愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

火事場の泥棒を許す日本の世論、それを誘導操作する政府とマスゴミに対して発想の転換を迫る!

2012-04-07 | 日記
北朝鮮の「蛮行」は許せないのは当然だ。これについては愛国者の邪論の立場ははっきりしている。だが、だからと言って日本国政府のやり方が「正当」かというと、そうではないと断言できる。ここが大変難しいところだろう。単純ではないからだ。だが、この複雑さを紐解いていく作業が必要だし、国民もそのことを見抜いていく必要があるのではないだろうか。

このことは、あの教育勅語の「徳目」を使って侵略戦争日本国新臣民を動員した天皇政府、動員されてしまった日本国臣民、「徳目」を発見した大先輩である中国に対して、「徳目」を当てはまることができなかった日本臣民を思えば、なおさらのことだ。

ではどういうことか。

一つは、自衛隊がPAC3を守るために「小銃」を「携行」するというのだ。自衛隊法95条の「武器等防護のための武器使用」規定を適用だそうだ。「武器等防護のため」というが、何から「防護」するのか、大変曖昧だ。そうして曖昧にしながら、小銃を携行させるというのだ。

百歩譲ってPAC3を襲う輩がいるとすると、誰だろうか?それを具体的に指摘できるのだろうか?この防護しなければならない輩を想定すると、恐ろしいことだ。PAC3配備反対を主張する市民にも小銃を向けることになるからだ。警察力で「防護」するのは不可能というのだ。

もうひとつある。「攻撃対象・沖縄」論が典型だ。まるで北朝鮮が我が日本に宣戦布告をしてきたかのような「情勢」だ。

今や「乱心」としか言いようがない。

「北朝鮮」の文字があれば「何でも有り」が、今の日本のマインドだ。だいたいアメリカには北朝鮮の動向を宇宙から覗くことは許されて、北朝鮮がアメリカの動向を宇宙から覗くことは許されないという論理がまかり通っていることそのものに疑問すら起こらないというマインドがあるのだ。

さらに言えば、「衛星」=「ミサイル」を撃ち落すというが、専門家でさえも難しいと言っている「迎撃」だ。ライフル銃で空を飛ぶ鳥を撃ち落すことが如何に難しいか、子どものころ弓矢を作って遊んだことのある人間なら、簡単なことだ。弾が目標に命中するためにはどのような姿勢と構えで撃たなければならないか、明瞭だ。微妙な角度が、距離が離れれば離れるほど広がっていくことは数学を勉強したものであれば、明瞭だ。ましてや相手は動いているのだ。

そんな簡単な理屈が見えず、北朝鮮=悪者=制裁=不足の事態に備える=軍備強化=税金投入=増税という論理にはまってしまっているのだ。

この間の報道では、日本が北朝鮮に対して外交交渉を駆使するというのは見えてこない。これでは拉致問題も、朝鮮半島の非核化も、北朝鮮の独裁体制も、北朝鮮国民の飢餓も、その解決の展望は見えてこない。まるで「国民政府を対手とせず」とした近衛政権と同じだ。アメリカの軍事外交の枠の中でしか物を考えられないのだ。独立国として自主的な判断は皆無なのだ。恐るべきことだ。

こうした手法は、かつての日本国臣民がそうであったように、国民を不幸のどん底におとしいれていくことになる。このことは声を大にして言わねばなるまい。

北朝鮮政府を平和の枠組みに組み込んでいくためには何が必要か。北朝鮮のGDPを考えてみれば明瞭だ。また北朝鮮国民の国民所得だってそうだ。かつての大日本帝国の臣民と比べてみてもどうだろうか?だからこそ、軍事に回すカネを国民生活に回せばどうなるか、そういう視点が必要だ。だが、アメリカは、軍事費を大幅に削減しなければ政権そのものが、かつてのソ連のように立ち行かなくなるからこそ、軍事費を削減し、富裕層への増税路線を選択しつつあるのだ。

勿論、そのツケを日本に課しているのだが、我が日本がどうするか。アメリカを見習い、軍事優先主義、北朝鮮敵視政策をやめ、その分のカネを国民生活に回せば良いのだ。こういうこと率先して具体化し、北朝鮮にも提案をしていくのだ。

アメリカのシナリオと日本の「演出家」と「役者」によって演じられる北朝鮮敵視映画・演劇からの大胆な発想の転換が必要だ。

あの頃の臣民思考想ふときかの国の様鑑(かがみ)となりなむ


以下参考になる記事を掲載しておこう。

銃携行「やむを得ない」 PAC3警備で石垣市長【北ミサイル予告】2012.4.6 10:46
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120406/plc12040610480010-n1.htm
北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射実験とみられる「衛星」打ち上げに備え、設営地で設置された地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を視察し、報道陣に囲まれる中山義隆・石垣市長(右)と川満栄長・竹富町長(左端)=6日午前、沖縄・石垣市(大西正純撮影)
 沖縄県石垣市の埋め立て地に展開した地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の警備をめぐり、防衛省が陸上自衛隊員に実弾を装填した小銃などを携行させることについて、同市の中山義隆市長は6日、「PAC3を守るためにはやむを得ない。問題にしようとは思わない」と述べた。報道陣の質問に答えた。 中山市長は石垣市に近い竹富町の川満栄長町長とともに午前7時半から約30分間、PAC3が配備された「新港地区」を視察、空自PAC3部隊の世良達裕指揮官らから展開状況の説明を受けた。 PAC3の射程外になる波照間島などがある竹富町の川満町長は「カバーの範囲外なので、北朝鮮が自制して発射を中止することを望みたい」と話した。

「不安ないように説明」 PAC3警備の銃携行問題で渡辺防衛副大臣2012年4月6日 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189661-storytopic-1.html
 北朝鮮の「衛星」打ち上げに対応するため防衛省が石垣島に展開した地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の警備で、陸上自衛隊員が実弾を装填(そうてん)した小銃などを携行することについて、渡辺周防衛副大臣は6日、「隊員は警備の関係上、通常の装備品として持っていることはある」と述べた。同日、那覇空港で琉球新報社の取材に答えた。 渡辺氏は同日、PAC3が配備されている石垣市や宮古島市などの自治体関係者と意見交換するために来県。自衛隊員の銃携行について「石垣市の副市長と会うが、(市民に)不安がないようにきちんと説明したい」と述べた。 来県の目的について「部隊を展開している自治体の首長と自治体を代表する方々から意見があればしっかり聞きたい」と述べた。【琉球新報電子版】


PAC3警備に銃携行 石垣島の陸自部隊2012年4月6日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189654-storytopic-1.html
 事実上の長距離弾道ミサイル発射とみられる北朝鮮の「衛星」打ち上げに備え、防衛省が石垣島に展開した地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の警備で、陸上自衛隊員に実弾を装てんした小銃や拳銃を携行させることが5日分かった。複数の同省幹部が明らかにした。 石垣島のPAC3は国有の埋め立て地に配備。国内で駐屯地や基地、演習場などの自衛隊施設以外で、自衛隊員が実弾を装☆(土ヘンに眞)した武器を携行して警備するのは初めて。 関係者によると、小銃の携行は、自衛隊法95条の「武器等防護のための武器使用」規定を適用する。(共同通信)

PAC3が那覇、宮古到着 陸路 自衛隊基地へ2012年4月4日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189552-storytopic-3.html
那覇港浦添埠頭から各地の配備先へ移動する、PAC3の関連車両=3日午後7時50分ごろ、那覇市泉崎の国道58号(渡慶次哲三撮影)
 北朝鮮の長距離弾道ミサイルの発射実験とみられる「衛星」の打ち上げに備えた自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が3日、民間船で那覇市、自衛隊艦船で宮古島市に到着し、航空自衛隊那覇基地と知念分屯基地(南城市)、宮古島分屯基地に搬入された。自衛隊のPAC3の県内配備は初めて。防衛省関係者によると、PAC3の射程距離が20キロのため、本島2カ所と石垣島、宮古島に配備されても本島北部や石垣島北部、予測軌道のほぼ真下の多良間島などが防衛範囲から外れることが分かった。 石垣島には同日、自衛隊員2百数十人が入った。5日にPAC3が到着する。自衛隊は9日までに県内でPAC3配備を完了し、北朝鮮が予告した12~16日の「衛星」発射に備える。 防衛省と内閣官房、消防庁は3日、県庁で県内市町村と消防機関を対象に「説明会」を開いた。空自与座岳分屯基地(糸満市)に建設し、まだ供用開始していない新警戒管制レーダーFPS―5を前倒しして使いたい意向を示した。 北朝鮮が「衛星」を発射した場合、国が緊急情報を人工衛星などを通じて送り、市町村防災行政無線などによって住民らに伝達する全国瞬時警報システム(Jアラート)を使い、発射と沖縄上空の通過の情報を伝えることも説明した。 長距離弾道ミサイルの落下速度が秒速約5~10キロのため、PAC3の射程内でも「百パーセント確実に打ち落とせるわけではなく、高度な技術を要する」(自衛隊幹部)との指摘がある。元防衛大学校教授の孫崎享氏は「軌道を外れたミサイルを迎撃するのは物理的に不可能だ」と指摘。PAC3配備を契機に防衛省が南西諸島への自衛隊強化を進める狙いがあるとの見方を示している。 PAC3を載せた民間船は那覇港浦添埠頭(ふとう)に、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」は宮古島市の平良港下崎埠頭に到着。PAC3は夜になって、自衛隊基地に陸路で運ばれた。

北朝鮮、ミサイル発射準備進展 新衛星写真で判明2012年4月6日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189653-storytopic-3.html
 【ワシントン共同】米衛星画像会社ジオアイは5日、北朝鮮北西部・東倉里のミサイル発射施設の最新の衛星写真を公開した。3月31日に撮影したとしている。 同施設については、米衛星画像大手デジタルグローブ社も同月28日撮影の衛星写真を公開しているが、今回は作業車両とみられる物体が増えており、準備が進んでいることがうかがえる。 専門家は、発射に関連する燃料システムとみられる場所の周辺でも車両が活動していると分析している。(共同通信)
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豆腐の上に建てられた原発 再稼動に向けて想像力が発揮できない日本!

