Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

ソクラテスの弁明

2015-03-31 08:29:04 | 読書
プラトン, 久保 勉 訳「ソクラテスの弁明・クリトン 」岩波文庫 (1927/7)

高校に入学したら,社会科社会の中に「倫理」という科目?があって,一週間に一回この「ソクラテスの弁明」を読まされた.高1というより中4のガキにはさっぱりわからなかった.岩波文庫の存在を認識したのもこのときが初めてだった.

例えばガリレイの地動説が弾劾されるのはわかりやすいが,ソクラテスはなぜ弾劾されたのか,理解できなかった.「メレトス君」との問答も揚げ足取りのように思えた.しかし「無知の知」という考え方にかぶれ,大学でえらい教授のお説を「何も知らないくせに偉そうに...」と,いちいち批判することになったようだ.

世間に出て,無知の知は放っておけ,専門外の人にはもっともらしくしゃべらせておくのが無難というのがニッポンの常識と知った.この傾向は理系より工系で著しい.原子力村のような唯我独尊の排他的集団が生まれたのはこのためであろう.原発事故はソクラテスの教えに背いた結果だろうか ?

ソクラテスの,裁判では堂々と所信を述べるが死刑判決には従うという態度は,今も理解できるとは言い難い.「司法取引」をソクラテスが聞いたら何と言うだろうか.
当時のソクラテスの年齢を超えてしまったせいか,今ではソクラテスが「死」について語るくだりが興味深い.

倫理教育は,半世紀前の「逆コース」の流れの中で,道徳教育のイメージで位置づられたのかもしれないが,先生はそんなことにはお構いなく,大人のものの考え方を覗かせて下さったのだと思う.この時間を担当されたクリトンこと中村義之先生が,1959(昭和34)年7月刊の教育雑誌『道徳と教育』に掲載された論文をウェブで発見した.
高校でのこの時間は嫌ではなかった.中村先生の魅力もあったと思う.

高校自体が受験校というイメージだったが,ちゃんとした教育を心がけて下さった先生が多かった.十代後半に受験勉強とは別な方面で知的に背伸びすることは必要だ.
武藤徹先生のことは前に書いたが,春田俊郎先生の生物の授業も学問として体系的なものであった...と思う.かの林望氏の「帰らぬ日遠い昔」にも春田先生が登場するらしいが,未読である.あの生物のノートを保存しておくという知恵がなかったのが残念だ.
コメント (2)
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