僕が大學予科に入学したのは昭和23年4月、まだ都内には焼跡が
あちこちに残っていた。教室に入ると驚いた。級友の中には階級章を
とっただけの将校服を着た、復員帰りの”おじさん”が数人もいた。
まだ食糧難で、入学してまもない6月から学校は夏休みに入った。
そんな時代であった。
きのう都内の学会で特別講演したYさんも復員帰り。大正9年生まれ、
誕生日がくれば86歳、僕より約ひとまわり違う。講演内容は学会の
研究発表とは異なる彼の戦争体験である。Yさんは九州出身で、苦学
して昭和16年3月、旧制の夜間中学校を卒業、そのまま郷里の歩兵
連隊に入隊。戦争開始とともにフィリピン、ジャワの上陸作戦に参加、
さらに南冥の東ティモールの地に3年いて、昭和22年に復員という
”歴戦の勇士”である。
Yさんは実に6年余、貴重な青春を戦争のために費やした。6年と
いえば子供が小学校に入学して卒業する時期とおなじである。Yさんは
自分の息子や孫の年代の研究者に対して講演の最後にいった。
「皆さんは最高の幸せ者です、徴兵制度のない国で研究に没頭できる
のですから」86歳の老研究者の言葉には実感があった。
あちこちに残っていた。教室に入ると驚いた。級友の中には階級章を
とっただけの将校服を着た、復員帰りの”おじさん”が数人もいた。
まだ食糧難で、入学してまもない6月から学校は夏休みに入った。
そんな時代であった。
きのう都内の学会で特別講演したYさんも復員帰り。大正9年生まれ、
誕生日がくれば86歳、僕より約ひとまわり違う。講演内容は学会の
研究発表とは異なる彼の戦争体験である。Yさんは九州出身で、苦学
して昭和16年3月、旧制の夜間中学校を卒業、そのまま郷里の歩兵
連隊に入隊。戦争開始とともにフィリピン、ジャワの上陸作戦に参加、
さらに南冥の東ティモールの地に3年いて、昭和22年に復員という
”歴戦の勇士”である。
Yさんは実に6年余、貴重な青春を戦争のために費やした。6年と
いえば子供が小学校に入学して卒業する時期とおなじである。Yさんは
自分の息子や孫の年代の研究者に対して講演の最後にいった。
「皆さんは最高の幸せ者です、徴兵制度のない国で研究に没頭できる
のですから」86歳の老研究者の言葉には実感があった。