2012-04-06 | ゲンパツ

野田政権が原発最稼動に向けて、新たな「安全基準」を発表した。
一つには、世論におされて「ハードル」をつくった。
二つには、再稼動に向けて芝居をした。

そこで、以下の「基準」について、ホントにクリアできるものかどうか、どうか、だ。

大飯原発再稼働の新安全基準、政府が最終決定(2012年4月6日18時54分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120406-OYT1T00980.htm
 政府は6日午後、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を巡る3回目の関係閣僚会合を開き、安全性を確認する新たな判断基準を最終決定した。
 その後、大飯原発が基準を満たしているか判断し、枝野経産相が来週にも福井県を訪問して再稼働を要請する方針だ。
 判断基準は〈1〉地震や津波による全電源喪失を防ぐ対策を実施済みであること〈2〉炉心の冷却継続機能を国が確認していること――を盛り込んだ。また、電力会社に対しては原発の安全性、信頼性をさらに高める計画の策定を求める。経済産業省原子力安全・保安院がとりまとめた30項目の安全対策を2段階で実施することになる。


つい先ごろ、南海トラフ巨大地震に対する新たな不安がとりざたされたばかりだった。
こうした巨大地震に対して大飯原発の備えは可能だろうか?問題は津波だけに向いてるようだが、揺れもある。福島原発の場合、津波の前に電源が切れた。その後に放射線の放出があり、今でもがれき処理の最大の壁が放射能問題である。

こうした問題を教訓化するならば、再稼動が議論されることなどあり得ない。だが、野田民主党連立政権は、再稼動を目指すらしい。

以下、社説を掲載しておこう。
地震と原発、放射能汚染が関連されているかどうか、注目してみた。
伊方原発のある「愛媛」、大飯原発のある「福井」ではどうだろうか?巨大地震と原発がリンクされているだろうか?

南海トラフ巨大地震 想定最大数値を恐れず侮らず特集社説2012年04月06日(金)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201204069200.html
 県内の津波高は最高の愛南町で17メートル、震度は局所的に7になる可能性もある―。南海トラフを震源域とする巨大地震について、内閣府の有識者検討会が、最大想定の津波高と震度を公表した。
 2003年に中央防災会議が発表した想定を、はるかに上回る数値が並ぶ。従来の基準で対応してきたすべての自治体や自主防災組織、住民個人に至るまで徹底した防災対策の洗い直しが必要だ。
 東日本大震災を受け、検討会は南海トラフ巨大地震の想定マグニチュード(M)を9クラスに引き上げ、想定しうる最大の震度や津波をはじき出したとしている。
 津波の高さは、宇和海側で従来想定の最高で3倍超となり、中予や東予の瀬戸内海側でも3メートル以上と予測。1メートルの津波の到達速度は南予南部で約10~40分。南予北部で約40~60分と分析した。
 また震度は、四国中央、新居浜、西条、東温、大洲、西予、宇和島の各市で局所的に震度7になるとしている。
 今回の想定は、「現時点で科学的に考えられる最大級地震」(岡村真・高知大特任教授)であり、次の地震予測ではないという。検討会も報告書に「不確実性を伴う」と記すように、現在の科学知見を総動員しても明確な予測は難しいのが現状だ。
 ただ、数値が示されたからには対応は待ったなしだ。被害を完全に抑えることは難しいが、可能な限り住民の命と財産を守る社会の仕組みを確立しなければならない。
 堤防や避難道の整備、土地利用や建築物の構造規制など大がかりなハード面対策は必要ではある。しかし、それだけで被害を完全に防げないことは歴史が証明している。
 自治体財政が厳しい中、巨額の予算を防災事業に注ぎ込むのは現実的ではない。地域ごとに被害を予想し事業実施に優先順位を付けるなど、選択と集中を徹底したい。
 ことに宇和海沿岸は、想定津波への物理的対策の難しさに直面している。今後は「いかに逃げるか」の検討に重点を移さねばなるまい。
 新しい避難経路と避難所の設置、津波の規模、到達時間を速やかに伝える手段などを充実させることで、被害の軽減は可能になるはずだ。
 検討会は今後、詳細な地形に基づいた津波の高さや浸水域などを予想し、中央防災会議が6月をめどに犠牲者数などを算出。秋に経済被害などを公表するという。そのシナリオに合わせ、地域に応じた減災計画の立案が必要だ。
 地震の発生は明日かもしれない。100年後かもしれない。しかし必ず来る。今回の数値は衝撃的だが、いたずらに神経質になる必要はない。恐れず侮らず、綿密な対策と冷静な行動を心がけたい。

南海トラフ巨大地震 最悪のケース考え備えよ (2012年4月4日午前7時15分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/33975.html
 沿岸を襲う巨大津波が最大34メートル超という推計に恐怖感を抱いた市民も多かったのではないか。内閣府の有識者会議が、駿河湾から九州沖にまで達する海底の溝「南海トラフ」沿いで巨大地震が起きた場合の津波の高さや震度の想定を公表した。
 東日本大震災を教訓に、震源域を前回2003年想定の約2倍に拡大するなど、最大級の地震、津波を想定。地震規模はマグニチュード(M)9クラスになった。あくまで「千年に一度」の考え得る最悪ケースで、いつどこで起きるかは不明だ。だが東日本大震災と同規模の地震、津波が発生する可能性がある限り、「想定内」として最大の備えを確立する必要がある。
 津波高が20メートル以上になる可能性がある地域は東京(島しょ部)、静岡、愛知、三重、徳島、高知の6都県に達する。10メートル以上の地域は太平洋岸の11都県にまで拡大する。震度7の地域は静岡、愛知、三重、兵庫、和歌山、徳島、香川、愛媛、高知、宮崎の10県に及び、その面積は前回推計の約23倍、約7千平方キロになるという。
 政府はこれを基に6月ごろに人的、物的な被害想定を出し、来春までに対策大綱をまとめる方針だ。国や地方自治体は短期、中長期の観点から地震に強い街づくりを進める必要がある。こうした地域には人口密集地域や産業拠点も多く含まれ、東日本以上の被害も予想される。法整備も進めるべきであろう。
 「東南海・南海地震」と予知を前提とした「東海地震」とでは地震対策特別措置法の内容が異なっている。だが3連動地震の発生が予測される中、各県知事からは災害法制の一本化再編を望む声が出ている。広域での減災対策を正面から考える必要性がでてきた。
 それでは、具体的にどう備えるのか。まずは住民自身で命を守ることを徹底し、海沿いで大きな揺れがあれば急いで高い場所に逃げること。住民が自らの判断で避難できるよう訓練や防災教育を充実していきたい。予防的な観点から、国や自治体は安全な場所への誘導策をつくり出すとともに、安全な高台への集団移転を後押しするような支援策も検討すべきだ。
 自治体は、高台の避難場所や避難タワー、避難路や誘導標識を整備する必要がある。揺れへの備えでは、自宅の全壊を避ける耐震化が重要で、行政による補助の充実を求めたい。
 さらに重要な視点は、災害列島である限り、広域的な支援・連携が不可欠ということだ。過疎地域だけでなく、東京や大阪、名古屋など大都市も被災すれば都市機能が損なわれる可能性がある。大震災に学び、生活物資や燃料、医療面などのバックアップ態勢が必要になる。
 国土軸で考えれば、太平洋側の代替機能を日本海側が果たすことを視野に入れたインフラ整備が求められる。整備新幹線もその観点で早期整備を進めるべきではないか。

豆腐の上に建設されている大飯原発を「廃炉」という立場からの論説ではなく、安全に対する「説明」を求めているというのが不思議だ。フクシマの事実が教訓となっていないのだ。放射能物質が30キロをはるかに超えて飛散したこと、今東京湾の汚染がジワジワと迫っていることを考えると、ちっとも教訓となっていない。

