主張する人々の安全を守るためにも、とにかく国連に行き訴えを続けることが大切だ」と活動の継続を訴えた。
 当真氏は「琉球民族は誇りを捨てさせられた民族だ。誇りを取り戻し、国際社会に仲間を広げることが必要だ」と主張した。
 宮里氏が「社大党は独立を掲げる政党になってほしい」と要望すると、社大党委員長を務める糸数氏は「その要望を党に持ち帰り、協議する」と答えた。
 シンポジウムに先立ち、糸数氏は基調報告で「辺野古新基地建設反対という沖縄の民意を選挙で勝って示しても政府は一顧だにしない。1854年の琉米修好条約などをめぐり琉球の大先輩たちは米国や諸外国と渡り合った。今こそ、私たちにも交渉力が問われている」と話した。
 シンポジウム2日目の21日午後1時からは、沖縄国際大学で「スコットランド独立投票」をキーワードに、9月18日に実施されたスコットランドの独立投票を現地で調査した琉球民族独立総合研究学会の共同代表らが登壇する。


               

沖縄にある3つの潮流の一つが形をとって現われましたね。

コメント (7)
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イラク戦争死者数(再掲)  文科系

2014年12月20日 13時24分00秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 これも、カカシさんへの応答である。初出は13年10月31日の当ブログ・エントリーである。天下のナショナルジオグラフィック誌からの転載紹介である。世界36ヶ国語に訳され、180か国850万人が読み、日本でも首都圏が中心に84,000人ほどが購読している「高級誌」だそうだ。よって、いくらヘイトスピーチ様式で罵倒しても、蟷螂の斧。びくともしない雑誌ね。
 

【 イラク戦争の死者数
  文科系  2013年10月31日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)

 僕が書いた「通貨危機国の数」と、「イラク戦争の死者数」とに、唯足さんから(苦)笑いを伴った反論があった。いずれもに「僕が正しい」という反論を書いたが、イラク戦争死者数を調べていて、最新のこんな資料があったのでそれを反論とした。以下に、コメントをそのまま転載する。
 僕でさえこの数には驚く。アメリカではちゃんと公表され、正しく反省が始まるのだろうか。日本では、嘘の理由で始まったこの戦争に荷担した反省は、政府からも官僚からも何も聞かされてはいない。これで「集団的自衛権」とは、笑わせる。「恥の上塗り」というものだ。50万もの死者を出したのだぞ!

【 これも取りあえず (文科系)2013-10-31 08:26:21
 唯足さんへ
 これも取りあえず、最初に目についた資料を上げておきます。数十万人どころか、「50万人」ですよ。これを否定できないなら、やはり謝罪していただきましょうか。(笑)がお好きなら、ただ苦笑いで済ませるのではなく。
 21世紀アメリカの、いや世界の最大の罪ですから、大事なことです。しかも、これ嘘の理由で始められたのだ。国連の反対を押し切って有志国でね。この犠牲があったからシリア戦争が避けられたのは朗報ですが、イラク戦争に荷担した日本は、その後何か謝罪しましたかね? 全くない。9条の国としては、大変なことですよ! このアメリカとのことですから「何が集団的自衛権か!」と言いたいです。

『 ナショナルジオグラフィック
  2013年10月17日 15:47 (ナショナルジオグラフィック) イラク戦争の犠牲者は推定50万人

 2003~2011年のイラク戦争によって、イラクでは約50万人の命が直接的、間接的に奪われたことが、同国の1960世帯を対象とした画期的調査によって明らかとなった。公衆衛生専門家が行った同調査によると、戦争による暴力行為は2006年と2007年がピークだったという。

 2003年3月19日、アメリカ主導の連合軍がイラクに侵攻して地上戦を開始、首都バグダッドを速やかに制圧し、サッダーム・フセイン政権は崩壊した。戦闘終結後、連合軍がイラクを占領していた2011年までの間、度重なる爆破やアルカイダの関与する反乱、民兵の戦闘などにより、人口3260万人の国では多くの血が流された。

