また中国東北部(旧満州)松花江で旧日本軍の有毒化学兵器がみつかった
との情報を受け、専門家チームが派遣され調査中である。専門家でない
ので詳しいことはわからないが、この地域での各種遺棄兵器の数は70
万発ともいわれる。このうち有毒化学兵器があれば、国際条約に従って
2007年までに最終処理しなければならない。その労力も金額も大変なもの
である。
現代に生きる我々にとってはまさに戦争の"負の遺産”である。戦争の
大きな代償である。なぜ、こんな馬鹿なことをやったのかと、恨みたく
もなるが、敗戦、ソ連の無法な参戦など当時の状況をを考えればやむを
えなかった。これらの有毒兵器がソ連軍の手に渡っていたらと想像する
だけでもぞっとする。
中国の事情には詳しくないが、南方地域を旅すると、いまだに戦争の
ツメ跡に遭遇する。敗戦でこの地域でも僅かに残っていた兵器を処理
した。有毒兵器類はなかったと思うが、いまだに海中などにその残骸
をみつけることがる。陸上には塹壕、防空壕などもそのままになって
いる。従軍世代がいなくなると、証人もいなくなり、これらのツメ跡
が語り部がないままに将来、"牙”をむいてくることさえありうる。
出来ることなら今のうちに処理したほうがよいと思うのだが
との情報を受け、専門家チームが派遣され調査中である。専門家でない
ので詳しいことはわからないが、この地域での各種遺棄兵器の数は70
万発ともいわれる。このうち有毒化学兵器があれば、国際条約に従って
2007年までに最終処理しなければならない。その労力も金額も大変なもの
である。
現代に生きる我々にとってはまさに戦争の"負の遺産”である。戦争の
大きな代償である。なぜ、こんな馬鹿なことをやったのかと、恨みたく
もなるが、敗戦、ソ連の無法な参戦など当時の状況をを考えればやむを
えなかった。これらの有毒兵器がソ連軍の手に渡っていたらと想像する
だけでもぞっとする。
中国の事情には詳しくないが、南方地域を旅すると、いまだに戦争の
ツメ跡に遭遇する。敗戦でこの地域でも僅かに残っていた兵器を処理
した。有毒兵器類はなかったと思うが、いまだに海中などにその残骸
をみつけることがる。陸上には塹壕、防空壕などもそのままになって
いる。従軍世代がいなくなると、証人もいなくなり、これらのツメ跡
が語り部がないままに将来、"牙”をむいてくることさえありうる。
出来ることなら今のうちに処理したほうがよいと思うのだが