「朝日」が読者の投書に慌てて、「まずは」形式論にたった「社説」を書いてしまった。
「消費増税そのものに反対する政党もあるとはいえ」とその理由を明らかにして、それに対する「朝日」の説明はしていないからだ。
「公平で持続可能な社会をつくるための制度」というが、消費税は本当に公平か、ウソだろう!
しかも消費税を上げたとしても「根本からの解決策にはほど遠い」とまで言ってしまったのだ。
「貧困層の支援」「富裕層から所得を移転する」などと言ってみたものの消費税の本質的な性質についてメスを入れることもなく、「持続可能な」「公平」な「社会」をつくるためには「決められない政治」から脱して、「消費増税そのものに反対する政党」の意見などは無視して「有権者の審判は消費増税を決めたあとに仰げばいい」などと、呆れたことを言ってしまった。
「まずは」消費税を上げる前に有権者の審判だろう。
消費税は、稀代の悪税なのだ。最大の問題は不公平!近代社会の納税の原則である応能負担と真逆の悪税なのだ。しかも支払わなくても構わない企業のあるし、なにより庶民の懐を寒くする。しかも国家の財源を減少させてしまうのだ。悪魔のサイクルの回転を早める悪税だ。
広告収入に頼る「朝日」は、「応能負担」を高く掲げることはしない!これがジャーナリズムとしては致命的な態度だ。読者に依拠できないのだ。だから「増税批判が連日、私たちのもとに届く」投書から学ぶこともせず、説教するのだ。
その点、「前衛」4月号に掲載された山家悠紀夫「消費税増税はしてはいけない」は参考になった。「朝日」の社説子も、これくらいは読んでほしいものだ。
さて、この「社説」がどのような影響を与えるか、楽しみだ。
懐を温めるためやるべきは何か語らず説教垂れる
追記
読者の皆様に置かれましては、稚拙なブログを訪問していただき大変感謝申し上げます。
ブログ開設から108日、101件の記事を書かせていただきました。そして昨日までに8678人の方々に訪問いただきました。閲覧数は15913回です。本当にありがとうございました。
全くの私事で申し訳ありませんが、1週間ほど、ブログの更新を中断することとなりました。「新しき時代の来るを信じ」たうえでの対応です。ご了承の程を!
愛国者の邪論
消費増税と政治―言い訳やめて、本質論を 「朝日」社説 2012年4月6日(金)付
http://www.asahi.com/paper/editorial20120406.html
「社説は厳しく政府の監視を」という投書が「声欄」に載った。
社説が消費増税を支持したのに対して、「国民に重い負担を強いながら、政府がやるべきことをやっていない」とのご指摘だ。こうした増税批判が連日、私たちのもとに届く。
きのう今年度予算が成立し、後半国会で消費増税を含む税と社会保障の一体改革の議論が本格化するのに向けて、私たちの見解を改めて示す。
■同時並行で進めよ
増税論議で、気になっている言葉がある。「まずはむだの削減だ」「まずはデフレ脱却だ」「まずは衆院の解散だ」の「まずは」である。
行革も経済の立て直しも、急ぐのは当然だ。いずれ解散・総選挙もやらねばならない。
だが「まずは」はくせ者だ。
「何をやるか」ではなく、「どんな順番でやるか」で争うばかりで、堂々巡りが続く。そして、その先へ進めない。不毛な政治の枕詞(まくらことば)のようだ。
民主党でよく聞く「まずは」は、むだ削減とデフレ脱却だ。
小沢一郎元代表らも、いずれ増税が必要なことは否定しない。だが、なぜいまなのか。その前にやることがあると、時期と順番に異を唱えている。
確かに、野田政権のむだ削減の努力は、まったく足りない。新幹線などの大型公共事業を次々に認める。議員歳費の削減すらまだできない。こんな姿勢で増税を求めるのは許し難い。
だが、一方では残念ながら、行革で削れる金額は桁が違う。今年度に新たに発行する国債は44兆円。たとえ民主党が公約した16兆8千億円のむだ削減ができても、借金財政のままだ。
デフレ脱却は一朝一夕には進まない。財政出動や金融緩和で、当面の景気刺激はできるかもしれない。だが、それでも経済の不調の主要因である少子化、高齢化は止まらない。根本からの解決策にはほど遠い。
■解散よりも仕事を
「まずは」と言っているうちに、借金はどんどん膨らむ。たとえ財政破綻(はたん)は避けられたとしても、元利払いは重くなり、子や孫の世代にのしかかる。
これは将来世代を巻き込んだ時間との戦いなのだ。
