《土記・01.11》:宮内官僚森鷗外の意地=伊藤智永
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《土記・01.11》:宮内官僚森鷗外の意地=伊藤智永
<do-ki>
正月、東京・三鷹の寺に森鷗外の墓参をした。隣の神社で盛んに鈴が鳴る。墓地に人影はない。
今年没後103年。いまだ鷗外は謎めく。とりわけ死の3日前、口述筆記させた遺書だ。
「死は一切を打ち切る重大事件なり。奈何(いか)なる官憲威力と雖此(いえどもこれ)に反抗する事を得ずと信ず。余は石見人(いわみのひと)森林太郎として死せんと欲す。墓は森林太郎墓の外(ほか)一字もほる可(べか)らず。宮内省陸軍の栄典は絶対に取りやめを請ふ」(一部略)
軍医の位人臣を極め、退役後、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)、帝国美術院長に就任。功成り名を遂げた文豪は晩年、暇な名誉職の合間、誰も読まない歴史物の考証にうつつを抜かしていたらしい、という偏見は同時代からあった。
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元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【土記】 2025年01月11日 02:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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