大飯再稼働へ新基準 安全対策、それで十分か (2012年4月6日午前7時43分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/34012.html
 停止中の関西電力大飯原発3、4号機の再稼働をめぐり、野田佳彦首相と関係3閣僚が最終判断に向け2回目の協議を行った。経済産業省原子力安全・保安院がまとめた対策の妥当性を確認し「安全性に関する判断基準」として、きょう決定する。
 「新安全基準」は保安院が東京電力福島第1原発事故の検証結果を30項目にまとめた対策をベースに急ごしらえしたものだ。それが再稼働に向けた安全対策として地元のみならず、国民の理解が得られるだろうか。
 藤村修官房長官は会見で「暫定ではなく、他の原発再稼働の新たな安全基準」として、法的根拠を持たせる考えを表明した。さらに「地元同意」は必ずしも再稼働の前提条件としないとの認識も示した。単なる大飯原発への対応にとどまらず、国内原発の「再稼働の方程式」を視野に入れた発言といえる。
 5月初めにも国内の全原発が停止する切迫した状況下、夏場の電力確保へ前のめりになる政府の政治手法である。枝野幸男経産相が近く本県を訪れる意向のようだが、先に結論ありきで「地元の理解が得られたかどうかは政府が判断する」という発想が果たして地元重視の原子力政策なのか、課題となろう。
 再稼働の条件に挙げたストレステスト(安全)の1次評価は机上のシミュレーションにすぎず、東日本大震災の巨大津波や地震が引き起こした予測を超えた過酷な自然現象が十分反映されていない。県が「安全対策」と認めてもいない。
 今回の安全基準は実質、県の要請に答えた形で、全電源喪失事故の進展防止策など三つの基準で構成した。電源車の配備、建屋の浸水防止策など、事故後の緊急対策で実施済みの項目を盛り込み、防潮堤のかさ上げや、事故対応拠点となる免震事務棟など完成に数年かかる中長期対策も列挙。30項目の実施計画をあらためて示した格好だ。
 しかし、新たな知見となる活断層の連動による耐震安全性や誘発される津波の評価をはじめ、地震による道路寸断、配備された電源車、消防車の被害想定が十分なのか、オフサイトセンターの機能不全の懸念など不安材料は多い。「これで安全」というものはない。さらに多角的な検証が求められる。
 県や地元おおい町がこれまで国に求めてきたのは「暫定的な安全基準」である。福島事故の究明が途上であり、中長期の課題もある。次回以降の定期点検時に対応していく項目も含め暫定としている。
 だが、炉心のメルトダウン、放射性物質の大量拡散被害という過酷事故が発生し、原発の安全性に大きな不安が渦巻いているのが現状だ。再稼働に向けたハードルは格段に上がっている。国が「新基準」として判断するのはよほど慎重を要する。首相や閣僚が繰り返す「国民の理解」を地元同様に求めたい。
 県が求める高経年炉の運転基準や新たな知見を生かしたシステムづくりなど、不安解消につながる取り組みをしっかり示し、何よりわが国の原子力政策、エネルギー政策について説得力ある説明が必要だ。肝心な原子力規制庁設置のめども立たず、国の信頼感は失われている。
 あってはならない事故を踏まえた再稼働であることを政府は肝に銘じるべきである。

大飯再稼働  京滋の了解が不可欠だ[京都新聞 2012年04月04日掲載]
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20120404.html
定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)について野田佳彦首相と関係3閣僚がきのう協議し、再稼働させる政治判断を先送りした。福井県に隣接する京都府の山田啓二、滋賀県の嘉田由紀子両知事が再稼働に難色を示しているためだ。
 いったん事故が起きれば京滋にも被害が及ぶ可能性が高い。再稼働には両府県の了解が不可欠である。
 そもそも再稼働を政治判断することがおかしい。東京電力福島第1原発事故に関する政府や国会の事故調査委員会の報告と原子力規制庁の発足を待ち、科学的知見に基づいた判断であるべきだ。でなければ京滋の理解も得られまい。
 福島事故以前の原発行政は立地自治体の意向が反映されてきた。だが、事故では放射性物質が広く拡散し、避難を強いられている周辺自治体の住民は多数に上る。
 大飯原発に近い高浜原発(福井県高浜町)で、事故が起きた場合の放射性物質の拡散について京都府が公表した予測でも、50キロ以上離れた京都市右京区や亀岡市へも影響が広がることが分かった。
 政府が再稼働の条件とする地元理解の「地元」が、もはや立地自治体だけでないことは明らかだ。
 政府の方針には矛盾もある。再稼働では立地自治体を重視しながら、一方で原発事故に備えた防災対策の重点地域を半径30キロまで拡大し、「緊急防護措置区域」とした。ならば、少なくとも30キロ圏内を地元と考えるのが筋だろう。
 京都府では大飯原発の半径30キロ圏内に約6万8千人が暮らしており、滋賀県は近畿の水源である琵琶湖を抱える。京滋の両知事が再稼働に慎重になるのは当然だ。
 政府は原発の再稼働について安全評価(ストレステスト)の1次評価を踏まえ、地元の理解、同意を得て政治判断するとしている。だが、両知事はストレステストそのものに疑問を呈している。
 1次評価は予想される地震や津波に対し、原発がどれほどの余裕を持って耐えられるかを電力会社自身が机上計算するものだ。その結果を原子力安全・保安院、原子力安全委、政府が点検する手順になっている。だが、安全委自らが「総合的な評価としては不十分」と指摘しているのに、型通りの手順を踏めば安全だとは到底言えない。
 原子力規制の役割を担うべき原子力規制庁も設置関連法案の国会審議が進まず、発足のめどは立っていない。福島事故の原因はいまだ詳細不明で、事故を反映させた新たな安全基準づくりもまだだ。
 原発が再稼働しない場合に電力の需給がどうなるのか、そのデータを政府や電力会社が示す必要もある。越えるべきハードルはこんなにも多い。政府は再稼働の判断を急いではならない。

色もなし匂ひさえなき物質におそれぬメディア国滅ぼすか

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後世の史家は、戦略なき日本の今をどう描くであろうか!再稼動・ミサイル・消費税などに揺れる今!

2012-04-05 | 日記
地震に揺れる、しかも東日本大震災級の大地震が西日本に来るというのに、原発を動かすかどうか、民主党政権は、あらゆる知恵をめぐらせている。「日本全部が地元」だと言って、個人的には再稼動に反対しておきながら、屁理屈で覆し、ノウノウと大臣席にいる。田中防衛大臣も酷いが、彼以下だ。

その田中大臣が自民党の軍事オタクに追及されて、突っ走っている。今日のニュースは、まるで戦時体制だ。アセアンまでが北朝鮮に自制を求めたのに、また北朝鮮から宇宙航空研究開発機構に届いた招待状も拒絶した。アメリカのように独自の窓口を持ち交渉を積み上げる「窓」を自ら閉ざしてしまった。代わりに経済封鎖の続行を決めた。敵に塩を送って恩を売る。情けをかける日本的美徳は後景に追いやられた。鬼畜金王朝論がチャンスを逃してしまった。憲法にもとづく外交路線を放棄してしまった!国民も、だ。ニュースを見る限りだが・・・。

しかも、今迎撃態勢が取られている作戦が失敗したら、どういうことになるか、考えるとワクワクしてしまう。アホな作戦だからだ。いわゆる「主戦派」、そのようなことを考えることもなく、沖縄に迎撃ミサイルを装置すること、それを国民が黙った支持することをねらっているのだ。彼らも迎撃が成功するなど、微塵も想定していないだろう。北朝鮮の「ミサイル」が飛んでこないことを、心のなかでは「期待」しているのだ。

これは丁度戦前、ドイツが東進してソ連を攻めてくれることを期待していた政府や軍部に似ている。中国人民の反日運動のために中国戦線で行き詰まったしまったなかで、北進するか、南進するか、を決めかねていた、あの気分と同じだろう。自らの戦略を組み立てて、戦術・作戦を立てるのではなく、他人・他の要素に期待するという自主性の欠如精神だ。

もう一つある。武道の必修化である。今になって柔道を指導する教員が不足していることが大きな問題になっている。そのようなことは、この方針が作られる時に判っていたことだ。文科省は「手引き」を作って指導マニュアルを教員に会得させようと必死だ。武道は身体で覚えていかなければ、身につくことはない。受身程度で乱取りはしなくても良いそうだ。そのような「柔道」が、何故必修になったのか、不思議だ。日本の伝統文化を身につけさせることが何故柔道なのか、全く見通しのない方策だった。彼らなりの意図があったのだが、それは今問わない。学区選択制と同じように、いやこれまでの、いわゆる中教審路線という文科省の方策と同じように、早晩失敗が目に見えてくるだろう。

だが、この方策の最大の被害者は子どもだ。この中教審路線によって、現在の学校と子ども、教師、保護者がどのようになったか、それを見れば明瞭だ。

消費税についても同様だ。国会では橋本内閣の時の増税によって消費が冷えてしまったことを認めているにもかかわらず、或いは輸出産業がびた一文も消費税を支払っていないことを認めているにもかかわらず、さらには企業が海外にでていく理由が鮮明になっているにもかかわらず、ウソとデマを振りまいているのだ。

これまで述べてきたように、政治の失敗に対して、実は誰も責任を取っていないで平気な顔をしているのが、日本の体質だろう。責任者たちの中には大好きな「サムライ」らしく腹を切った人間は誰もいない。天皇にして然りだ。

そうした今日のニッポンを1993年の段階で予言していた企画があった。それはNHK取材班編「責任なき戦場 インパール」である。さらに大江志之夫「日本の参謀本部」中公新書1985年である。

最近、やはりNHKで放映され、単行本になった「日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦」新潮社がある。