 シアトルにあるワシントン大学の公衆衛生専門家エイミー・ハゴピアン(Amy Hagopian)氏率いる国際チームは、イラク全土の世帯で家族やきょうだいに関する調査を実施した。イラク保健省の関係者も参加したこの調査は、イラク戦争に関連して、過去の調査より新しく正確な推定死者数を導きだすことを目的に行われた。

「死者は約50万人と推定している。これはおそらく控えめな数字だ」とハゴピアン氏は述べる。「戦争という決断がどれほどの人的被害をもたらすのか、我々は知る必要がある」。

 調査に対する回答から、2003~2011年のイラク戦争が原因で亡くなった人の数は約40万5000人に上ると推定される。さらに、イラクを離れることを余儀なくされた家庭からも最低5万6000人の死者が出ているとみられ、これも犠牲者数に加える必要がある。調査によると、2003~2011年に犠牲となった男性、女性、子どもの60%以上は、銃撃や爆破、空爆といった直接的な攻撃によって命を落としたという。それ以外の人々は、ストレスによる心臓発作、衛生設備や病院の破壊といった間接的な原因によって亡くなっている。

「戦争は銃に限らず、あらゆる形で人の命を奪う。そして、その犠牲は侵略される側だけでなく、侵略する側にも生じる」とハゴピアン氏は述べる。イラクの侵攻と占領に伴い、アメリカ、イギリスなどからなる連合軍にも推定4804人の死者が出ている。

 これまでに発表された戦争によるイラク人の犠牲者数は、調査によって大きく異なる。告発サイト「ウィキリークス」に公開されたアメリカ軍の記録では10万人余りとなっているのに対し、ロンドンの調査会社オピニオン・リサーチ・ビジネスが手がけ、大きな批判を浴びた調査では、2007年までに120万人が亡くなったとされる。

 今回の調査では、「イラク人のスタッフを使って家庭を戸別訪問し、質問に回答してもらった」とハゴピアン氏は述べる。回答率は98%に上ったという。調査では世帯主に対して2001年以降に家族に出た死者の数を、また、その世帯の各回答者には、自身のきょうだいに出た死者の数を質問した。

「これは非常に重要かつ信頼性の高い調査だ」と、ニューヨークにあるコロンビア大学の疫学者レスリー・ロバーツ(Leslie Roberts)氏は述べる。ロバーツ氏自身、コンゴやジンバブエ、そしてイラクで戦時中の死者数の調査を指揮した経験をもつ。「実際に起きたことを正確に記録するのは非常に重要なことだ」とロバーツ氏は述べ、2005年に当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領が行った、戦闘によるイラク市民の犠牲者数はわずか3万人ほどだという発言を引き合いに出した。

 戸別調査に基づく推定死者数は、おそらく控えめな数字だという点については、ロバーツ氏もハゴピアン氏と同意見だ。この数字は家族の不完全な記憶に基づいたものであり、また、難民キャンプや国外で生活していたイラク人110万人はほとんど計算に入っていないためだ。

 調査の結果、戦闘行為の犠牲になって亡くなった人は、特にバグダッドに集中していることが明らかになった。そのうち35%が連合軍の攻撃によるもの、次いで32%が民兵によるものだ。また調査によると、戦闘が特に激しかったのは2007年で、翌2008年には数字が大幅に下落している。

 悲しいことに攻撃は今なお続いていると、世界保健機関(WHO)の公衆衛生教育研修協力センター責任者サルマン・ラワフ(Salman Rawaf)氏は、今回の研究の付随論評の中で述べている。フランス通信社(AFP)の推定によると、2013年には爆破や銃撃によって5000人ほどのイラク人が命を落としているという。宗派の対立による攻撃が再び増加していることで、「現在のイラクでは、もはやこれまでに出た死者の数ではなく、今後どれだけの死者を防ぐかが問題となっている」とラワフ氏は述べている。

 今回の研究は、10月15日付で「PLOS Medicine」誌に発表された。』】
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慰安婦、当時の当局文書(再掲)  文科系

