昨日の記事で都教委が、「区市町村教委の指導部署の責任者を集めた臨時会を都庁で開き」「▽子供たちに命の尊さを理解させる▽正当な理由なくナイフを所持することは法に触れ、暴力で問題は解決しないことを教える▽学校内外の子供たちの行動を把握する−−ことを各校で実践するよう」「生活指導の徹底を申し合わせ」をしたが、石原都知事を指導すべきことについて、メモっておこう。
まず以下の記事を読んでほしい。
石原都知事、朝日記者にブチ切れ!「本当に殴るぞ!」2012.04.25
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/851.html
東京都の石原慎太郎知事(79)が、朝日新聞記者にブチ切れた。製作総指揮や原作、脚本に加え、自らも出演する映画「青木ヶ原」のロケ先で24日、取材中の同紙記者を見つけて「イエローカード2枚、3枚になったら殴るからな!」とすごんだというのだ。どうも、前日夕刊に掲載された記事などが気に入らなかったようだ。
静岡県富士宮市のゴルフ場で行われたロケ。石原氏は自前のゴルフウエアで都知事役を演じた。撮影終了後、石原氏は記者団の取材を受けていたが、「おい、お前、朝日か」といい、怒りを爆発させたという。スポーツ報知(25日)などは、約2分間にわたる石原発言をこう報じている。
「いい加減なこと書くなよ、本当に。俺は怒るよ。書かれっぱなしでこっちは、被害者で甘んじるわけはないからね。結局、相手を殴るしかないんだから」
「覚えておけ、俺、本当にやるからな」
「それしかないんだもん、抵抗の仕方は。新聞出してるわけじゃないんだから」
石原氏を激怒させたとみられるのは、朝日新聞23日夕刊の「石原知事 都政飽きた?」という記事。4期目就任から1年を迎えたことを受けた原稿で、「『都政への関心薄れた』とささやかれる」「奔放ぶりを加速させる」「登庁は議会開会中を除くと週2日ペース」「年齢もあるようだ」といった記述が並んでいる。
朝日新聞は、石原氏がワシントンで発表した、沖縄・尖閣諸島の都購入についても、「尖閣買い上げ-石原発言は無責任だ」と批判する社説(18日)を掲載している。
今後も、石原VS朝日のバトルは続きそうだ。
慎太郎知事「みんなの前で殴る」朝日新聞記者に“鉄拳制裁”予告 (2012年4月25日06時03分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120424-OHT1T00268.htm
静岡県富士宮市で富士山をバックに映画のロケを行った石原知事。ゴルフクラブを手にし、セリフは「OBだよ、OB」
東京都の石原慎太郎知事(79)が24日、朝日新聞記者に「みんなの前で殴るからな」と鉄拳制裁を予告した。逆鱗(げきりん)に触れたとみられるのは、23日付の朝日新聞夕刊の石原都政を総括した記事。この日、原作や脚本などを担当し、自らも47年ぶりの映画出演となる「青木ヶ原」(来春公開予定)のロケのため、静岡県富士宮市を訪れた石原氏は、取材中の朝日新聞の男性記者に「おい、おまえ、朝日か。この野郎は意地悪いんだよ」などと激怒した。 「みんなの前で殴るからな」―。石原氏が朝日新聞の記事について激怒し、取材していた朝日新聞記者を威圧した。 怒りの発端となったとみられるのは、23日付の朝日新聞夕刊の記事で、見出しは「石原知事 都政飽きた?」。内容は石原氏が取り組んできた執筆活動や尖閣諸島問題、石原新党などを知事周辺の声などを交えながら、4期1年目を総括したもの。都政への関心が薄れているという周囲の見方を伝え、「もともとわがままだけど、さらにわがままになっている」と冷ややかな声も報じている。 石原氏はこの日、映画「青木ヶ原」のロケを静岡県富士宮市のゴルフ場で行った。「6時半に起きたのは、小学校以来だよ」と“早起き”ぶりをアピールし、ゴルフウエアで決め、撮影も順調に終えた。だが、その後の取材で怒りが爆発。朝日新聞記者の質問を遮ると、顔を紅潮させまくしたてた。 記者をにらみつけ、「イエローカード2枚、3枚になったら、殴るからな」「覚えておけ、俺、本当にやるからな」と鉄拳制裁を予告。「いい加減なこと書くなよ、本当に。俺は怒るよ。書かれっぱなしでこっちは、被害者で甘んじるわけはないからね。結局、相手を殴るしかないんだから」と激怒した。「ウソばっかり。くだらない」などと約2分間怒っていたが、最後は冷静さを取り戻し、「それしかないんだもん、抵抗の仕方は。新聞出してるわけじゃないんだから」と苦笑しながら語った。 石原氏はこれまで報道について「批判はいい。ただ、侮辱はするなよ」との姿勢。朝日新聞の記事は、石原氏に「侮辱」と映ったようだ。
「朝日」の記事に激怒して「書かれっぱなしでこっちは、被害者で甘んじるわけにないからね。結局、相手を殴るしかないんだから」ということは、こどもの暴力を是認するばかりか、扇動するものだ。石原都知事は、この論法を子どもが使って暴力を振るったらどうするのだろうか?
