路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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《社説①・01.03》:能登地震から1年 ふるさと再建の道、ともに

2025-01-03 09:30:50 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

《社説①・01.03》:能登地震から1年 ふるさと再建の道、ともに

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・01.03》:能登地震から1年 ふるさと再建の道、ともに 

 いつも通りの穏やかなお正月。それが決して当たり前ではないことを、私たちは知っている。

 おとといの元日、能登半島地震から1年の節目を迎えた。

 昨春取材した石川県能登町の健康福祉課課長補佐、千場(せんば)かおりさん(53)に年末、再び話を聴いた。

 ■増え続ける関連死

 「災害は高齢者に容赦がない」。地震が起きてからの1年を、千場さんはこう振り返った。

 能登半島北東部に位置する人口約1万4千人の能登町。隣接する珠洲市や輪島市と同様に、地震で甚大な被害を受けた。

 千場さんが避難所の体育館で目にした光景は、野戦病院さながらだった。厳しい寒さの中、薄い毛布しかなくストーブの数も足りない。体操マットの上に寝かされたけが人や、体調が急変した人のもとを医師が飛び回っていた。

 避難所運営に忙殺されるうちに脱水症状に陥った。食べることも飲むことも忘れていた。「もうちょっと高齢だったら、元気でいられたか分からない」

 地震による能登町の死者は、12月24日時点で51人。このうち49人が、避難中などに亡くなった「災害関連死」だ。

 関連死の死者は今も増え続けている。石川県全体では24日時点で255人に上り、このうち70代以上が9割超を占める。2割近くの人は、地震から3カ月が過ぎた後に亡くなっている。劣悪な環境のまま長引く避難所生活や車中泊、広域避難などのストレスが、高齢者の心身を直撃した。

 地震を生き延びた命を、なぜ守れなかったのか。阪神大震災以来、避難所の改善は幾度も叫ばれてきた。手をこまねいてきた政府の責任は重大だ。

 12月にようやく避難所運営の自治体向け指針を改定。国際基準を反映させ、トイレの数などの数値目標を掲げた。指針を示したところで実現しなくては意味がない。自治体に丸投げせず、政府が十二分に支援しなくてはならない。

 住まいの安定は、生活再建の起点となる。能登地震では、いまだに定まらない人が少なくない。

 ■最期まで暮らす地

 9月には奥能登が豪雨に襲われその被災者を含めて避難所生活を余儀なくされている人が300人近くいる。倒壊家屋などの公費解体は、11月末時点で3割余だ。官民を挙げてインフラの復旧と住まいの整備の支援を急ぎたい。

 高齢者や障害者が地域で安心して暮らすには、医療・保健・福祉のネットワークが欠かせない。その立て直しも大きな課題だ。

 能登町では地震後、要介護の認定を受ける高齢者が急増。中でも増えたのが要支援と要介護1~3だ。地震を境に、それまで元気だった人に介護が必要になった。

 一方、人手不足のところに地震が起きて、介護施設の職員や看護師はさらに減った。

 被災後も働き続ける介護職への手当や、専門職の負担を減らせるよう高齢者ら動ける住民が有償で手伝う仕組みなど、能登の市町から国や県にかけ合って必要なメニューを事業化してきた。

 「介護事業者が継続できないと、年を取ったら能登町にいられなくなる」と千場さん。「ここで生きていくと決めた人たちを、最期まで守りたい」

 地震によって、能登の過疎と高齢化は一気に加速した。程度の差はあれ、それは長野県をはじめ地方が共通に抱える課題でもある。厳しい状況下で介護サービスの維持に苦闘する被災地は、信州と地続きであり、その取り組みは多くの示唆を含んでいる。

 ■思いを届け続ける

 10月の終わりに、千場さんは金沢の室内管弦楽団が能登町で開いたミニコンサートに足を運んだ。最後の唱歌「故郷(ふるさと)」の合唱。涙があふれて歌えなくなった。

 それまで「私は大丈夫」と思っていた。自宅は壊れたが寝起きはできる。家族も無事。声をかけ合い助け合う人はむしろ増えた。

 地震から1年近くが過ぎて、胸の奥の思いに気づいた。「私はふるさとを傷つけられたんだ」

 能登地震の死者は500人を超えた。亡くなった一人一人に家族や友人、知人がいただろう。家財を失った人も数知れない。悲しみと喪失感を胸に、懸命に日々を生き抜く人たちがいる。信州から何ができるだろう。

 「無理のない範囲で、思いを届け続けることが大切ではないか」。長野県社会福祉協議会の橋本昌之さん(48)は言う。

 地震の後、県災害派遣福祉チーム(DWAT)として能登町に支援に入った縁が続いている。秋には県社協と町で、被災時の事業継続計画(BCP)のセミナーを開いた。個人のボランティアとしても足を運び、夏に家族旅行で能登町と珠洲市を回った。

 地震で深く傷ついた能登。復興への歩みはようやく緒についたところだ。そのはるかな道のりを、伴走しながらできることを探したい。冬を乗り越えて人と人の交流がより盛んになるように。

 元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月03日  09:30:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。


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