2014年12月20日 13時02分32秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 カカシ君がまた、実に品のない文章を書いてきた。人が人相手にではなく、悪魔相手にして書いたような口調と感ずるのは僕だけではないだろう。もっともヘイトスピーチというのは文字通り憎しみの文章だから、これだけの憎しみは悪魔相手でもない限りは書けないというようなことなのだろう。慰安婦問題で、当時の当局の正式文書を再掲しておく。9月22日のエントリーをそのままに。

 旧植民地の人々相手にこういう口調で物を語るのは、相手に喧嘩を売る以上に酷いことだと考える。明治維新直後から40年かけてあの国の人々を多く殺した末にやっと植民地にしたという歴史的事実を、開き直って肯定しているのだと思わざるを得ない。ヘイトスピーチはもう止めるように、政府も態度転換したはずだが・・・・。それにしても品のない・・・よく恥ずかしくないことである。

【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介
  文科系 2014年09月22日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署 』

『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 (1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。

まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』


 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】
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朝鮮日報より    らくせき

2014年12月19日 10時18分00秒 | Weblog
日本国憲法9条のノーベル平和賞受賞に向けた日本市民団体の取り組みが、韓国にも広がった。「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の韓国委員会は18日、ソウル市内で記者会見を開き、「日本国憲法9条のノーベル平和賞推薦に向けた署名運動に入る」と発表した。

 この運動は神奈川県内の主婦が昨年呼びかけたもので、インターネット上で約40万人の署名を集めたとされる。

 韓国からは李洪九(イ・ホング)元首相や李容勲(イ・ヨンフン)元大法院長(最高裁判所長官に相当)、詩人や学者など50人が署名した。韓国委員会の座長を務める李洪九氏は、「戦争と分断で苦しみを味わった韓国の市民が、普遍的な平和を願う心で賛同するもので、政治の現実とは別」と説明した。 

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随筆 ある交流    文科系

2014年12月19日 07時11分21秒 | 文芸作品
 夜の病室にもの音は希だが、川音が間断なく聞こえてくる。二県にまたがる大川が窓の向こうにあるのだ。そして、僕の右手はベッドに横たわった母の右手を握っているのだけれど、そこでは母の指がとんとんと動いている。
 死に近き母に添い寝のしんしんと遠田のかわず天に聞こゆる
 誰の作だったか、高校の授業で覚えたこの歌を、このごろよく思い出す。

 左脳内出血が招いた三途の川から戻ってきて、五年近い。「感覚性全失語症」の他はなんとか自立できたと皆で喜んだのも、今振り返ると束の間のこと。一年ちょっと前、思いもしなかった後遺症、喉の神経障害から食物が摂れず、人工栄養に切り替えるしかなくなった。食べさせようとして何度も嚥下性肺炎を起こした末のことである。人工栄養になってからも、唾液が入り込んで肺炎を招くことも度々で、すでに「寝た切り」が四か月。お得意の「晴れ晴れとした微笑」も、ほとんど見られなくなった。九十二歳、もう起き上がるのは難しそうだ。言葉も文字もなくなったので記憶力はひどいが、いわゆる痴呆ではない。痴呆でないのは訪問する僕らには幸いだが、本人にはどうなのだろうか。
 一日置き以上でせっせと通って、ベッドサイドに座り、このごろはいつも右手を握り続ける。これは、東京から来る妹の仕草を取り入れたものだが、「頑張って欲しいよ」というボディランゲージのつもりだ。本を読んでいる今現在、母の指の応答は、こんな意味だろう。「いつもありがとね。今日ももうちょっと居てね」。柔らかい顔をしている。

 僕は中編に近い小説九つを年一冊ずつ同人誌に書いてきた。うち四つは母が主人公だ。発病前から、母を、老いというものを、見つめ、描いてきた。寝室もベッドの上も、時には四肢さえもさらけ出して。普通ならマナー違反と言われようが、親が子に教える最後のことを受け取ってきたつもりだ。そして、僕がこう描くのは母の本望であると信じてきた。現に脳内出血までの母は、僕らの同人誌の最も熱心な読者でもあったし。僕の作品だけでなく、同人全ての作品を舐めるように読んでいた。日常の会話の端々に同人の名前などがふっと出て来たりしたから、気付いたことだ。