「暴力で問題は解決しないことを教える」と都教委が指導したばかりなのに、全く真逆のことを最高責任者が語って、自分の考えを正当化しているのだ。
そもそも、マスコミを使って自分の主張を浸透させようとしているのは石原都知事自身だ。尖閣諸島購入問題にして然り、シナ発言にして然り、彼の発言の傍若無人ぶりは数え切れないほどある。
石原都知事の「暴力是認」発言は、極めて個人的・低劣・幼稚・感情的だ。以下の記事をみてみよう。
石原慎太郎 「子供の不良性は個性だから抑制すべきではない」 NEWSポストセブン:記事一覧 2012年1月4日(水)16時00分配信
http://news.nicovideo.jp/watch/nw172975
震災と原発事故の不安に国民が震えた昨年、改めて「強い父親」が求められた。かつて『スパルタ教育』(光文社)という本を上梓し、「父性」の復興を唱えてきた石原慎太郎・東京都知事(79)にプロインタビュアー、吉田豪氏が石原流教育論を聞いた。
* * *
――いってもわからない時期(のしつけや体罰など)はしょうがない。
石原:体罰はいいんだ。身にしみるからね。残虐行為とは全く違う。立たせるとか男のお尻をたたくとか、せいぜい平手打ちを食らわすぐらいあったっていいと思うな。やっぱり、しつけですよ。しつけっていうのは刷り込みなんです。たとえば九九算ですよ。あれは計算じゃなくて、刷り込みで暗記してる。それをやらなきゃダメです。それをある年齢まで来たときに、とにかく半ば強制的にやれるのは集団生活しかないから。
――そう主張するのも大変だと思うんですよ。(戸塚ヨットスクールの)戸塚宏さんがあれだけ叩かれたわけじゃないですか。『スパルタ教育』を出したときも、すごいベストセラーになったとはいえ、批判も多かったんじゃないかと思って。
石原 多かったですよ。子供は殴れと書いたから。ただ、そう書いたかもしれないけど、俺はあんまり殴ったことないんだよな(笑)。
――そうだったんですか! 「暴力の尊厳を教えよ」とか「子供を殴ることを恐れるな」とか書いてたのに!
石原:うん。必要あったら殴りますよ。僕も殴られたことあります、親父には。小学5年生か6年生のとき、裕次郎を連れてボートで川遊びしてたら、水が引いて戻れなくなっちゃった。もう月が出てて。当然、親は心配するわけだ。それで帰ったら、親父が「貴様ら、いったい今までどこへ行ってた!」、裕次郎は要領いいから僕の陰にパッと隠れてね。僕が「すみませんでした。じつは裕次郎は私が連れて行ったんだから、ぶつんなら僕をぶってください」っていったら、親父が1回パーンと、しかしあきらかに加減して殴ったよ。そのときは殴られて当たり前だと思ったし、親の愛情も感じましたけどね。
――ちなみに『スパルタ教育』では、「子供の不良性の芽をつむな」とも主張されてましたけど。
石原:ああ、何をもって不良というかよくわからんけども。やっぱりほかの人間と違ったっていいんで、そこが人間の個性なのに、それをあんまり抑圧してもしょうがない。
※週刊ポスト2012年1月13・20日号
都知事という「公的な人間」としての「自覚」など全く想定していないことが判るだろう。彼の発言、人格は、すべて公人と個人を混同してのものだと言うことが判るだろう。
だが、彼はこういう混同を利用して、人権や民主主義を貶めていく手法として利用しているのだ。それは誰もがもっている「感情」を上手く利用しているということだ。
どんな親でも子どもに鉄拳を食らわすことはある。保護者が「悪いことをしたら一発殴ってくれて結構ですよ」などと教師に言うことは、ママあるようだし、よくこんなことを井戸端会議の場で聞くことがある。「最近の教師は可哀想だ。不良を殴れなくなったから」「愛の鞭は必要だ」などなど。テレビでも平気で教師を紹介する時に、今でも「教鞭を取る」と説明することがある。
これが「日本の文化」と言ってしまえば、話はそれでオワリだ。
石原都知事は、「やっぱりほかの人間と違ったっていいんで、そこが人間の個性なのに、それをあんまり抑圧してもしょうがない」と、もの判りのいい親父気取りだ。だが、この論法は「日の丸」を礼拝しない、「君が代」を斉唱しない教職員には、使わないのだ。ここに、彼の本旨がある。