字数があるので、「責任なき戦場 インパール」のみ掲載しておこう。

 失敗すべくして失敗した作戦
 戦後、彼は、さまざまな書物でインパール作戦失敗の責任を糾弾され、その世論に押されて、いろいろ感じるところがあったようである。自らの『回想録』にも、責任を痛感している、申し訳なかったという言葉が見られる。
 しかし、昭和三七年になって、イギリス軍の元中佐アーサー・ハーカー氏から届いた手紙が、牟田口の心境に変化をもたらした。
 バーカー氏は、自分の回想録を書くために、牟田口に日本軍の作戦時の動きを質問してきたのである。そして、その手紙の中に、日本軍にも勝つチャンスがあったのに、どうしてもうひと押しをしなかったのかという質問が書かれていた。牟田口はこれを読んで、狂喜した。
 「自分は間違っていなかった。私の言う通りにやっておれば勝てたのだ」
 牟田口は、バーカー氏との往復書簡を中心に、自分がいかに間違っていなかったかを文書にまとめ、関係各方面に配った。その中では、河辺方面軍司令官をも激しく非難している。
 インパール作戦に関わった陸軍の指導者たちは、ほとんどその責任を問われることはなかった。作戦決定当時の参謀総長杉山元元帥は、小磯内閣で陸軍大臣となった。南方軍総司令官の寺内寿一元帥は、終戦までその職に留まり、南方地区の全ての作戦を指揮した。
 太平洋戦争では、各地区の作戦の失敗について、大本営や軍の指揮官、参謀が責任をとらされることは、まずなかった。むしろ、現地へ赴いて苦労すれば、彼らを慰労しようという空気の方が強くなった。作戦失敗の犠牲は、全て前線の将兵たちに集中したのである。
 インパール作戦は、そうした日本陸軍の組織としての欠陥が、如実に現われた作戦だっ
た。失敗すべくして失敗した、典型的な作戦だった。
 そして、そのかつての日本車の組織としての根本的な欠陥は、五〇年後の今も、日本の
さまざまな組織の中に棲んでいる。政党や官僚、企業といった現代の組織の中で、インパ
ール作戦と同じような事態を招き、失敗を繰り返している。組織の中に生きる人々一人一
人が、思い当たるところがあるにちがいない。

 「日本的組織の体質」
 権力を持ち、その権力を使って多くの人々、すなわち国民を動かしていくのが政治である。その政治が、誤った方向にいった時、権力を待った人間よりも、権力によって動かされた人々に多くの犠牲者が出る。それは、いつの時代、どこの国でも歴史の不変の真理である。
 インパール作戦は、戦略が政略に負けた作戦だとよくいわれる。戦術的にいえばとうていできるはずのない作戦が、東条首相をはじめとする時の権力者の政略によって発案、認可され、実行されてしまった。
 こうした権力を持ったひと握りの者の声が、やがて組織、ひいては国家全体の意志としてまかり通ってしまうということは、あってはならないことのはずである。しかし、現在の日本では、似たようなことが日常茶飯事に、さまざまな組織で起きている。また行なわれている。
 外国からのさまざまな声、国際貢献の有り方など、現在の日本は、日本だけで生きてはいけない「世界の中の日本」としての難問を山ほど抱えている。そうした問題を解決していく上で、まずやらなくてはいけないのは、そのような「組織体質」の根本をつきとめ、改善することではないだろうか。
 あれから五〇年たった今の日本でも、「悲劇のインパール作戦」は起こり得ないとはいえない。

どうだっただろうか?まるでフクシマを予想したかのような「総括」だ。だが、実は「現在の日本では、似たようなことが日常茶飯事に、さまざまな組織で起きている。また行なわれている」という指摘が示しているように、政府や企業だけでないことが判る。政党も然りではないだろうか?

この「総括」を真に国民のものにするためには、国民自身が、ものを言い続けることだろう。民主主義とは「国民が主人公」ということだからだ。「主人公」とは、自分の考え・取り組み・所属する組織に対して責任を持つということだ。傍観者でないのだ。

このことは、インパール作戦の際に、途中で兵の命を無謀な作戦から守るために、軍規に反して自分の師団を撤退させた第31師団の佐藤幸徳師団長の知見・先見性・勇気・良心・正義に学ぶ必要があるということだ。

日の本の戦略もなきマツリゴトいつになるらむ峠越ゆるとき
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東電株主訴訟が見せる次なる時代への可能性=資本家の社会的責任を考えてみた

2012-04-04 | 日記
東電の一般株主が東電経営陣(米資本・日本独占資本・国家)に対して果敢に挑んだ訴訟の意味を考えてみた。以下各新聞を掲載してみる。

東電歴代経営陣に5兆5千億円求め株主代表訴訟(2012年3月5日21時33分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120305-OYT1T01122.htm
横断幕を持って東京地裁に向かう、東電株主代表訴訟の原告ら=多田貫司撮影
 東京電力福島第一原発事故で巨額の損失が生じたのは、東電の歴代経営陣が地震や津波への対策を怠ったためだとして、同社の株主が5日、現・元取締役27人を相手取り、5兆5045億円の損害賠償を同社に支払うよう求める株主代表訴訟を東京地裁に起こした。
 原告側代理人によると、国内の訴訟では過去最高の請求額という。 提訴したのは、市民団体「脱原発・東電株主運動」のメンバーらで、事故当時、福島県内に住んでいた4人を含む42人の株主。文部科学省の地震調査研究推進本部が「マグニチュード8クラスの地震が三陸沖から房総沖で起こりうる」との見解を発表した2002年以降の取締役に賠償を求めている。 株主側は昨年11月、同社監査役に対して歴代経営陣への提訴を求めたが、監査役が応じなかったため、会社法の規定に基づき株主代表訴訟に移行した。請求額は、政府の第三者委員会が試算した事故被害者への賠償額や廃炉費用を基に計算した。 提訴後に記者会見した原告団事務局長の木村結さん(59)は、「東電の株主総会で長年、原発の危険性を訴えてきたが、取締役は耳を貸さなかった。責任を明らかにしていきたい」と話した。 東京電力広報部の話「訴訟に関することは回答を差し控えたい」

東京電力:株主、5.5兆円請求 代表訴訟、経営陣27人相手取り毎日新聞 2012年3月6日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120306ddm012040049000c.html
 福島第1原発事故で東京電力が巨額損失を出したのは歴代経営陣が地震や津波対策を怠ったためだとして株主42人が5日、勝俣恒久会長ら新旧役員27人を相手取り総額5兆5045億円の損害賠償を同社に支払うよう求める株主代表訴訟を東京地裁に起こした。原告代理人によると、国内の民事訴訟として過去最高の請求額。記者会見した河合弘之弁護士は「集団無責任を是正し、他の原発の再稼働も防ぎたい」と話した。【野口由紀】
 事故当時の役員18人のほか、文部科学省が三陸沖でマグニチュード(M)8クラスの地震が起きるとの長期評価を公表した02年7月以降の社長、会長、原発担当の役員が対象。 訴状によると、請求額は政府の第三者委員会が試算した13年3月末までの東電の損害額や廃炉費用に基づき算出。賠償金を回収できた場合、原発事故被害者への損害賠償に充てるよう求めている。 原告らは02年7月の長期評価のほか▽08年春に明治三陸地震(1896年)級のM8・3の地震が福島県沖で起きた場合に最高15・7メートルの津波が同原発に来るとの社内試算があった▽09年に原子力安全・保安院から貞観(じょうがん)地震(869年)を踏まえた津波対策の検討を促されていた--などと指摘。警告に対する具体的な対策を怠り、莫大(ばくだい)な損害を生じさせたとしている。
 原告は、脱原発を求めてきた首都圏の個人株主が中心で、事故時に福島在住だった株主4人を含む。株主は昨年11月、東電の監査役に歴代経営陣を相手取って損害賠償訴訟を起こすよう求めたが、東電側は今年1月に提訴しないことを決めていた。
 ◇93年の法改正で高額賠償相次ぐ
 損害賠償訴訟では、原告側が負担する手数料(印紙代)は請求額に比例するが、株主代表訴訟は93年の商法改正で一律8200円(現在1万3000円)と定められた。役員に対し会社に賠償を支払うよう求める訴訟であるため、原告個人に直接の金銭的利益がないという理由からだ。 改正後は代表訴訟が増加。蛇の目ミシン工業の利益供与事件を巡る訴訟で、東京高裁が08年4月に583億円の賠償を命じるなど、高額賠償を認める判決が相次いでいる。【野口由紀】

東電株主42人、歴代役員に5・5兆円賠償求め提訴2012.3.5 22:53 [放射能漏れ]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120305/trl12030522530005-n1.htm
 東京電力の福島第1原発の事故で、経営陣が地震や津波への安全対策を怠り巨額の損失を生じさせたとして、同社の株主42人が5日、勝俣恒久会長(71)ら歴代の役員計27人を相手取り、計約5兆5千億円を東電に賠償するよう求める訴えを東京地裁に起こした。 原告団によると、国内の民事訴訟で過去最高の請求額という。 提訴した株主は「脱原発」活動を行う市民団体の会員ら。株主側は訴状で、(1)文部科学省が平成14年、三陸沖から房総沖にかけ、マグニチュード8クラスの地震が起こりうるとの見解を公表した(2)東電が20年、社内の試算で「明治三陸沖地震(明治29年)レベルの地震が福島県沖で起きた場合、第1原発に最高15・7メートルの津波が到達する」と予測していた-と指摘。 「事故は想定外ではなく、経営陣が適切な津波対策を怠った」などと主張している。 株主側は昨年11月、東電の監査役に対し、歴代の経営陣について訴訟を起こすよう求めたが、東電側は今年1月、「法令違反などの責任は認められない」として、提訴しない方針を株主側に通知していた。 原告団は5日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見し、「事故から1年たつが、東電は一切企業責任を取っていない」と強調。「『重大な事故を起こせば、役員個人の責任が追及される』と認識させることで、原発再稼働の阻止につなげたい」と話した。

