会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

会津の名庭 攬勝亭

2014-01-24 18:08:10 | 地域情報
2014年1月24日(金)曇 1.7℃~-10.6℃

会津の庭園番付一覧をみると昭和8年ころには多くの庭があった。その多くは戊辰戦争(会津戦争)後、会津藩は下北半島陸奥に移住し斗南藩となった。会津藩の土地は国有地となる。その後廃藩置県や地租改正により土地の払下げが行われた。
 ※『地租改正(ちそかいせい)とは、1873年(明治6年)に明治政府が行った租税制度改革である。また、この改革により日本にはじめて土地に対する私的所有権が確立したことから、地租改正は土地制度改革としての側面を有している。』

 払下げに応じたのは城下や本郷・高田などの商人や農民など財力を持った人たちだった。
 家老内藤家や周辺は裁判所や若松県庁などの役所となり白露庭が残っている。その他番付の横綱、大関などの庭は会津藩士の庭であり、昭和の終わりころまでは料亭や旅館の庭として鑑賞できた。しかし、諸事情から廃業が相次ぎ番付に載っている庭はほとんど残っていない。残っていても私邸であり管理維持が大変だそうです。10数年前番付の庭を見学し、写真を撮りまとめてみたいと数人で計画したが実現できず終わってしまったのが心残りである。庭が次々と消えていく中、下町の名庭は手入れはままならないが残っている。持ち主の方は維持管理が大変でしょうが、歴史的に意義ある庭なので手入れをし一般公開していただければありがたい。市としても観光施設として指定し補助費などの援助を考えてもらいたい。
 以下記事と一部写真は“西若松方面のホーム”ページより借用しました。




 
⇒攬勝亭への交通
会津若松駅より車で10分程度。
現在は私有地になる為、基本的には非公開。
(元佐藤歯科医院敷地内)

福島県会津若松市柳原町

 攬勝亭は天元年間に景勝地とされた庭園に、保科正之が名づけ、三代正容が目黒浄庭に改築させた庭園。
 御薬園・可月亭とともに会津三庭とされ、容敬を補佐して信任の篤かった家老で丹羽五郎の曽祖父、丹羽能教が隠居後に住んでいた事もあったそうです。
 現在は、この庭園と茶室(?)位しか残されていないそうです。
木製の表門に僅かに「攬勝亭」の文字が書かれた看板が掛かっています。 庭園内には容保公の
 「風をのみいとひし庭のもみぢばを けふは雨にも散らしぬる哉」という碑が建立されているそうです。(…歌碑らしいのはあったのですが、磨耗しきってて文字が読み取れないので確信が…)

※一時荒れ果てていたが、最近は管理する方がおられきれいになっている。