こうした「文化」は近代社会が始って以降も続いていた。大日本帝国憲法があったからだ。この憲法は、命の尊重主義の立場は取っていない。国民のことを「臣民」と呼ぶことに端的に示されている。天皇のために「死ぬ」ことを強制された言葉として「臣民」があったのだ。
ところが日本国憲法は全く逆の思想を前提にしている。個人と生命の尊厳、平等の原則、個人の幸福追求権を基礎にしているからだ。平等権を謳いながら、象徴としての「天皇」を認めているなど、矛盾もある。だが、少なくとも明仁天皇は「憲法を遵守する」と言っている。
こうした現行憲法の核心の一つである憲法9条だが、これについても、一つ述べておこう。この9条は国際紛争を解決する手段として、武力や脅しや戦争を永久に放棄するとしたのだ。まさに都教委が指導した「暴力で問題は解決しない」ということなのだ。ではどうやって「国際紛争」を「解決する」というのだ。それは「話し合い」という「手段」を使うということだ。
「話し合い」ということは、相手を対等な人間・国家・民族として尊重するということだ。近代社会の当たり前と言えば、当たり前の原則だ。これを否定する人はいないはずだ。
だが、憲法9条の嫌いな石原都知事は、こうした原則に沿って政治を行うことを蹂躙している。彼の発言は、気に入らない人間に対して、対等な人間として尊重するなどという思想は皆無だ。今度の「朝日」の記者に対する「殴るぞ」発言が、そのことを示している。都教委は、石原都知事を指導しなければならないはずだが、これについて、記者会見などを開くことはない!
そこで、問題をさらにみていこう。
これは仮の話だが、この気に入らない記事を書いた「朝日」に対して、共産党の志位委員長が「殴るぞ」などと発言したら、恐らく日本中が大騒ぎになっていることだろう。
共産党は次の総選挙で議席獲得はできないだろう。やっぱり中国・北朝鮮と同じ「暴力政党」だということになるだろう、「朝日」も書き立てるだろう。
だが、面白いことに、この石原都知事発言について、全国紙をはじめテレビは暴力団と関係から芸能界を引退することになった、いわゆる島田紳助騒動のようなキャンペーンを張っていない。掲載した記事も、他人事というか、言論に対して「暴力」を対置していることの意味を軽く考えている。いや判っていない。これは事実上の「容認」だ。本来であるならば、都知事を辞任しなければならないような大問題の発言なのに、だ。
だが、世論も音なしだ。逆に尖閣諸島購入発言を支持する動きが顕著になってきた。これについては世論に敏感な、というか、本質だが、橋下「維新の会」の動きも出てきたようだ。国際紛争を話し合いで解決するどころか、脅しと武力と戦争で解決しようという方向に突き進もうとする危険な動きだ。
こういう動きは、マスコミ自身の首を絞めることになるということを、マスコミ自身が想像できていないことを意味している。これは危険な兆候だ。あの大正末期以降、昭和初期の白色テロを批判しなかったことと似ている。
これでは、子どもが犯罪を犯すのはムリのないことだし、奇怪な犯罪が、今後もなくなることはありえないだろう。そういう意味で、今後に起こる可能性を想像することが必要だ。
こうした国内の感情的な動きが国際社会でどのように受け止められているか、判らないが、恥かしい話だ。
国民が、こうした危険な動きに機敏に反応して、双葉のうちに摘むことが大事だ。
小沢判決が出て政局報道などをしている場合ではないはずだ。石原都知事は、小沢判決に助けられている。マスコミによって、だ。このことを記憶しておくことが大事だろう。
寒き冬次第次第に温かき春を迎へて新しき芽見ゆ
まず以下の記事を読んでほしい。
石原都知事、朝日記者にブチ切れ!「本当に殴るぞ!」2012.04.25
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/851.html
