Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」

2022-02-05 10:10:05 | 読書
青空文庫.

  客観の珈琲主観の新酒かな 牛頓

新酒出荷が報じられた.牛頓は寺田の俳号.
この「コーヒー...」は例によって,さして面白くもないのに読ませてしまう寺田調.コーヒーの焙煎や抽出の記述はなく,形而上的なことばかり.まさに哲学序説である.すこし抜粋


著者とコーヒーの出合い : 明治のインスタントコーヒー ?
(著者はおぼっちゃまで,その時代に) 牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品ではなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であった.医者は牛乳を飲みやすくするために,これに少量のコーヒーを配剤した.粉にしたコーヒーをさらし木綿もめんの小袋にほんのひとつまみちょっぴり入れたのを熱い牛乳の中に浸して,漢方の風邪薬かぜぐすりのように振り出し絞り出す.この生まれて始めて味わったコーヒーの香味は,すっかり少年の私 (=寺田寅彦) を心酔させてしまった.


各国のコーヒー事情 : ただしコーヒー産地は念頭にない.
次にコーヒーに巡り合ったのは 32 際でドイツに留学した時で,下宿のひどくいばったばあさんは,コーヒーだけはよいコーヒーをのませてくれた.

スカンディナヴィアの田舎には恐ろしくがんじょうで分厚で,たたきつけても割れそうもないコーヒー茶わんにしばしば出会った.そうして茶わんの縁の厚みでコーヒーの味覚に差違を感ずるという興味ある事実を体験した.

ロシア人の発音するコーフイが日本流によく似ている事を知った.昔のペテルブルグ一流のカフェーの菓子はなかなかにぜいたくでうまいものであった.こんな事からもこの国の社会層の深さが計られるような気がした.

自分の出会った限りのロンドンのコーヒーは多くはまずかった.英国人が常識的健全なのは紅茶ばかりのんでそうして原始的なるビフステキを食うせいだと論ずる人もあるが,実際プロイセンあたりのぴりぴりした神経は事によるとうまいコーヒーの産物かもしれない.

パリの朝食のコーヒーとあの棍棒を輪切りにしたパンは周知の美味である.

西洋から帰ってからは,日曜に銀座の風月へよくコーヒーを飲みに出かけた.当時ほかにコーヒーらしいコーヒーを飲ませてくれる家を知らなかったのである.


コーヒーにはムードが必要 / コーヒーの効用
宅の台所で骨を折ってせいぜいうまく出したコーヒーを,引き散らかした居間の書卓の上で味わうのではどうも何か物足りなくて,コーヒーを飲んだ気になりかねる.マーブルか乳色ガラスのテーブルの上に銀器が光っていて,一輪のカーネーションでもにおっていて,そうしてビュッフェにも銀とガラスが星空のようにきらめき,夏なら電扇が頭上にうなり,冬ならストーヴがほのかにほてっていなければ 正常のコーヒーの味は出ないものらしい.

マーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない.これによって自分の本然の仕事がいくぶんでも能率を上げることができれば,少なくも自身にとっては下手へたな芸術や半熟の哲学や生ぬるい宗教よりもプラグマティックなものである.


以下省略.青空文庫はタダで読めます !! ご参考まで...
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