5兆5000億円賠償請求 東電株主 経営陣に代表訴訟 東京新聞 2012年3月6日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012030602000037.html
東京電力の現・旧経営陣に対し株主代表訴訟を起こし、横断幕を持ち東京地裁に向かう原告ら=5日午後、東京・霞が関で
 福島第一原発事故で東京電力が巨額の損失を出したのは経営陣が安全対策を怠ったためだとして、東京都や神奈川、静岡、愛知、福島県などに住む株主四十二人が五日、勝俣恒久会長ら現・旧経営陣二十七人に対し、約五兆五千億円を東電に賠償するよう求める株主代表訴訟を東京地裁に起こした。 株主側弁護団によると、国内の民事訴訟では過去最高の請求額。株主らは勝訴して賠償金が東電に支払われたら、被災者への弁償に充てるように同社に求めている。 訴えによると、東電は二〇〇八年、マグニチュード(M)8・3の地震が福島県沖で起きれば福島第一原発が最高一五・七メートルの津波に襲われると試算。しかし、歴代経営陣は、地震で想定される大災害の危険を認識しながらも、防波堤のかさ上げなど十分な安全対策を講じず、重大な原発事故に備えた訓練も怠り、事故で巨額の損害を生じさせた、と指摘。地震が頻発する日本で原発を建設し、運転したことの責任も重大だと主張している。 株主側弁護団の河合弘之弁護士は「歴代役員個人の責任を追及することで、原発業界にはびこる集団無責任体制を是正し、原発の再稼働を阻止したい」としている。 株主側は昨年十一月、東電の監査役に歴代経営陣への損害賠償請求訴訟を起こすよう求めた。だが東電は一月、「事故は対策の前提を大きく超える津波の影響。津波対策などについて全取締役の責任は認められない」として、訴訟を起こさないと通知していた。 東京電力は「株主の方が提訴したとの報道は認識しているが、正式に承知していない」とコメントした。

この訴訟に対して、白井 邦芳氏(危機管理コンサルタント)のブログが興味深いことを述べていたので、その部分だけを掲載してみる。

世界の企業経営陣を震撼させた「東電株主代表訴訟」がついに始まる2012年03月08日http://www.advertimes.com/20120308/article57356/
超巨額訴訟時代の到来 単純な和解よりも議論を経た国や行政との責任案分の検討を
(株主代表訴訟の流れについては「関係者相関図」を参照)
これまでにも巨額訴訟を誘引した事件は、幾つかあった。住友商事社員による銅の不正取引事件で約2850億円という巨額の損失を出したのは、当時の取締役が不正防止や調査を怠ったためだとして株主から2005億円の賠償を求める株主代表訴訟が起こされたものや、大和銀行(当時)のニューヨーク支店の不正取引にからみ、取締役及び監査役合計49人に対して1551億円の賠償を求めたものなど、当時の訴訟状況からは考えられない巨額な訴訟として新聞紙面の一面をかざった。最終的に住友商事事件は大阪地裁で4億3000万円で和解したが、大和銀行事件では同じ大阪地裁で株主側の主張を一部認め、当時の取締役ニューヨーク支店長に単独で約567億円、他の頭取を含む現・元役員11人に約262億円を支払うよう命じた後、大阪高裁で49人の被告に対して全員で2億5000万円を大和銀行へ支払う和解が成立している。一方、役員にとって最悪となった事件もある。蛇の目ミシンの株主代表訴訟では仕手集団「光進」に対して利益供与を行った旧経営陣5人に対して、1審2審ともに旧経営陣の過失を認めなかったが、最高裁まで争った結果、583億円の賠償が確定し一人当たりの賠償額はこれまでの最高額(116.6億円相当)となった。
リスク管理が経営者の重大な責任に!
株主代表訴訟が提起される訴因となるものは、主に(1)経営陣の個別的法令違反、(2)経営判断ミス、(3)リスク管理の懈怠やリスクの早期発見体制の整備不良である。最近の事例はこの「リスク管理やリスクの早期発見体制の整備」が内部統制上も重視されており、日本航空電子工業事件、高島屋事件、住友商事事件、大和銀行事件、野村証券事件などが、内部統制上の態勢に問題ありとして株主代表訴訟が提起された。・・・警告を無視し、具体的対策を講じないまま東日本大震災による莫大な損害を会社に生じさせたとして、「リスク管理の懈怠」を主な訴因として株主代表訴訟の被告となっている。5兆5045億円という賠償額は、国内民事訴訟としての最高額というばかりでなく天文学的金額である。日本の23年度一般会計歳出総額92.4兆円の約6%に相当し、米国の安全保障支出額とほぼ同じである。しかし、東電に対する株主代表訴訟のポイントは単に巨額訴訟という点よりも国や行政との間に過失相殺という考え方が適用されるかどうかにある。原子力発電所という非常にリスクを伴う運営を企業だけに依存することは疑問があり、行政や国そのものがどう関わるかが今後の課題となっている昨今、民事上の責任においても被告の弁護士団がどのような戦略で被告役員を弁護していくのか非常に興味深い。仮に国や行政の責任に及んだ場合、最高裁まで争われる可能性が高い。そのときどのような判断がなされるのか、今から注視していきたい。

資本家を「震撼」させるほどの訴訟の意味をどのように考えるか、だ。

では東電の株主=資本家の状況はどうだろうか。以下をみてみた。
http://www.tepco.co.jp/ir/kabushiki/jyokyo-j.html
大株主(上位10名)【2011年(平成23年)9月30日現在)】
株  主  名 株式数(千株)
第一生命保険株式会社 55,001
日本生命保険相互会社 52,800
東京都 42,676
株式会社三井住友銀行 35,927
東京電力従業員持株会 30,077
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 29,479
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 28,341
株式会社みずほコーポレート銀行 23,791
SSBT OD05 OMNIBUS ACCOUNT – TREATY CLIENTS 15,116
ステート ストリート バンク ウェスト クライアント トリーティー 13,675

所有者別状況(単元株) 1単元の株式数100株  2011年(平成23年)9月末
  株主数(名)   所有者別株式数(単元)       割合(%)
政府及び地方公共団体   32        434,009     2.7
金融機関   155    3,857,262          24.1
金融商品取引業者   73        304,294      1.9
その他の法人   3,950        717,664      4.5
外国法人等   947         2,348,456        14.7
個人・その他  723,676        8,338,659       52.1
合      計   728,833   16,000,344      100

この「個人・その他」株主の一握りの株主たちが、その他の株主=資本家のできないことをやったことの意味は、次代を予測させるだけの、それ相当な意味があるだろう。そのことを強調しておきたい。そこで、今回の訴訟の意味について、以下考えてみた。

1.東京都(行政)が東電の株主=税金の出資者は都民(資本家)になっている。
2.多くの個人株主が企業を支えている。
3.金融機関の出資金は個人の貯金によって支えられれている。
4.その多くの一般個人株主(資本家)が経営陣を訴える。
5.都民・貯蓄者の出資金でエネルギーがつくられている。
6.企業、株主(資本家)の社会的責任が問われている。

この企業株主・資本家の社会的責任について、聴濤弘「カール・マルクスの弁明」(大月書店)の中に以下の指摘があった。

ヨーロッパではEU委員会が、二〇〇一年に「企業の社会的責任に関する欧州枠組みの促進」という文書を作成し、ヨーロッパ内の経営者団体、労働組合、消費者団体、NGOに送付しました。ここでは企業の労働者、消費者、地域社会、環境に対する責任が明確化され、また労働者が企業の情報開示や企業との協議だけではなく、会社の意思決定に労働者を参加させることを求めています。

●日本での展望
日本でもいま次のような企業の社会的責任が求められていると思います(参照、『新・日本経済への提言』日本共産党経済政策委員会)。
 1.労働条件、雇用にたいする責任
 2.消費者にたいする責任
 3.地域経済にたいする責任
 4.環境にたいする責任
 5.土地利用にたいする責任
 6.中小企業にたいする責任
 7.海外で良き協力者になる責任
 これを具体的に実現させるためには、労働者が下から企業運営に積極的に参加していくことが必要です。地域住民、地方自治体のかかわりも重要です。

ここでは「労働者」のことが述べられているが、東電の経営者を訴えた株主(資本家)は、自分たちの「社会的責任」を以下のように述べている。
「歴代役員個人の責任を追及することで、原発業界にはびこる集団無責任体制を是正し、原発の再稼働を阻止したい」
「『重大な事故を起こせば、役員個人の責任が追及される』と認識させることで、原発再稼働の阻止につなげたい」
「集団無責任を是正し、他の原発の再稼働も防ぎたい」
株主らは勝訴して賠償金が東電に支払われたら、被災者への弁償に充てるように同社に求めている。

聴濤氏の「労働者」を「株主=資本家」に置き換えて読むと、この訴訟の意味は広がってくるように思う。以下、興味を持った部分、次代の可能性を示した部分について、掲載しておこう。

 その点では日本は新しい展望をもつことができます。日本では資本主義の枠内での民主的変革を通じて、国民合意のもとで社会主義へ進むことが展望されています。この民主主義的変革の過程で、労働者はさまざまな企業運営と計画化の訓練と経験をいっそう積んでいくでしょう。
 こういう条件のもとで労働者が、自分の利益だけでなく全国民的利益を考量して、意識的に自主的計画をたて、全国的な調整をはかって、それを遂行していくことは十分可能です。国家の側から見ても、これまでの歴史にあったように国家が考える全国的利益と、企業・労働者の利益が大きく乖離するという状況もなくなっていきます。
 いま社会主義の計画経済について語るとき、労働者は自分の利益しかわからない、企業もわからない、国家でないと社会的規模のことはわからない、という観念をきっぱりと捨てる必要があります。労働者が[主人公]というのは、こういうことでもあると思います。