東京都の石原慎太郎知事(79)が、朝日新聞記者にブチ切れた。製作総指揮や原作、脚本に加え、自らも出演する映画「青木ヶ原」のロケ先で24日、取材中の同紙記者を見つけて「イエローカード2枚、3枚になったら殴るからな!」とすごんだというのだ。どうも、前日夕刊に掲載された記事などが気に入らなかったようだ。
静岡県富士宮市のゴルフ場で行われたロケ。石原氏は自前のゴルフウエアで都知事役を演じた。撮影終了後、石原氏は記者団の取材を受けていたが、「おい、お前、朝日か」といい、怒りを爆発させたという。スポーツ報知(25日)などは、約2分間にわたる石原発言をこう報じている。
「いい加減なこと書くなよ、本当に。俺は怒るよ。書かれっぱなしでこっちは、被害者で甘んじるわけはないからね。結局、相手を殴るしかないんだから」
「覚えておけ、俺、本当にやるからな」
「それしかないんだもん、抵抗の仕方は。新聞出してるわけじゃないんだから」
石原氏を激怒させたとみられるのは、朝日新聞23日夕刊の「石原知事 都政飽きた?」という記事。4期目就任から1年を迎えたことを受けた原稿で、「『都政への関心薄れた』とささやかれる」「奔放ぶりを加速させる」「登庁は議会開会中を除くと週2日ペース」「年齢もあるようだ」といった記述が並んでいる。
朝日新聞は、石原氏がワシントンで発表した、沖縄・尖閣諸島の都購入についても、「尖閣買い上げ-石原発言は無責任だ」と批判する社説(18日)を掲載している。
今後も、石原VS朝日のバトルは続きそうだ。
慎太郎知事「みんなの前で殴る」朝日新聞記者に“鉄拳制裁”予告 (2012年4月25日06時03分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120424-OHT1T00268.htm
静岡県富士宮市で富士山をバックに映画のロケを行った石原知事。ゴルフクラブを手にし、セリフは「OBだよ、OB」
東京都の石原慎太郎知事(79)が24日、朝日新聞記者に「みんなの前で殴るからな」と鉄拳制裁を予告した。逆鱗(げきりん)に触れたとみられるのは、23日付の朝日新聞夕刊の石原都政を総括した記事。この日、原作や脚本などを担当し、自らも47年ぶりの映画出演となる「青木ヶ原」(来春公開予定)のロケのため、静岡県富士宮市を訪れた石原氏は、取材中の朝日新聞の男性記者に「おい、おまえ、朝日か。この野郎は意地悪いんだよ」などと激怒した。 「みんなの前で殴るからな」―。石原氏が朝日新聞の記事について激怒し、取材していた朝日新聞記者を威圧した。 怒りの発端となったとみられるのは、23日付の朝日新聞夕刊の記事で、見出しは「石原知事 都政飽きた?」。内容は石原氏が取り組んできた執筆活動や尖閣諸島問題、石原新党などを知事周辺の声などを交えながら、4期1年目を総括したもの。都政への関心が薄れているという周囲の見方を伝え、「もともとわがままだけど、さらにわがままになっている」と冷ややかな声も報じている。 石原氏はこの日、映画「青木ヶ原」のロケを静岡県富士宮市のゴルフ場で行った。「6時半に起きたのは、小学校以来だよ」と“早起き”ぶりをアピールし、ゴルフウエアで決め、撮影も順調に終えた。だが、その後の取材で怒りが爆発。朝日新聞記者の質問を遮ると、顔を紅潮させまくしたてた。 記者をにらみつけ、「イエローカード2枚、3枚になったら、殴るからな」「覚えておけ、俺、本当にやるからな」と鉄拳制裁を予告。「いい加減なこと書くなよ、本当に。俺は怒るよ。書かれっぱなしでこっちは、被害者で甘んじるわけはないからね。結局、相手を殴るしかないんだから」と激怒した。「ウソばっかり。くだらない」などと約2分間怒っていたが、最後は冷静さを取り戻し、「それしかないんだもん、抵抗の仕方は。新聞出してるわけじゃないんだから」と苦笑しながら語った。 石原氏はこれまで報道について「批判はいい。ただ、侮辱はするなよ」との姿勢。朝日新聞の記事は、石原氏に「侮辱」と映ったようだ。
「朝日」の記事に激怒して「書かれっぱなしでこっちは、被害者で甘んじるわけにないからね。結局、相手を殴るしかないんだから」ということは、こどもの暴力を是認するばかりか、扇動するものだ。石原都知事は、この論法を子どもが使って暴力を振るったらどうするのだろうか?