増税も、経済の立て直しも、むだの削減も、すべて同時並行で進めて、答えを出さねばならないと、私たちは考える。
自民党が求める「まずは」は衆院解散だ。民主党が増税するのは公約違反であり、増税をいう資格はないというわけだ。
鳩山元首相は「4年間、消費税の増税を考えることは決してない」と言っていたのだから、民主党の「食言」は明らかだ。野田首相が率直にわびることが増税論議の出発点になる。
その一方で、自民党自身が増税を公約してきた。それなのに成立を阻もうとするのは筋が通らない。
大阪維新の会を率いる橋下徹大阪市長は、消費税を地方に移し、自治体に増税の是非を委ねるよう主張する。自身は「5%上げるだけではもたないのは、みんなわかっているんじゃないか」との考えだ。
何のことはない。消費増税そのものに反対する政党もあるとはいえ、多くの政党や政治家が増税の必要性を認識している。
そのなかで総選挙を急いで、何を争うのか。民主、自民両党はともに増税を公言しており、どちらが勝ったら増税賛成の民意の表れか、反対の民意なのかを読み解くことすら難しい。
おまけに両党とも身内に増税反対派を抱える現状では、選挙戦で「実は反対」と言い募る候補者が続出するだけだろう。
選挙をしても、はっきり白黒つくわけではない。一方で、延々と混乱を続ける余裕もない。
いまや日本のリスクは、「決められない政治」なのだ。
違う点は争っても、一致する点は前向きに議論し、きちんと決める。そんな当たり前の政治の作法を確立しよう。
有権者の審判は消費増税を決めたあとに仰げばいい。民主党の公約違反の責任はそのときにとってもらおう。
■新たな再分配論こそ
私たちは、いま政治が取り組むべき大仕事は、高齢社会に対応して、所得などの再分配の制度を根幹から作り直すことだと考えている。消費増税は、いわばその入り口だ。
そんなところで、増税先送りの言い訳のような段取り論で、もめていてはいけない。
もっと本質的な制度設計を急ごう。
たとえば、貧困層の支援だ。増税に合わせた現金給付に加えて、富裕層から所得を移転する方策が要る。もうひとつは若者の支援だ。高齢者を支え続けるためにも、若い世代を増やし、所得も拡大させる策が必要だ。
公平で持続可能な社会をつくるための制度を、増税法案とともに論ずべきだ。そうした政治の営みを促すことで、冒頭の投書への注文にも応えていく。
「消費増税そのものに反対する政党もあるとはいえ」とその理由を明らかにして、それに対する「朝日」の説明はしていないからだ。
「公平で持続可能な社会をつくるための制度」というが、消費税は本当に公平か、ウソだろう!
しかも消費税を上げたとしても「根本からの解決策にはほど遠い」とまで言ってしまったのだ。
「貧困層の支援」「富裕層から所得を移転する」などと言ってみたものの消費税の本質的な性質についてメスを入れることもなく、「持続可能な」「公平」な「社会」をつくるためには「決められない政治」から脱して、「消費増税そのものに反対する政党」の意見などは無視して「有権者の審判は消費増税を決めたあとに仰げばいい」などと、呆れたことを言ってしまった。
「まずは」消費税を上げる前に有権者の審判だろう。
消費税は、稀代の悪税なのだ。最大の問題は不公平!近代社会の納税の原則である応能負担と真逆の悪税なのだ。しかも支払わなくても構わない企業のあるし、なにより庶民の懐を寒くする。しかも国家の財源を減少させてしまうのだ。悪魔のサイクルの回転を早める悪税だ。
広告収入に頼る「朝日」は、「応能負担」を高く掲げることはしない!これがジャーナリズムとしては致命的な態度だ。読者に依拠できないのだ。だから「増税批判が連日、私たちのもとに届く」投書から学ぶこともせず、説教するのだ。
その点、「前衛」4月号に掲載された山家悠紀夫「消費税増税はしてはいけない」は参考になった。「朝日」の社説子も、これくらいは読んでほしいものだ。
さて、この「社説」がどのような影響を与えるか、楽しみだ。
懐を温めるためやるべきは何か語らず説教垂れる
追記
読者の皆様に置かれましては、稚拙なブログを訪問していただき大変感謝申し上げます。
ブログ開設から108日、101件の記事を書かせていただきました。そして昨日までに8678人の方々に訪問いただきました。閲覧数は15913回です。本当にありがとうございました。
全くの私事で申し訳ありませんが、1週間ほど、ブログの更新を中断することとなりました。「新しき時代の来るを信じ」たうえでの対応です。ご了承の程を!
