津野海太郎「最後の読書」に,「現代語訳を軽く見るなかれ」の1章がある.ここで言う「現代語訳」は古文で書かれた日本の古典の現代語訳のこと.
河出書房新社版「日本文学全集」の呼びかけ人,池澤夏樹によれば,いまは専門家による新しい研究や注釈がいくらでも見つかるのだから,それをたよりに「書く人間」としての作家がそれぞれにきたえてきたことばの力で,古典を読みこなすことから始めれば (現代語は) なんとでもなる,のだそうだ.ことばの力は持ち合わせないが,なるほどそれなら自分にも現代語訳がなんとかなりそう.
津野が挙げているのは,伊藤比呂美「新訳 説経節 - 小栗判官・しんとく丸・山椒大夫」平凡社 (2015) で,退屈な散文の原典を詩人ならではの「行かえ」のワザで突破していると称賛している.
以下津野本からは離れる.
初めて手にした古典の現代語訳は,橋本治による桃尻語訳・枕草子 (河出書房新社 1987) であった.「春って曙よ! だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって…」の出だしでベストセラーになった.海外出張であちらの大学に勤めていた研究者にお土産に持って行って喜ばれた.「桃尻」なんて,今だったらセクハラとされそう.
戦前は今のように古文の敷居がたかくはなかったと思う.思いつくところでは,与謝野晶子の源氏物語.その1度目の現代語訳 (明治大正語訳) が出版されたのは 1911-1933年であったという.高校の古文の授業で源氏が出てきたときに,その後の改訳の文庫版の一冊だけを買ったのだが,ほとんど読まなかった.
改めて読んでみるなら,田辺聖子訳あたりがおもしろそう.
河出書房新社版「日本文学全集」の呼びかけ人,池澤夏樹によれば,いまは専門家による新しい研究や注釈がいくらでも見つかるのだから,それをたよりに「書く人間」としての作家がそれぞれにきたえてきたことばの力で,古典を読みこなすことから始めれば (現代語は) なんとでもなる,のだそうだ.ことばの力は持ち合わせないが,なるほどそれなら自分にも現代語訳がなんとかなりそう.
津野が挙げているのは,伊藤比呂美「新訳 説経節 - 小栗判官・しんとく丸・山椒大夫」平凡社 (2015) で,退屈な散文の原典を詩人ならではの「行かえ」のワザで突破していると称賛している.
以下津野本からは離れる.
初めて手にした古典の現代語訳は,橋本治による桃尻語訳・枕草子 (河出書房新社 1987) であった.「春って曙よ! だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって…」の出だしでベストセラーになった.海外出張であちらの大学に勤めていた研究者にお土産に持って行って喜ばれた.「桃尻」なんて,今だったらセクハラとされそう.
戦前は今のように古文の敷居がたかくはなかったと思う.思いつくところでは,与謝野晶子の源氏物語.その1度目の現代語訳 (明治大正語訳) が出版されたのは 1911-1933年であったという.高校の古文の授業で源氏が出てきたときに,その後の改訳の文庫版の一冊だけを買ったのだが,ほとんど読まなかった.
改めて読んでみるなら,田辺聖子訳あたりがおもしろそう.