「暴力で問題は解決しないことを教える」と都教委が指導したばかりなのに、全く真逆のことを最高責任者が語って、自分の考えを正当化しているのだ。
そもそも、マスコミを使って自分の主張を浸透させようとしているのは石原都知事自身だ。尖閣諸島購入問題にして然り、シナ発言にして然り、彼の発言の傍若無人ぶりは数え切れないほどある。
石原都知事の「暴力是認」発言は、極めて個人的・低劣・幼稚・感情的だ。以下の記事をみてみよう。
石原慎太郎 「子供の不良性は個性だから抑制すべきではない」 NEWSポストセブン:記事一覧 2012年1月4日(水)16時00分配信
http://news.nicovideo.jp/watch/nw172975
震災と原発事故の不安に国民が震えた昨年、改めて「強い父親」が求められた。かつて『スパルタ教育』(光文社)という本を上梓し、「父性」の復興を唱えてきた石原慎太郎・東京都知事(79)にプロインタビュアー、吉田豪氏が石原流教育論を聞いた。
* * *
――いってもわからない時期(のしつけや体罰など)はしょうがない。
石原:体罰はいいんだ。身にしみるからね。残虐行為とは全く違う。立たせるとか男のお尻をたたくとか、せいぜい平手打ちを食らわすぐらいあったっていいと思うな。やっぱり、しつけですよ。しつけっていうのは刷り込みなんです。たとえば九九算ですよ。あれは計算じゃなくて、刷り込みで暗記してる。それをやらなきゃダメです。それをある年齢まで来たときに、とにかく半ば強制的にやれるのは集団生活しかないから。
――そう主張するのも大変だと思うんですよ。(戸塚ヨットスクールの)戸塚宏さんがあれだけ叩かれたわけじゃないですか。『スパルタ教育』を出したときも、すごいベストセラーになったとはいえ、批判も多かったんじゃないかと思って。
石原 多かったですよ。子供は殴れと書いたから。ただ、そう書いたかもしれないけど、俺はあんまり殴ったことないんだよな(笑)。
――そうだったんですか! 「暴力の尊厳を教えよ」とか「子供を殴ることを恐れるな」とか書いてたのに!
石原:うん。必要あったら殴りますよ。僕も殴られたことあります、親父には。小学5年生か6年生のとき、裕次郎を連れてボートで川遊びしてたら、水が引いて戻れなくなっちゃった。もう月が出てて。当然、親は心配するわけだ。それで帰ったら、親父が「貴様ら、いったい今までどこへ行ってた!」、裕次郎は要領いいから僕の陰にパッと隠れてね。僕が「すみませんでした。じつは裕次郎は私が連れて行ったんだから、ぶつんなら僕をぶってください」っていったら、親父が1回パーンと、しかしあきらかに加減して殴ったよ。そのときは殴られて当たり前だと思ったし、親の愛情も感じましたけどね。
――ちなみに『スパルタ教育』では、「子供の不良性の芽をつむな」とも主張されてましたけど。
石原:ああ、何をもって不良というかよくわからんけども。やっぱりほかの人間と違ったっていいんで、そこが人間の個性なのに、それをあんまり抑圧してもしょうがない。
※週刊ポスト2012年1月13・20日号
都知事という「公的な人間」としての「自覚」など全く想定していないことが判るだろう。彼の発言、人格は、すべて公人と個人を混同してのものだと言うことが判るだろう。
だが、彼はこういう混同を利用して、人権や民主主義を貶めていく手法として利用しているのだ。それは誰もがもっている「感情」を上手く利用しているということだ。
どんな親でも子どもに鉄拳を食らわすことはある。保護者が「悪いことをしたら一発殴ってくれて結構ですよ」などと教師に言うことは、ママあるようだし、よくこんなことを井戸端会議の場で聞くことがある。「最近の教師は可哀想だ。不良を殴れなくなったから」「愛の鞭は必要だ」などなど。テレビでも平気で教師を紹介する時に、今でも「教鞭を取る」と説明することがある。
これが「日本の文化」と言ってしまえば、話はそれでオワリだ。