 看護婦さんが入ってきて、こんなことを告げる。
「不思議なんですが、手や指だけをいつも動かしておられるんですよ。ベッドの柵を右手で握っておられる時もなんです。右側に麻痺がある方でしょう?」
 僕や妹の指の感触でも思い出し、温めているのかも知れない。〈母にもまだできることがあった。僕らが通い続ける限り、生きようとしてくれるのだろうか〉
 こんな時いつも、母がNHKなどに投書していた俳句二作をよく思い出したものだ。
 思い出の 子連れ教師や 秋深し
 子等は皆 我が命なり 冬ぬくし

                        (同人誌ー二〇〇三年一月発行ーより、改作)
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こんな突拍子もない経済学者も 文科系

2014年12月18日 05時47分16秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
昨日書いたコメントを、補足修正を加えてエントリーに格上げします。こんな突拍子もない経済学者もいるという事で。

 経済学って元々は、せいぜい2~3年単位の目先のやりくりではなかったと理解している。国民のできるだけ多数を幸せにするための学問、経世済民という言葉を昔の日本人が翻訳語に当てたことでも分かるように、そういう非常に長期的な学問のはずだ。ごく少数先進国の国際金融が一国の通貨や主要株価を自由に操るようになったグローバル競争経済の今では、世界の人々のためにという観点になるのだろう。自国の利益だけというのはもう基本的には戦争という厳しい世界、あってはいけない道のように思う。その逆はこういうことだと。

 以下のように、こんな突拍子もないことをその著作で堂々と語っている経済学者もいますよ。(世界的に)1日4時間労働ほどと半減したらよいのだと。それが出来るわけはこんなことのようだ。

①産業革命後イギリスの労働時間は10数時間などというもので、女子どもを低賃金で使って、男があぶれていたほど。それが間もなく一応、児童や女性の労働は保護され、男でも8時間労働制になった。どうしてそんな法律が作れたのだろう。正規が10時間以上も働いて、職にあぶれる人も多い現代社会はよーく考える必要があるはずだ。
②当時のイギリスなどと比べてさえ今の日米など先進国などの生産力は数十倍なんてもんじゃない。なんで南欧、アフリカなど若者の大量失業とか、臨時パートとか、労働者はこんなに貧しいのだ。
③1980年代頃から金融が物作りの世界を叩くだけだからこうなった。労賃を値切る。それで原価を安くする。すると株価が上がる。労賃の安い後進国を見て、先進国労賃を下げていくことも起こった。こうして、社会の物価が安くなるからもっともっと先進国では労賃を値切る。そんな悪循環競争が世界的に起こったからだ。ちなみに、失業が多いとは、労賃を最も値切っている社会だということになる。人の職を保障するなんて出来て当たり前の、豊かな、また民主主義を標榜する国々、世界、社会になっているはずだからである。
④これと逆のことが世界的な労働時間半減ということではないかと。1%の株主本位のやり方ではなく、99%本位のやり方ということだろうと。ただこの方向は今は、少なくとも先進世界で一致しないと出来ないが、いずれにしてもグローバル経済には国連レベルで決まりというか、世界法のようなものを作っていくしかないのだろう。国連レベルに求められている金融規制と同じように。将来違反した会社や国は貿易から閉め出すとかでもして。
⑤つまり、日本国内論議だけ論じていても何も基本的なこういう解決はない堂々巡りではないだろうか。出口なしのはず。こういう流れを長時間かかっても作ることこそ、今の(世界的)経世済民ではないかと、そんなことを考えている経済学者もいるようです。

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安倍さんの野望は?     らくせき

2014年12月16日 09時51分37秒 | Weblog
ずばり、太平洋戦争。
中国、韓国と戦い、アメリカと戦う。
その神経戦はすでに始まっている。

今は国内の邪魔者を抹殺する段階・・・

というのが私の選挙の感想です。

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新聞の片隅に載ったニュースから(180)    大西五郎

