愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

後世の史家は、戦略なき日本の今をどう描くであろうか!再稼動・ミサイル・消費税などに揺れる今!

2012-04-05 | 日記
地震に揺れる、しかも東日本大震災級の大地震が西日本に来るというのに、原発を動かすかどうか、民主党政権は、あらゆる知恵をめぐらせている。「日本全部が地元」だと言って、個人的には再稼動に反対しておきながら、屁理屈で覆し、ノウノウと大臣席にいる。田中防衛大臣も酷いが、彼以下だ。

その田中大臣が自民党の軍事オタクに追及されて、突っ走っている。今日のニュースは、まるで戦時体制だ。アセアンまでが北朝鮮に自制を求めたのに、また北朝鮮から宇宙航空研究開発機構に届いた招待状も拒絶した。アメリカのように独自の窓口を持ち交渉を積み上げる「窓」を自ら閉ざしてしまった。代わりに経済封鎖の続行を決めた。敵に塩を送って恩を売る。情けをかける日本的美徳は後景に追いやられた。鬼畜金王朝論がチャンスを逃してしまった。憲法にもとづく外交路線を放棄してしまった!国民も、だ。ニュースを見る限りだが・・・。

しかも、今迎撃態勢が取られている作戦が失敗したら、どういうことになるか、考えるとワクワクしてしまう。アホな作戦だからだ。いわゆる「主戦派」、そのようなことを考えることもなく、沖縄に迎撃ミサイルを装置すること、それを国民が黙った支持することをねらっているのだ。彼らも迎撃が成功するなど、微塵も想定していないだろう。北朝鮮の「ミサイル」が飛んでこないことを、心のなかでは「期待」しているのだ。

これは丁度戦前、ドイツが東進してソ連を攻めてくれることを期待していた政府や軍部に似ている。中国人民の反日運動のために中国戦線で行き詰まったしまったなかで、北進するか、南進するか、を決めかねていた、あの気分と同じだろう。自らの戦略を組み立てて、戦術・作戦を立てるのではなく、他人・他の要素に期待するという自主性の欠如精神だ。

もう一つある。武道の必修化である。今になって柔道を指導する教員が不足していることが大きな問題になっている。そのようなことは、この方針が作られる時に判っていたことだ。文科省は「手引き」を作って指導マニュアルを教員に会得させようと必死だ。武道は身体で覚えていかなければ、身につくことはない。受身程度で乱取りはしなくても良いそうだ。そのような「柔道」が、何故必修になったのか、不思議だ。日本の伝統文化を身につけさせることが何故柔道なのか、全く見通しのない方策だった。彼らなりの意図があったのだが、それは今問わない。学区選択制と同じように、いやこれまでの、いわゆる中教審路線という文科省の方策と同じように、早晩失敗が目に見えてくるだろう。

だが、この方策の最大の被害者は子どもだ。この中教審路線によって、現在の学校と子ども、教師、保護者がどのようになったか、それを見れば明瞭だ。

消費税についても同様だ。国会では橋本内閣の時の増税によって消費が冷えてしまったことを認めているにもかかわらず、或いは輸出産業がびた一文も消費税を支払っていないことを認めているにもかかわらず、さらには企業が海外にでていく理由が鮮明になっているにもかかわらず、ウソとデマを振りまいているのだ。

これまで述べてきたように、政治の失敗に対して、実は誰も責任を取っていないで平気な顔をしているのが、日本の体質だろう。責任者たちの中には大好きな「サムライ」らしく腹を切った人間は誰もいない。天皇にして然りだ。

そうした今日のニッポンを1993年の段階で予言していた企画があった。それはNHK取材班編「責任なき戦場 インパール」である。さらに大江志之夫「日本の参謀本部」中公新書1985年である。

最近、やはりNHKで放映され、単行本になった「日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦」新潮社がある。