愛国者の邪論
消費増税と政治―言い訳やめて、本質論を 「朝日」社説 2012年4月6日(金)付
http://www.asahi.com/paper/editorial20120406.html
「社説は厳しく政府の監視を」という投書が「声欄」に載った。
社説が消費増税を支持したのに対して、「国民に重い負担を強いながら、政府がやるべきことをやっていない」とのご指摘だ。こうした増税批判が連日、私たちのもとに届く。
きのう今年度予算が成立し、後半国会で消費増税を含む税と社会保障の一体改革の議論が本格化するのに向けて、私たちの見解を改めて示す。
■同時並行で進めよ
増税論議で、気になっている言葉がある。「まずはむだの削減だ」「まずはデフレ脱却だ」「まずは衆院の解散だ」の「まずは」である。
行革も経済の立て直しも、急ぐのは当然だ。いずれ解散・総選挙もやらねばならない。
だが「まずは」はくせ者だ。
「何をやるか」ではなく、「どんな順番でやるか」で争うばかりで、堂々巡りが続く。そして、その先へ進めない。不毛な政治の枕詞(まくらことば)のようだ。
民主党でよく聞く「まずは」は、むだ削減とデフレ脱却だ。
小沢一郎元代表らも、いずれ増税が必要なことは否定しない。だが、なぜいまなのか。その前にやることがあると、時期と順番に異を唱えている。
確かに、野田政権のむだ削減の努力は、まったく足りない。新幹線などの大型公共事業を次々に認める。議員歳費の削減すらまだできない。こんな姿勢で増税を求めるのは許し難い。
だが、一方では残念ながら、行革で削れる金額は桁が違う。今年度に新たに発行する国債は44兆円。たとえ民主党が公約した16兆8千億円のむだ削減ができても、借金財政のままだ。
デフレ脱却は一朝一夕には進まない。財政出動や金融緩和で、当面の景気刺激はできるかもしれない。だが、それでも経済の不調の主要因である少子化、高齢化は止まらない。根本からの解決策にはほど遠い。
■解散よりも仕事を
「まずは」と言っているうちに、借金はどんどん膨らむ。たとえ財政破綻(はたん)は避けられたとしても、元利払いは重くなり、子や孫の世代にのしかかる。
これは将来世代を巻き込んだ時間との戦いなのだ。
増税も、経済の立て直しも、むだの削減も、すべて同時並行で進めて、答えを出さねばならないと、私たちは考える。
自民党が求める「まずは」は衆院解散だ。民主党が増税するのは公約違反であり、増税をいう資格はないというわけだ。
鳩山元首相は「4年間、消費税の増税を考えることは決してない」と言っていたのだから、民主党の「食言」は明らかだ。野田首相が率直にわびることが増税論議の出発点になる。
その一方で、自民党自身が増税を公約してきた。それなのに成立を阻もうとするのは筋が通らない。
大阪維新の会を率いる橋下徹大阪市長は、消費税を地方に移し、自治体に増税の是非を委ねるよう主張する。自身は「5%上げるだけではもたないのは、みんなわかっているんじゃないか」との考えだ。
何のことはない。消費増税そのものに反対する政党もあるとはいえ、多くの政党や政治家が増税の必要性を認識している。
そのなかで総選挙を急いで、何を争うのか。民主、自民両党はともに増税を公言しており、どちらが勝ったら増税賛成の民意の表れか、反対の民意なのかを読み解くことすら難しい。
おまけに両党とも身内に増税反対派を抱える現状では、選挙戦で「実は反対」と言い募る候補者が続出するだけだろう。
選挙をしても、はっきり白黒つくわけではない。一方で、延々と混乱を続ける余裕もない。
いまや日本のリスクは、「決められない政治」なのだ。
違う点は争っても、一致する点は前向きに議論し、きちんと決める。そんな当たり前の政治の作法を確立しよう。
有権者の審判は消費増税を決めたあとに仰げばいい。民主党の公約違反の責任はそのときにとってもらおう。
■新たな再分配論こそ
私たちは、いま政治が取り組むべき大仕事は、高齢社会に対応して、所得などの再分配の制度を根幹から作り直すことだと考えている。消費増税は、いわばその入り口だ。
そんなところで、増税先送りの言い訳のような段取り論で、もめていてはいけない。
もっと本質的な制度設計を急ごう。
たとえば、貧困層の支援だ。増税に合わせた現金給付に加えて、富裕層から所得を移転する方策が要る。もうひとつは若者の支援だ。高齢者を支え続けるためにも、若い世代を増やし、所得も拡大させる策が必要だ。
公平で持続可能な社会をつくるための制度を、増税法案とともに論ずべきだ。そうした政治の営みを促すことで、冒頭の投書への注文にも応えていく。