2014年12月16日 09時40分29秒 | Weblog
得票率48%で議席76% 小選挙区自民、得票数は微減(14.12.15 日経新聞夕刊)

自民党は今回の衆院選で、295ある小選挙区のうち76%にあたる223議席を確保した。得票率は48%。得票率に比べて議席獲得率が高くなる小選挙区制の特性を生かした形だ。一方で総得票数は2012年の前回選に比べて僅かながら減少。有権者全体に占める得票割合は25%となり、投票率が過去最低に落ち込んだ影響を映し出している。
今回の小選挙区の有効投票総数は5293万票。自民党は2552万票を得たが、自民党が政権を奪還した前回衆院選より12万票減らした。前回は43%の得票で79%の議席を獲得しており、今回は得票率が5ポイント上昇した一方で、議席占有率では3ポイント低下した。自民党は政権を失った09年衆院選では2730万票を得たものの、議席占有率は2割にとどまった。今回の得票は09年より178万票減った形になる。
得票数の落ち込みは過去最低になった投票率が大きく影響している。民主党も小選挙区では前回獲得した27議席から38議席まで回復したが、得票数では1191万票と前回から168万票減らした。他の野党との競合を避け、小選挙区での候補を絞ったことが主な要因だ。
小選挙区で落選した候補に投じられて議席に反映されなかった「死票」は2540万票で、全体の48%に達した。
政党別に死票(註:その党の全候補が獲得した票のうち候補者の当選に結び付かなかった票の割合)を見ると、自民党が17%で、9人の小選挙区全員が当選した公明党はゼロだった。劣勢が伝えられながら、栃木2区や愛知5区などの接戦区で自民党に競り勝った民主党は70%。前回衆院選の83%からは改善した。
維新の党は79%で前身の日本維新の会が前回記録した82%に比べて3ポイント改善した。292選挙区に候補を立てた共産党は選挙区での死票は99%に達したが、候補者をそろえたことが比例代表での得票の上積みにつながった。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

“新聞の片隅”にではなく、かなりスペースをとった、大見出しの記事でしたが、今度の選挙の特徴をよく表しているので、紹介しました。
なお、中日新聞の夕刊も「自民が連続単独過半数 小選挙区 得票48%で議席75% 自民党は小選挙区に投票した人の二人に一人に満たない得票で、四分の三の議席を獲得した。比例代表では自民党の得票率は33%で、議席獲得率は38%と小選挙区ほどの得票率と議席獲得の間の開きはなかった」と小選挙区制の欠陥を指摘していました。
JNN夜のニュース23でも、得票率と議席獲得率の開きを取り上げていました。なお、ニュース23では、北海道で「支持政党なし」という名前の政党が誕生し、比例区で10万4千票余りを獲得したことも紹介していました。投票率の低さといい、今の政治に不満の人がかなりいるということですね。10万4千票というのは、北海道では次世代の党の獲得数の3倍近い数です。
                                                 大西 五郎
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「よたよたランナーの手記」(88) 1時間10キロが見えた・・・  文科系

2014年12月16日 08時55分59秒 | 文芸作品
 15日には8.6キロ走っただけだが、意外に大きい成果が生まれた。

 13日に1時間9.5キロと走った前後から、僕の狙いが10キロ時で走れる心肺機能と脚筋力強化へと移って行ったと、前回まで書いてきた。その結果として、15日にはこんなことが起こった。10キロ時でも15分ほど走ったのだが、その心拍が145~150に下がってきた上に、事後の筋肉系の張りも感じられないのである。こうなった心当たりは、ここ1か月ほどの積み上げ以外にはこれだけのことがあるだけだ。
 
 14日にはLSDトレーニングの最たるもの、時速7キロほどの戸外速歩きを1時間半やった。約10,500歩だった。LSDとは何度も言うように、ゆっくり長時間かけて長い距離を走る事が心肺機能を最も向上させうるというランニング理論である。ここ何回か書いてきたように、脚筋力補強のための20歩ほどの疾走をもごくたまに入れながらの速歩きだ。