こうした指摘と現実は、「日本における未来社会」への過渡的道程をも示しているのではないだろうか。以下聴濤氏の指摘をみてみよう。

マルクスは、信用制度(銀行)が資本主義を「最も巨大な賭博・詐欺制度にまで発展させるが、もう一方で「新たな生産様式(社会主義のこと―引用者)への過渡的形態をなすという性格」(全集二五巻a、五六三ページ)をもつようになると述べています。こういう点がマルクスの鋭さです。なぜでしょうか。
●「賭博・詐欺の制度」と社会主義
 第一に、信用制度は産業資本家が自己資金を十分もっていなくても、生産規模を拡大することができるように資本の貸し付けをおこない、従来国家がやっていたような巨大な企業まで産みだすからです。これはもう「社会企業」ともいえるものです。マルクスは信用制度は「個人資本には不可能だった企業」をつくりだし、「個人企業に対立する社会企業」(同上、五五七ページ)を出現させるからだと述べています。
 第二に、株式会社は資本と経営の機能を分離し、資本家を「解消」する状況をつくりだすので、株式会社は社会主義への過渡的形態になることについては、第一章で述べました。信用制度は資本を貸しつけることによってその株式会社をつくるのにもっとも適しているからです。マルクスは信用制度は株式会社の形成を促進する「主要な基礎」(全集二五a、五六二ページ)であると指摘しています。また資本を廃止する協同組合企業を「拡張する手段をも提供する」(同上)からだとも指摘しています。
 第三に、株式会社は資本が経営機能から分離し、労働も生産手段と剰余価値から分離され、所有形態としては社会的なものになるような「資本主義的生産の最高の発展」(同上、五五七ページ)をもたらします。すなわち真の社会的所有へ転化する「通過点」(同上)となります。信用制度はこういう株式会社を形成し発展させるからです。
 マルクスはこのように「賭博・詐欺」の制度のなかに、社会主義的要素を発見したのです。

どうだろうか、株主が経営陣の責任を問い、企業の経営のあり方を問い直している訴訟は、聴濤氏の言葉を借りれば「持株会社」の「資本」が「真の社会的所有へ転化」していく一つの過程を示しているように思うのだが・・・。

以上、原発利益共同体(米資本・独占資本・国家)に対して、国民的利益を擁護する株主(資本家)が国家=裁判所に堂々と訴えていることの意味について、考えてみた。このような事例が広がっていけば、日本の資本主義のありようも変わってくるのではないか、というのは問題意識だ。日本の歴史のなかで、どのような意味をもっていくか、今後に期待したい。

働けばそれなりの分(ぶん)いただける次なる代(とき)をみせる株主
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橋下市長の「君が代」斉唱時の「格好」「命令」にみる軍隊の服従精神を狙う超復古調に大喝!

2012-04-03 | 日の丸・君が代

次第次第に橋下市長の頭の中が出てきた!大阪市の発令式における「訓示」など、「君が代」斉唱に対する考え方がそれだ!以下、橋下市長の特徴的な考えを掲載してみる。

「君が代は立って歌うの当然」2011.12.7 08:45
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/111207/waf11120708450009-n1.htm
橋下徹・次期大阪市長は6日、大阪市役所内で報道陣の取材に応じ、大阪府立体育会館で7日に行われるボクシングの「亀田祭り」で国歌を斉唱することについて「(君が代を)立って歌いたくない教員にしっかり見てもらいたい」と述べた。 橋下氏が知事だった今年6月、大阪府は府内の公立学校の教職員に対し式典での国歌斉唱時の起立を義務づける条例を制定。この日市役所内で市長就任前のレクチャーを受けた後、国歌を斉唱することについての質問を受けると「君が代は立って歌うのが当然だ」と語った。

公選教育委員「財源確保もしてくれるなら大賛成」 民放テレビで橋下市長2012.3.20 21:50
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120320/wlf12032021520017-n1.htm
 また学校行事の際、教職員に国歌の起立斉唱を義務付けた大阪府、大阪市の条例にからみ、高校の卒業式で国歌斉唱時に手を前に組んだり、マスクをつけたりした教員がいたとして「国際社会においてそれは非礼。当たり前のルールを教育現場でやらないと、子供たちのためにならない」と批判した。

入庁式で橋下流訓示「公務員はルール守れ。君が代、気を付けで歌え」2012.4.2 14:13
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120402/lcl12040214140000-n1.htm
橋下徹市長は「公務員たる者、ルールを守ることを示さないと。皆さんは国民に対して命令する立場に立つ。学生のように甘い人生を送ることはできない」と訓示。退出間際には「君が代を歌うときは、手は横に、気を付け(の姿勢)で」とくぎを刺した。

君が代斉唱の時は手を横に」 橋下市長、発令式で注意2012年4月2日13時18分
http://www.asahi.com/politics/update/0402/OSK201204020055.html
冒頭、市の発令式では初めて君が代を斉唱。橋下氏は「仕事の99.9%は地味だが、0.1%は大阪を、日本を変えることができる。自分の力で大阪を変えるんだ、と思ってほしい」と激励した。「みなさんは国民に対して命令をする立場。だからしっかりルールを守らないと命令なんか誰も聞いてくれない」と服務規律の徹底を求めた。最後に「君が代斉唱の時は手は前に組むのではなく横に置くものです」と注意した。

大阪市:発令式冒頭で君が代斉唱毎日新聞 2012年4月2日 11時47分(最終更新 4月2日 12時38分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120402k0000e010179000c.html
車椅子の職員を除く全員が起立し、担当者が確認した。橋下市長は「公務員は窮屈だが、大阪、国家を変えられる仕事。もらっている税金の1000倍ぐらい市民に還元してほしい」とあいさつ。退場前、新職員らに「国歌を歌う時、手は横に。前に組むのは国際社会では格好悪い」と注文をつける場面もあった。新卒採用の女性職員(25)は「国歌を歌うのは当たり前で抵抗はない。公務員としてしっかりルールを守りたい」と話した。

大阪市、発令式は君が代斉唱から2012年04月02日(月) 14:56
http://www.ohbsn.com/news/detail/zenkoku20120402_44815.php
橋下市長は訓示で「公務員は責任のある重い仕事」と激励しました。
 「命令する立場に立つというのは非常に重い仕事、やりがいもあります」(大阪市 橋下徹市長) そして最後には・・・ 「国歌、君が代斉唱のときには、きちんと手は横、『気をつけ』。国際社会で外国に行ったとき、手を前に組んでいたら格好悪い」(大阪市 橋下徹市長)


一読してみて、思想も論理もおかしい!と判る。しかも、この発言を読むと極めて復古的な思想と論理が見えてくる。それにしても彼の頭の中の構造、復古調の源流がよく出た発言だ。以下まとめてみよう。

1.「君が代は立って歌うのが当然だ」
2.「卒業式で国歌斉唱時に手を前に組んだり、マスクをつけたりした教員」は「国際社会においてそれは非礼」で「当たり前のルールを教育現場でやらないと子供たちのためにならない」と。
3.「君が代を歌うときは、手は横に、気を付け(の姿勢)で」と発展させている。
4.「みなさんは国民に対して命令をする立場。だからしっかりルールを守らないと命令なんか誰も聞いてくれない」と「公務員は命令する立場」だと言っている。だからルールを守れと。ルールは国民に命令するためと言っているのだ。
5.「国歌を歌う時、手は横に。前に組むのは国際社会では格好悪い」と「格好が良いか、悪いか」の問題になってしまっている!
6.「国歌、君が代斉唱のときには、きちんと手は横、『気をつけ』。国際社会で外国に行ったとき、手を前に組んでいたら格好悪い」とも言っている。

さて何が復古的か!
1.国際社会における「非礼」論についてだが、この思想は、以下の文書にあった。文字は現代用になおして。
児童用 尋常小学修身書 巻四 文部省(昭和二年十月十九日文部省検定済)
第二十二 国旗
国旗はその国のしるしでございますから、我等日本人は日の丸の旗を大切にしなければなりません。又礼儀を知る国民としては外国の国旗もさうたうにうやまはなければなりません。

橋下市長の論理とよく似ているだろう。「修身」の論理。だが「非礼」はどちらにあるか、明瞭だ。
(1)「修身」で子どもに「礼儀」を説教した天皇政府は、李王朝を倒し、大日本帝国憲法下に置きながら、選挙権を与えず、創氏改名など、朝鮮文化を否定したこと。これは「無礼」ではないのか!
(2)最近ようやく「明成皇后国葬都監儀軌」を返還したことは「無礼」ではないのか?
(3)天皇政府の「日の丸」「礼儀」論は、戦後において、いや橋下市長において受け継がれているのだが、「非礼」どころか「無礼」なのはどっちだ!
(4)しかも過去の政府の行為によって引き起こされた戦争の惨禍について、明確に謝罪しているか!これこそ道徳に違反しているし、憲法のルールに違反しているのではないか!