石原都知事は、「やっぱりほかの人間と違ったっていいんで、そこが人間の個性なのに、それをあんまり抑圧してもしょうがない」と、もの判りのいい親父気取りだ。だが、この論法は「日の丸」を礼拝しない、「君が代」を斉唱しない教職員には、使わないのだ。ここに、彼の本旨がある。
こうした「文化」は近代社会が始って以降も続いていた。大日本帝国憲法があったからだ。この憲法は、命の尊重主義の立場は取っていない。国民のことを「臣民」と呼ぶことに端的に示されている。天皇のために「死ぬ」ことを強制された言葉として「臣民」があったのだ。
ところが日本国憲法は全く逆の思想を前提にしている。個人と生命の尊厳、平等の原則、個人の幸福追求権を基礎にしているからだ。平等権を謳いながら、象徴としての「天皇」を認めているなど、矛盾もある。だが、少なくとも明仁天皇は「憲法を遵守する」と言っている。
こうした現行憲法の核心の一つである憲法9条だが、これについても、一つ述べておこう。この9条は国際紛争を解決する手段として、武力や脅しや戦争を永久に放棄するとしたのだ。まさに都教委が指導した「暴力で問題は解決しない」ということなのだ。ではどうやって「国際紛争」を「解決する」というのだ。それは「話し合い」という「手段」を使うということだ。
「話し合い」ということは、相手を対等な人間・国家・民族として尊重するということだ。近代社会の当たり前と言えば、当たり前の原則だ。これを否定する人はいないはずだ。
だが、憲法9条の嫌いな石原都知事は、こうした原則に沿って政治を行うことを蹂躙している。彼の発言は、気に入らない人間に対して、対等な人間として尊重するなどという思想は皆無だ。今度の「朝日」の記者に対する「殴るぞ」発言が、そのことを示している。都教委は、石原都知事を指導しなければならないはずだが、これについて、記者会見などを開くことはない!
そこで、問題をさらにみていこう。
これは仮の話だが、この気に入らない記事を書いた「朝日」に対して、共産党の志位委員長が「殴るぞ」などと発言したら、恐らく日本中が大騒ぎになっていることだろう。
共産党は次の総選挙で議席獲得はできないだろう。やっぱり中国・北朝鮮と同じ「暴力政党」だということになるだろう、「朝日」も書き立てるだろう。
だが、面白いことに、この石原都知事発言について、全国紙をはじめテレビは暴力団と関係から芸能界を引退することになった、いわゆる島田紳助騒動のようなキャンペーンを張っていない。掲載した記事も、他人事というか、言論に対して「暴力」を対置していることの意味を軽く考えている。いや判っていない。これは事実上の「容認」だ。本来であるならば、都知事を辞任しなければならないような大問題の発言なのに、だ。
だが、世論も音なしだ。逆に尖閣諸島購入発言を支持する動きが顕著になってきた。これについては世論に敏感な、というか、本質だが、橋下「維新の会」の動きも出てきたようだ。国際紛争を話し合いで解決するどころか、脅しと武力と戦争で解決しようという方向に突き進もうとする危険な動きだ。
こういう動きは、マスコミ自身の首を絞めることになるということを、マスコミ自身が想像できていないことを意味している。これは危険な兆候だ。あの大正末期以降、昭和初期の白色テロを批判しなかったことと似ている。
これでは、子どもが犯罪を犯すのはムリのないことだし、奇怪な犯罪が、今後もなくなることはありえないだろう。そういう意味で、今後に起こる可能性を想像することが必要だ。
こうした国内の感情的な動きが国際社会でどのように受け止められているか、判らないが、恥かしい話だ。
国民が、こうした危険な動きに機敏に反応して、双葉のうちに摘むことが大事だ。
小沢判決が出て政局報道などをしている場合ではないはずだ。石原都知事は、小沢判決に助けられている。マスコミによって、だ。このことを記憶しておくことが大事だろう。
寒き冬次第次第に温かき春を迎へて新しき芽見ゆ