 そして、15日のラン前半30分は、まずこう。7.5キロ時から走り始めて、5分おきに0.5キロ時ずつスピードを上げ、最後は10キロ時を5分ということ。次いで後半はじめ15分間は7キロ時のLSDで、それから9.5キロ時5分と10キロ時10分と、走った。10キロ時は前後半で15分走った事になるが、後半10分のその心拍数が初めて145~150範囲に収まってきたのだ。それで既にもう早くも、1時間10キロというゴールが見えてきたような気持になれた。
 10キロ時の心拍数がこんなに早く150を切ったのだから、時速11キロさえ今はどうやら夢ではなくなったようだ。そんなわけだから、もう1時間10キロは到達できたような気分になおさらなって来るのである。僕の場合心拍150までなら1時間以上はずーっと、160までなら最低10分は走れるのであって、そんなところから逆算してそう判断できるのだ。それぐらいに、この10キロ時で心拍数が150以下になったということが、大きな意味を持っているのである。

 なんかもう、いろんな要素が8年前の07年西春マラソン時点の自分に戻ったように思えて、ちょっと興奮しながらジムから帰ってきた。このマラソン以降は突発性心房細動が怖くって10キロ時さえも思い切って出せなくなっていたのだが、今は心拍数と疲労度以外には何も気にせずに走れるのである。
 この2年習い覚えたやり方をこれからさらに奥の奥までと深く極めていけば、どこまでこの体がきちんと付いてきてくれて、どれだけハイな気分になれることか。その行く先がラン再開2年の今まだまだ見極められていないと分かったことでもあって、文字通り楽しみ極まりないのである。


 大事な大事な選挙の結果が出た。強大さを維持した政権党に、議案提案権を得た共産党というだけの結果と言える。後者が1990年代の最高時に近づいたのは朗報だが、国政の力関係はマスコミ予測通りで何も変わっていない。若者、高齢者の職はますます狭められていくだろう。今の不景気は、長くかかって作られた世界的需要不足によるものなのだから、基本悪循環は深まっても、改善の見通しなどなにもないはずだ。あちこち株が高くなっても、実体経済を反映しないマネーゲームに小金持ちを吸い寄せる厚化粧のようなもんだろう。それどころか、武器輸出三原則放棄など何でもありの経済振興策から起こる「経済の軍事化」がとても怖い。こんな方向の行き着く先は、米国のように敵を作り出してでも戦争をする国という方向しか見えてこない。国家の借金はそのままに、消費税で貧乏人から奪い取った金が軍事に費やされる方向なのだと思う。そのためにこそ、国民運動ぐるみで北、中国と「敵」を以前から創り出してきたとでもいうような。
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中央日報より    らくせき  

2014年12月15日 10時20分27秒 | Weblog
安倍さんはいよいよ改憲へ。とした後、次のように。

安倍政権はまず第1段階として、日本最大の右翼団体である「日本会議」などと水面下で協調して「改憲国民運動」を全国的に拡散するという方針だ。いくら国会で改憲発議をしても国民投票で否決(投票数の過半数が必要)されれば改憲は永遠に水の泡となり、政権もまた、その時点で事実上幕を下ろさなければならないからだ。安倍首相は1年半ほどかけて国民世論を改憲賛成側に有利に作った後、第2段階に突入する方針だ。2016年夏の参議院選挙での圧勝だ。選挙で「改憲」を党の公約として全面に掲げて3分の2の議席を占めるという戦略だ。最後の第3段階は、参議院選挙後に適切な時期を狙って国民投票にまかせるということだ。一部では「安倍首相が改憲のための作業を全て終わらせて、実際の改憲は、爆発的な大衆的人気を持つ小泉進次郎(小泉元首相の息子)に手渡して国民投票の可決の可能性を高めることまで考えている」という分析もある。

いよいよ9条を守れるかどうか?の本番の数年ですね。



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「よたよたランナーの手記」(87) 9.5キロ  文科系