2.「君が代」斉唱時の姿勢について、これも大爆笑もんだ!この発想こそ「維新」しなければならないのだが、復古そのものだ!同時に橋下市長の思想がよく出ている!
(1)まず「気をつけ」だ。
これは軍隊の姿勢だ。これから命令するから、「気をつけて」よく聞けということだ。
この源流は「武士道精神」にある。これを西周がまとめた「軍人訓戒」の「三大元行」=「忠実」「勇敢」「服従」の徳だ。これがさらに「軍人勅諭」に発展していくのだ。以下五つの「徳目」だ。
軍人は忠節を尽すを本分とすへし
軍人は礼儀を正くすへし
軍人は武勇を尚ふへし
軍人は信義を重んすへし
軍人は質素を旨とすへし

軍人を「公務員」に置き換えてみれば、よく判る。

(2)次に、「ルール」を守れというが、これは「服従」を強制しているに過ぎない。
これは、1909(明治42)年の『歩兵操典』を見れば明瞭だ。
不動ノ姿勢ハ軍人基本ノ姿勢ナリ、故二常二厳粛端正ナラザルベカラズ、軍人精神内二充ツルトキハ外容自ラ厳正ナルモノトス、不動ノ姿勢ヲ取ラシムルニハ左ノ号令ヲ下ス
気ヲツケ

となる。これを繰り返し繰り返し徹底するのだ。「鍛錬」「訓錬」「錬成」だ。「錬」は「錬」ではないのだ。

学校においては「体操」(体育ではなく)において、さらに儀式において、「修身」の時間において、などなど、だ。

そして軍隊においては、内務班において、だ。ここでは身体で覚えさせるために「私的制裁」=リンチが横行した。西周は「器械仕掛」「メカニズム」と呼び、「人ヲ器械ノ如ク用フル」と意味づけた。そうして天皇の「股肱」としたのだ。

一貫して「気をつけ」で徹底していくのだ。「絶対服従」なのだ。

以上、橋下市長の発言の源流を大まかに指摘してみた。彼の頭の中は「教育勅語」の思想だが、これについては、今後さらに分析してみたい!

ここで橋下市長の「非礼」論を地で実践した人間が第一の部下にいたことを指摘しておこう。この歴史は永遠に忘れられないだろう。以下検索してみてほしい。ホント!アホとちゃいますか?

橋下徹 君が代
http://www.dailymotion.com/video/xmthux_yyy-yyy_webcam#
【大阪】 橋下新市長、松井知事がリングで君が代斉唱 「人には『大きな声で歌え』と言っているのに」と苦笑い…WBA世界戦
http://pika2.livedoor.biz/archives/3719763.html

大君の鋳型にはめし臣民を主権の真逆亡霊のごと

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迫り来る列島大地震・津波・放射能の危機に資本主義政権は国民の命や財産を守れるか!

2012-04-02 | 日記
昨日のNHKスペシャル「巨大地震メガクエイクⅡ/ 日本の地下で何が」を視た。
詳しくは以下にアクセスしてほしい。
http://tomzakki.blog117.fc2.com/blog-entry-2914.html
http://datazoo.jp/tv/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB/555053

この番組に関連して以下の動画が参考になった。
東日本大震災の地震により発生した日本列島のズレ(動画)
http://naglly.com/archives/2011/04/displacement.php
3月9日から14日の間に起きた震災前後の震源地をアニメーション化(動画)
http://naglly.com/archives/2011/04/earthquake-animation.php

日本列島の大地そのものが、いや地球そのもののが、これまで以上に動き出したというのが、率直な感想だ。

こうした異常は、すでに石橋 克彦「大地動乱の時代―地震学者は警告する」(岩波新書) 1994/8/22にあったが、映像の威力だろうか、想像・創造を絶するものだった。

駿河トラフ上にある浜岡原発の危険性など、原発の危険性を告発していた「赤旗」の認識も、大地震と原発を結びつけるという点で、10年前には弱かった。
地震活動期に入った日本列島 2003年8月30日(土)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-08-30/04_02.html

そこで、だ。二つの社説を掲載を読んで、日本列島の「危機」に資本主義の枠組みをもつ政権が、国民の命と財産をも守れるかどうか、考えないわけにはいかなかった。
「危機」=クライシスは「分岐」をも意味する。どんな分岐点となるか、現在の「政局」をはるかに超えた視点での国民的議論が必要だろう。

【東京社説】南海トラフ巨大津波 生きるために、逃げる 2012年4月2日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012040202000057.html
 東海、東南海、南海の連動地震は三十メートル級の大津波を起こすという国の推計が公表された。生きるために逃げよう。3・11の教訓を生かさねばならない。
 東日本大震災は想定になかった震源域の連動が起き、マグニチュード(M)9・0の巨大地震となった。これが東海沖から九州沖で発生したら、と不安を抱くのは当然である。
◆甘かった三連動想定
 政府は二〇〇三年、東海、東南海、南海の三連動地震をM8・7級で、神奈川から宮崎まで二十府県で震度6弱以上の揺れに見舞われ、三重や高知県などに十メートル超の津波が押し寄せる、と想定値を公表した。ところが、それがまるで甘かったのである。
 内閣府の有識者会議は昨年末、東日本大震災の教訓を踏まえ、駿河湾から高知県沖にかけての約六万平方キロとしていた震源域を、東は富士川河口断層帯の北端に、西は日向灘南西部までの約十一万平方キロに拡大、M9級を想定した。三連動というよりも、東海沖から九州沖の海底に延びる南海トラフ(海溝)の巨大地震と位置付け、科学的に考え得る「千年に一度」の最大級の津波高と、震度分布を検討し直した。
 それによると、津波は高知県黒潮町の三四・四メートルが最も高く、静岡、三重、愛知県でも二十メートルを超える地域がある。〇三年想定値と比べ軒並み二~三倍。中部電力浜岡原発のある静岡県御前崎市も二十メートル超だ。津波高は断層の滑る場所や海底の地形によるとはいえ、推計値を基にした対応が求められる。
 国は昨年末、防災基本計画を修正し、最大級の津波は海岸堤防などハード面の対策では防ぎ得ないことから「逃げる」を最優先し、避難完了の目安を「原則徒歩で五分」と打ち出した。
◆より早く、より高く
 南海トラフ巨大地震の震源域には沿岸直近部も含まれる。今回推計によると、静岡、三重県などには津波がわずか二~三分で到達する可能性がある。揺れている間に津波が来るわけだ。沿岸自治体が見直す地域防災計画では、より早く、より高く「逃げる」ことを重視しなければならない。
 各地で津波タワーの建設や避難ビルの指定などが進んでいる。しかし、限界もある。通信や交通の混乱で避難誘導できなかった現実を、私たちは東北で見た。沿岸の自治体には、より具体的な避難行動計画が欠かせない。住民も津波高と到達時間の予測を知り、まず自分が、家族が、どう逃げるかを確認しておくことが必要だ。
 三重県尾鷲市は十年前から「揺れてから五分で逃げれば被災者ゼロ!」をスローガンにしている。高齢者ら避難困難者をどう逃がすか、が大きな課題に浮上している。地域で守る、という視点も不可欠だ。
 予防的なこんな取り組みもある。駿河湾最奥部の静岡県沼津市内浦重須地区は高台への集団移転を目指している。安政東海地震(一八五四年)では六・二メートルの津波が襲ったとされる。同市の今回推計値は最大一三・二メートル。予防措置での高台移転は例がないが、安心を求めた選択は参考にしたい。
 今回推計の震度分布は〇三年想定と比べ、激しく揺れる最大震度7を七県三十五市町村から、面積で二十倍以上の十県百五十三市町村に広げた。非耐震化住宅が耐えられないとされる震度6強以上も二十一府県にまで拡大した。東日本大震災の大津波と、阪神大震災の建物倒壊が同時に起こるようなものだ。
 政府の地震調査委員会は南海トラフ巨大地震について、今後三十年間の発生確率を算出する予定だ。現在は統計学的に東海88%、東南海70%程度、南海60%程度-と示されている。新たに科学的な知見を加味し検討する。
 しかし発生確率を示されて、国民はどれだけ実感できるだろうか。最近、首都直下型地震の確率が研究者・機関によって異なり、人々を惑わせたことがあった。肝心なのは、いつ起きてもおかしくない、と思うことだ。
◆想定作れば想定外も
 国の地震対策を裏付ける特別措置法は、予知を前提とした東海と、予知を前提としない東南海、南海に分かれている。二つを一本化した特措法が必要なのは論をまたない。それにとどまらず、代替機能を果たす日本海側の道路、鉄道、港湾をどう使うかや、より広域的な応援態勢を想定した訓練にも取り組みたい。
 巨大地震・津波の想定を作る利点はもちろんある。しかし、それは想定外を作ることにもなる。予測はあくまでも予測である。外れることもある。東日本大震災時の混乱を繰り返すわけにはいかない。備えは、私たち一人一人が考え、行動することから始まる。

