明仁天皇の退位にあたって
「象徴天皇制」の在り方を検証したNHKに小アッパレ!
昭和25年(1950年)から昭和35年(1960年)までの10年の間において
日本の政治・経済・文化は憲法形骸化=反動化が始まった!
反動化=侵略戦争正当化=天皇元首化!
だが、このことは極めて限定的に押し込まれ=封印されて
明仁皇太子・天皇の象徴天皇制度確立の歴史を強調した!
だが、天皇元首化を目論む安倍晋三首相をてこにした
安倍式憲法改悪派は
明仁天皇の憲法厳守擁護の立ち振る舞いに敗北した!
天皇の地位を決める主権者日本国民の総意は
明仁天皇の思いに共感したのだから!
常識的言動の積み重ねで
三種の神器継承の任務を果たす装置である象徴天皇制を護持した明仁天皇は
憲法を活かし天皇元首化を否定した
歴史に残る天皇となるかも!!
三種の神器を守るためには天皇元首化ではなく現行憲法の象徴天皇制しかないと考え憲法遵守擁護の義務を果たそうとする天皇家が安倍政権と対立するのは当然! 2018-12-24 | 天皇制
「日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてき」明仁天皇の視点を検証する! 2018-12-23 | 天皇制
憲法の人権思想と相いれない象徴天皇制
侵略戦争の戦争責任を不問にする象徴天皇制
憲法遵守擁護の義務の履行を具体化する天皇家
憲法を活かす!象徴天皇制とは何か!
NHK 天皇陛下が皇后さまと共に歩んだ激動の歳月
天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」【総合】12月23日(日) 後7:30
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=17172
来年4月30日に退位される天皇陛下。皇后さまとともに歩んだ激動の歳月を4回シリーズで伝える。第1回は、戦争という荒波にもまれながら成長した若き皇太子の姿を描く。
NHK 天皇 運命の物語 第2話「いつもふたりで」2018年12月24日(月) 午後7時30分(74分)
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92926/2926047/index.html
NHK 初代宮内庁長官の日記入手し分析 12月24日 20時25分
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20181224/0023039.html
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昭和34年の天皇皇后両陛下の「世紀のご成婚」。
NHKはこれに深く関わった初代宮内庁長官、田島道治の日記を入手し初めて近現代史の専門家とともに詳しく分析しました。
日記には、天皇陛下のおきさき選びの舞台裏が詳細に記録されていて、専門家は「将来の象徴天皇のパートナーにふさわしい女性は誰なのかを周囲が模索していた過程がわかる貴重な資料だ」としています。
初代宮内庁長官の田島道治は、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務め、退任したあとも天皇陛下のおきさき選びに深く関わりました。
田島は、日々の出来事や面会した相手とのやりとりを小型の手帳26冊に書き留めていて、NHKは遺族から提供を受けて初めて近現代史の専門家とともに詳しく分析しました。
このうち、ご成婚の9年前の昭和25年9月2日には皇太子教育の責任者を務めていた慶應義塾元塾長、小泉信三との面会の記述の中で「東宮妃サガスコト」と記していました。
「東宮」は「皇太子」を指す言葉で、天皇陛下が16歳、高校2年生だったこの頃には宮内庁の幹部や側近らがおきさき選びを始めていたことがわかります。
また、皇太子と結婚できるのは戦前、皇族と一部の華族に限るとされ、おきさき選びは当初この前例に沿って進められましたが、昭和30年9月17日には、当時21歳だった天皇陛下が小泉氏との雑談の中で「平民デモヨシ」と述べたと記されています。
このあと、昭和32年4月17日には、田島が当時候補として有力視されていた旧華族の女性の親と面会した記述の中に「光栄なれど拝辞。離れるのはいや。全員反対」などと記され、旧華族を対象としたおきさき選びがうまく進まなかったことがわかります。
こうした中、対象は民間にも広げられ、皇后さまと初めて会われた軽井沢での「テニスコートの出会い」の8か月後、昭和33年4月12日には、田島と小泉が車の中で話した記述の中に「Shoda」という皇后さまの名字がローマ字で記され、婚約内定発表の半年あまり前のこの時期には有力なおきさき候補になっていたことがうかがえます。
日本近現代史が専門の長野県短期大学の瀬畑源准教授は、「皇太子のきさきである以上将来必ず皇后になるということが前提で、日記の記述からは将来象徴のパートナーとなるのにふさわしい女性は誰なのかを周囲が模索していた過程がわかる。当時の人が象徴天皇の存在や皇后の役割をどのように考えていたのかがわかり、私たちにとって象徴とは何かということを考える1つの手がかりにもなる貴重な資料だ」と話しています。(引用ここまで)
NHK 天皇陛下の教育振り返る音声発見 連合国軍の干渉を警戒 2018年12月23日 5時20分皇室
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757551000.html
天皇陛下が中学時代に通われた学習院の教師らが、戦後の占領期の教育現場を振り返った音声テープが見つかりました。当時、皇太子だった天皇陛下への教育について教師たちが連合国軍から干渉されることを警戒していた様子がわかり、専門家は「将来の天皇の教育を模索していることがわかる貴重な史料だ」と注目しています。
「自分の意志が曲げられるとは……」忘れられない平成“5つの非公式な”天皇の「お言葉」
公式ではないからこその、強いメッセージ性