字数があるので、「責任なき戦場 インパール」のみ掲載しておこう。

 失敗すべくして失敗した作戦
 戦後、彼は、さまざまな書物でインパール作戦失敗の責任を糾弾され、その世論に押されて、いろいろ感じるところがあったようである。自らの『回想録』にも、責任を痛感している、申し訳なかったという言葉が見られる。
 しかし、昭和三七年になって、イギリス軍の元中佐アーサー・ハーカー氏から届いた手紙が、牟田口の心境に変化をもたらした。
 バーカー氏は、自分の回想録を書くために、牟田口に日本軍の作戦時の動きを質問してきたのである。そして、その手紙の中に、日本軍にも勝つチャンスがあったのに、どうしてもうひと押しをしなかったのかという質問が書かれていた。牟田口はこれを読んで、狂喜した。
 「自分は間違っていなかった。私の言う通りにやっておれば勝てたのだ」
 牟田口は、バーカー氏との往復書簡を中心に、自分がいかに間違っていなかったかを文書にまとめ、関係各方面に配った。その中では、河辺方面軍司令官をも激しく非難している。
 インパール作戦に関わった陸軍の指導者たちは、ほとんどその責任を問われることはなかった。作戦決定当時の参謀総長杉山元元帥は、小磯内閣で陸軍大臣となった。南方軍総司令官の寺内寿一元帥は、終戦までその職に留まり、南方地区の全ての作戦を指揮した。
 太平洋戦争では、各地区の作戦の失敗について、大本営や軍の指揮官、参謀が責任をとらされることは、まずなかった。むしろ、現地へ赴いて苦労すれば、彼らを慰労しようという空気の方が強くなった。作戦失敗の犠牲は、全て前線の将兵たちに集中したのである。
 インパール作戦は、そうした日本陸軍の組織としての欠陥が、如実に現われた作戦だっ
た。失敗すべくして失敗した、典型的な作戦だった。
 そして、そのかつての日本車の組織としての根本的な欠陥は、五〇年後の今も、日本の
さまざまな組織の中に棲んでいる。政党や官僚、企業といった現代の組織の中で、インパ
ール作戦と同じような事態を招き、失敗を繰り返している。組織の中に生きる人々一人一
人が、思い当たるところがあるにちがいない。

 「日本的組織の体質」
 権力を持ち、その権力を使って多くの人々、すなわち国民を動かしていくのが政治である。その政治が、誤った方向にいった時、権力を待った人間よりも、権力によって動かされた人々に多くの犠牲者が出る。それは、いつの時代、どこの国でも歴史の不変の真理である。
 インパール作戦は、戦略が政略に負けた作戦だとよくいわれる。戦術的にいえばとうていできるはずのない作戦が、東条首相をはじめとする時の権力者の政略によって発案、認可され、実行されてしまった。
 こうした権力を持ったひと握りの者の声が、やがて組織、ひいては国家全体の意志としてまかり通ってしまうということは、あってはならないことのはずである。しかし、現在の日本では、似たようなことが日常茶飯事に、さまざまな組織で起きている。また行なわれている。
 外国からのさまざまな声、国際貢献の有り方など、現在の日本は、日本だけで生きてはいけない「世界の中の日本」としての難問を山ほど抱えている。そうした問題を解決していく上で、まずやらなくてはいけないのは、そのような「組織体質」の根本をつきとめ、改善することではないだろうか。
 あれから五〇年たった今の日本でも、「悲劇のインパール作戦」は起こり得ないとはいえない。

どうだっただろうか?まるでフクシマを予想したかのような「総括」だ。だが、実は「現在の日本では、似たようなことが日常茶飯事に、さまざまな組織で起きている。また行なわれている」という指摘が示しているように、政府や企業だけでないことが判る。政党も然りではないだろうか?

この「総括」を真に国民のものにするためには、国民自身が、ものを言い続けることだろう。民主主義とは「国民が主人公」ということだからだ。「主人公」とは、自分の考え・取り組み・所属する組織に対して責任を持つということだ。傍観者でないのだ。

このことは、インパール作戦の際に、途中で兵の命を無謀な作戦から守るために、軍規に反して自分の師団を撤退させた第31師団の佐藤幸徳師団長の知見・先見性・勇気・良心・正義に学ぶ必要があるということだ。

日の本の戦略もなきマツリゴトいつになるらむ峠越ゆるとき
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