2014年12月14日 15時34分28秒 | 文芸作品
 13日に9.5キロまで行った。30分2回が、4.7キロと4.8キロで。ただ、前半で少し無理をし過ぎたようだ。ウォームアップランを含んで4.7キロって、今の僕には、やり過ぎ。この4.7キロを出すために、後半を9.8キロ時で15分も走らねばならなかった。前半4.6で、後半を4.9のが、同じ9.5キロでも随分楽だったかと思う。左脚のふくらはぎ外側にちょっと疲労がたまっていると、前半でもう感じられたから。やはり年寄りはウォームアップ時間を長く取らないと、すぐに筋肉疲労が出てくると再認識した。これが高じると年寄りの場合すぐに軽い肉離れとかになるわけだから、軽率だったと深く反省したところだ。次に100メートル伸ばす時には、前半4.6キロ、後半5.0キロでも良いと思いながら、帰ってきた。とすると後半の後半は10キロ時以上に上げねばならない。これは以下のように、なかなか大変なことだ。

 この「やり過ぎ」の、まさに怪我の功名として分かったことが、これ。これ以上の距離を稼ぐべくスピードを出すためには、膝とふくらはぎを、補強運動によって強め、最好調にしておかないといけないと。やはり、07年以来の1時間10キロって、今の僕の筋力から見ても一つの壁なのだろう。

 これで12月1日の8.8キロから、13日9.5キロへと12日間で700メートル伸ばした事になる。そして、ここからが僕としての峠に差し掛かったと実感している。なんせ、この3月には9.85キロまでは行ったのだから。この周辺が僕の身体能力として一つの峠ということなのだ。時速10キロの心拍数が155以内にずーっと収まり続けるようになってから、1時間10キロ挑戦を始めようかな? これが無難な方法なのだが、果たして我慢が出来るのか。

これをお読みの皆さんは、もう選挙はお済みですよね。南無三、ファシズムが止められるか!
   
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「よたよたランナーの手記」(86) 僕のランナー経歴  文科系

2014年12月13日 10時28分02秒 | 文芸作品
 編集局のアクセス数推移などの資料によると、最近、この手記を読んで下さる方がやや増えたように思われる。現役ランナーの方が増えているととても嬉しいのだが。
 さて、僕は、手術執刀医がランナーには多いと言った不整脈を抱えても数年間走り続け、結果慢性心房細動手術に至っても、その後しばらくして又しぶとく走り続けてきた者である。同病者が読んでいてくれないかなと思いつつのことだった。そういう人用に、今回は僕のランナー歴、闘病歴を書いてみる。

 ランを始めたのは00年4月、59歳直前だった。その時、テニス、ロードレーサーなどいろんなスポーツをしていたが、ランは高校時代の年一度学校マラソン以来のことだ。年を取って行くにつれて有酸素運動中心に切り替えようと考えていたから、ランを選んだのである。

 以降07年まで年1度以上はいろんな自治体主催の10キロマラソンに出ている。最高記録は01年3月の49分22秒。その後少しずつ記録が落ちて来るが、それには01年から走る時だけに現れた不整脈が関係している。初めは期外収縮だけだったが、走行中急に速度を上げたりすると突発的な心房細動になる。そんな時すぐに走るのを止めて歩き始めると、1分しないうちに正常に戻っていく。だから、医者にも相談しつつ心拍計を装着しながら、以降もずっと走り続けていた。正式な10キロマラソン1度のうちに3度も心房細動が起こってその都度走り止め、収まるとまた走り始めることもあった。それでも、途中棄権をした事は一度もない。走り止めると1分で元に戻り、また走れたからである。

 でも、この不整脈はだんだん激しくなっていって、最後の正式10キロマラソンが07年1月の西春(北名古屋)マラソンで54分18秒だった。この時も心房細動発作で3度ほど歩いているから、記録は01年の時とそんなに変わらないはずだ。

 さて、以降もジムでは走っていたが、不整脈の改善は見られず、10年には結局心臓カテーテル手術を受ける事になった。慢性心房細動と診断された症状への上手く行けば「完治手術」というわけである。その年2回の手術に、プラス1回の全身麻酔AEDで完治することになった。が、心拍が不安定でもあり、医者の指示もあって走るのをいったんは断念した。