東電公的資金 国の過剰介入は避けるべきだ(4月1日付・読売社説)(2012年4月1日01時29分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120331-OYT1T00808.htm
 東京電力は、公的資金1兆円の資本注入を、政府の原子力損害賠償支援機構に申請した。
 損害賠償の支払いにあてる資金援助も約8500億円を追加申請した。
 東電が、福島第一原子力発電所の事故に伴う損害賠償や廃炉、火力発電の燃料費などの負担で、債務超過に陥りかねないためだ。
 事故収束、損害賠償、電力供給の責務を、東電がしっかり果たすよう、政府が新たに資金注入するのはやむを得ないだろう。
 実現すれば、東電への公的支援は、これまでの実施分も含めて約3・5兆円に達する。
 問題は、注入の前提となる東電の事業計画作りが遅れていることだ。東電への国の出資比率や、勝俣恒久会長の後任人事の調整が難航している。東電と支援機構は、計画策定を急がねばならない。
 枝野経済産業相は、国が東電株の議決権の過半数を握り、一気に国有化する構えを見せている。これには東電が反発している。過剰な経営介入で民間活力を奪うのは本末転倒だ。国による短兵急な経営支配は避けるべきだ。
 もちろん、公的支援を受けている東電の経営に、国が一定の関与をして、合理化などを進めていかなければならない。事業計画案で今後10年の経費節減を従来の2・6兆円から3兆円以上に上積みしているのは妥当といえる。
 それでも廃炉や除染の費用を賄い切れまい。電力事業の収益向上が不可欠だ。そのため、原発の早期再稼働が必要だ。一定の電気料金値上げも仕方なかろう。
 ところが、値上げを巡る不親切な説明など東電の失態で逆風は強まった。徹底した意識改革なしに利用者らの理解は得られない。
 事業計画には、火力発電所売却や、発電、送配電など事業別の社内カンパニー制導入も盛り込まれる方向という。しかし、発電所の切り売りや組織の分断は、電力の一貫供給体制を綻ばせ、事業基盤の強化に逆行する恐れもある。
 東電の組織再編を突破口に、発送電分離など電力改革に道を開きたいとする、経産省などの思惑がうかがえる。業界全体にかかわるテーマは東電問題と切り離し、じっくり議論すべきだ。
 賠償や廃炉費用が巨額になれば東電の返済は何十年も続く。将来展望が開けず人材が流出し、電力供給体制も揺らぎかねない。
 原発事故は、原子力政策を推進した政府の責任も重い。東電だけに負担を押しつける制度を改め、政府の責任を明確にすべきだ。

どうだろうか?これまで以上に大地が動く危険性が迫っているというのに、その上に乗っかっている原発を止め、管理するのではなく、再稼動が、今もって焦点になっている。しかも電力会社に税金を投入して「保護」するのだ。原発をつくり、政権を支えてきた読売が、政権の責任を問いただしているという滑稽さがにじみ出ている。

だが、このこと同時に、生産手段の社会化の必然性を示しているのではないだろうか?公的支援を受けた企業の社会的責任は、いっそう厳しく問われていく。だからこそ、真逆のイデオロギーが注入されるのだ。それを示した記事を紹介しておこう。

以下の記事をみれば、生産力(卵)が資本主義的生産手段(殻)を打ち破り、新たな雛を誕生させる段階がきていることを、小さいが示しているのではないだろうか?

#akahata なんだっけ? 東電に公的支援?/3.4兆円超 負担は国民・・・今日の赤旗記事よりhttp://blog.goo.ne.jp/uo4/e/29901b7be465a72fe2f9763b6f38b368
#akahata 大飯 原発マネー1674万円 耐性試験審査4委員に/三菱や原産協会から・・・今日の赤旗一面http://blog.goo.ne.jp/uo4/e/b328b315ad10e497620dcc238ea44b5c

だが、こうした発展段階はすんなりすすむものではないことは歴史が示している。徳川政権の胎内に作り出されていた資本主義の芽に対して、「ペリー来航」に象徴される欧米資本主義の生産力と思想がどのような影響を与えたか、それを観れば明瞭だ。

原発に巣食う原発利益共同体(米資本と大企業)の枠組みをどのように国民の命や財産を守る枠組みに変革していくか、そうした段階に到達しているように思える。

そうした段階を踏まえると、現在の「政局」に対して、何を提起していくか、国民的議論が必要だろう。

胎内に生まれし命活かす時母なる大地熱きエネをこそ
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東京で破綻した新自由主義教育を大阪でやろうとする橋下教育の愚策から学ぶべきこと

2012-04-01 | 日記
とうとう学校選択制の破綻が白日のものとなった。10年かかった。親や子どもの「要求」というふれこみで破綻した中教審路線の破綻を取り繕うために「自由」化として発せられた学校選択制だった。
「朝日」の記事は39面に小さい記事だが、本来はもっと大きな扱いでなければならない。これは邪論からすれば、マスコミの橋下応援団ぶりが改めて鮮明になったということだ。

本来であれば偽りのリストという「やらせ」は徹底して追及されなければならないほど、恥ずべきことだったが、事態は、今の所全く逆の方向にすすんでいる。

そうした事態を裏付ける事態が首都東京の特別区において起こったにもかかわらず、記事としては見過ごすほど小さい記事だったことが、何よりの証拠だ。

以下記事を掲載しておこう。
学校選択制廃止へ  杉並区、東京23区で初2012年3月31日17時34分
http://www.asahi.com/edu/news/OSK201203310060.html
 東京都杉並区教委は、小一中学校で実施している学校選択制を2016年度に廃止する方針を決めた。競争原理導入による学校活性化を目指したが、校舎の新しさなど、教育内容と関係ないことで学校が選ばれる傾向があるためという。
 学校選択制は、一定の地域内で、通いたい学校を自由に選べる制度。東京23区のうち19区が選択制を導入しているが、廃止方針を決めたのは杉並区が初めて。杉並区が導入から10年になるのを機に検証したところ、一部の学校に人気が集中したり、事実に基づかないうわさで希望者が激減したりするなどのデメリットが目立つてきたという。
 PTA役員や校長らを対象にしたアンケートでは、3分の2が「制度の廃止か見直しを」と回答した。
 内閣府の2009年の調査では、学校選択制を導入した自治体は、小学校で12・9%、中学校で14・2%。「地域活動の衰退」「人気校、不人気校が固定化した」などを理由に前橋市、長崎市、東京都多摩市なども制度の廃止や廃止方針を決めている。(編集委員・西見誠一)

橋下市長、学校選択制を26年度に導入へ 2012.1.16 23:21 [激動!橋下維新]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120116/waf12011623230022-n1.htm
 大阪市の橋下徹市長は16日、市長選のマニフェストに掲げていた市立小中学校の学校選択制について、平成26年度から導入する方針を明らかにした。24年度に制度をつくり、25年度に保護者に周知。同年秋には、26年春入学の児童を対象に希望調査を行う見通しという。
 この日の市議会決算特別委員会で答弁した。橋下市長は、市内24区一律の導入を基本としたが、「保護者の選択肢を考えると地域の実情を踏まえる必要があり、止めてくれという区は外していく」とも言及。判断は、新たに選ぶ公募区長に委ねるとした。
 学校選択制の具体的な形態について市教委は、希望校を区内全ての学校から選ぶ「自由選択制」▽区内をブロックに分け、その中から選ぶ「ブロック選択制」▽従来の通学区域を残し、隣接区域内から選ぶ「隣接区域選択制」-などを検討している。市立小中学校は計425校。仮に自由選択制が導入されれば、学校数が最も多い平野区の場合、区内の23小学校と11中学校から進学先を選べる。
 また、橋下市長は住民票の写しや印鑑登録証明書などの各種証明書をコンビニエンスストアで発行できる制度を26年度中に導入する方針を表明した。報道陣の取材には、市職員の人件費をめぐり、市職員給与を府庁職員並みにあわせると、全会計で約120億円の削減効果があるとの試算にも言及。現業職員の給与を同業種の民間並みに下げるなどの対応で、さらに削減効果が期待できるとした。


要するに、競争というアメをぶら下げて、言うことを聞かない職員には「ルール」というムチをもって脅し、新自由主義政策を推進しようということだ。このことは行政の「無責任」の拡大、住民の「自己責任」を拡大しようということだ。これは小泉構造の結果で証明されていることだ。

その破綻を、新しい装いをもって、橋下維新の会が行き詰まった政治を利用(悪用)して、新たな国民収奪装置を造ろうとしていると考えておくことだ。

これをどのように打ち破るか、これが、国民に試されているのだと思う。

とりわけ重視しなければならないのは、橋下市長を支持する国民の意識分析をすることが、今最も重視されなければならない。橋下市長がウソとペテンと恫喝で大見得をはっているのは、俺を支持している国民がいるという「驕り」だ。

その国民の意識をみると、今多くの国民は「身を切る」論を支持していることだ。だが、この行き着く先に何があるか、想像できているだろうか?

それに付随して、もう一つあげるとすれば、「共助・相互扶助・オールジャパン」論があ一見すると当たり前の議論だが、一つには、「相互」「オール」にはなっていないことをゴマカストリックがあることだ。AC広告が、そのことを示してくれた。二つ目は、国民の相互間格差が仲間割れ・国民分断を誘発していることだ。国民同士が連帯しにくい状況がつくられていることだ。

「公務員は楽だ」「民間は違う」「正社員はいい」「非正規はよくない」「ホームレスはクズだ」「生活保護者がパチンコをしている」「老人はカネを使うところがないので老齢加算など不必要」などなど、上げればキリがない。

こういう国民の意識状況=イデオロギー状況をどう克服していくか、これが最大の課題だろう。

今階級対立と階層分断と対立はゴチャゴチャになっているといえないだろうか。人間は自分の立っているところから、ものを見る。当然だ。だが、見方を変えて、逆の方からものを見るということは、なかなかできるものではない。

「地球が丸い」ということは自分の生活点では全くわからない。このことは将棋を指している人は体験していると思う。同時に地震は津波の映像を見てきた日本国民が、今回の東日本大震災の祭にどのように受け止めたか、スリーマイルヤチェルノブイルをどのようにフクシマと重ね合わせていたか、そうした事実を、さらに検討していく必要があるだろう。

以上のようなものの見方と考え方をどうやって構築するか、それが、今国民的連帯を作り出していく上で緊急の課題だろう。

杉並の学校選択制の廃止と橋下維新の会の教育政策を重ねながら、今国民がどういう位置にあるか、そのことを考えて解明していく必要があるように思う。

誤りはいつでも誰でも犯すとふ誤り正す途を探さむ
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