 でも、やはり未練があって散歩とか階段上りとか、体力は一定キープしていて、とうとうまた12年9月から半信半疑でゆっくりとだが、走り始めたのである。すぐに医者とも相談しながらのことだったが、医者は何とか走行許可を出してくれた。
 こうして、今に至っている。07年1月の西春マラソン以降は、1時間に10キロなどというスピードで走った事は一度もないと、今回記録を見直して初めて認識した。

 以上の経過があるから、今1時間10キロに近づいている事がこの上なく幸せな気分なのである。


 明日の選挙がマスコミ予想通りならは、日本の転換点になることは確実だ。安倍が敢えてそのために、この時期を選んで国民に挑んできた選挙なのだから。「この道しかない」のではなく、1%の人々が作った世界的・必然的経済格差(慢性的需要不足)を前提とするなら「この道しかない」と、そういう意味なのだと愚考する。さらに激しく格差が世界的に進み、昔から言われている「不況時の経済軍事化」等も進んで、今米国がやっているように戦争が頻繁に起こるようになるのではないかと、恐れている。日本がその片棒をかつぐという事なのだから、気分が滅入る事甚だしい。
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新聞の片隅に載ったニュースから(179)    大西五郎

2014年12月12日 09時36分16秒 | Weblog
「○○ミクス増殖」 記者手帳 (14.12.11 日経新聞)

「教育立国こそがイシンノミクス」。維新の党の橋下徹共同代表は10日、和歌山県海南市の街頭演説でこんな政策アピールをした。安倍晋三首相(自民党総裁)の経済政策「アベノミクス」に語呂合わせで対抗しているのは明白だが、このところ「○○ミクス」が増殖している。
同じ維新の江田憲司共同代表は大胆な金融緩和を先に唱えたのは自分だとして、「アベノミクスではなく本当はエダノミクスだ」と訴える。民主党の枝野幸男幹事長も経済成長にこだわらない社会づくりを進める政策を「エダノミクス」と称す。
次世代の党はアベノミクスの金融政策を軌道修正した「次世代ミクス」、新党改革は生活支援を補強した「家庭ノミクス」を提案。共産党の山下芳生書記局長は「株も土地も持たない私らができるのは大阪の阿倍野でミックス焼きを食べることぐらい」と知人の言葉を紹介し、政策批判を展開する。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

政党の責任者たちは自分たちの政策に「○○ミクス」とつければ、国民受けすると思っているようですね。でも国民の方はアベノミクスに対してシビアーな見方をしているようですよ。
「アベノミクス」は今では誰でもが知っている言葉になりましたし、この言葉が生まれた由来も多くの人が知っておられると思いますが、念のため申し添えますと、アメリカのレーガン大統領が自由主義経済政策を進めましたが、レーガンの名前にエコノミクス(economics=経済学)をくっつけて「レーガノミクス」と言ったのを真似したものだと云われています。しかしレーガノミクスは、軍事費の増大で財政赤字を増やし、金融政策の失敗で金利の上昇、ドル高による貿易赤字という“双子の赤字”をもたらしました。

アベノミクスでは、
1. 大胆な金融政策
2. 機動的な財政政策
3. 民間投資を喚起する成長戦略
の3本の矢で日本経済を長い間続いたデフレから脱却させるというものですが、アベノミクスによって円安と株高は進みましたが、格差が進んだという批判も出ています。毎日新聞が今月9日と10日に行なった世論調査では「アベノミクスによって景気が良くなったと思いますか」という質問に「よくなったと思う」は21%しかなく、「良くなったとは思はない」が70%でした。

安倍首相は「アベノミクスによって賃金は上昇したし、雇用も100万人増えた。この道しかない」と言っていますが、マスコミからは「今年の春には賃上げが行なわれたが、物価の上昇がそれを上回り、実質賃金は15ヵ月連続で前の月を下回っている。雇用でも増えたのは非正規の労働者で正規社員は減っている」と指摘されています。
「○○ミクス」がおまじないになるなどと思わないほうがいいようです。
                                               大西 五郎
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