「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「文化の日」が「明治節」だったころ

2006-11-03 05:36:36 | Weblog
11月3日、文化の日はかって明治節であった。明治天皇の誕生日で
戦前は新年(1月1日)紀元節(2月11日)天長節(4月29日)とともに
国の四大節、つまり四大国祭日であった。

         明治節 (作詞 掘澤周安 作曲 杉江秀)
       # アジアの光 日いずるところ
         ひじりの君の 現れまして
         古き天地 とざせる霧を
         大御光に 限りなく払い
         教えあまねき 道明らかに
         治めたまえる 御世とうと

この歌は昭和3年に制定されているが、戦争中小学生だった僕らは学
校の式典で、意味もわからず歌った。三番目には”秋の空澄み菊の香
高き”とあるが僕は”香高き”を”肩かけ”と覚え、母親に”菊の肩かけ”
の意味を聞いたことがあった。

文化の日は”晴れの特異日”といわれているが、明治節の頃からそうで
あった。昭和20年の父の日記には”さすが明治節、穏やかな小春日和”
とある。ちなみに昭和11年から20年までの天候を調べると東京では12、
13,19年が雨であとは晴れている。

明治節には一般の家庭では門前に日の丸を掲げた。強制ではなく一般の
風習であった。子供は学校の式典に参加、お祝いに紅白の饅頭かとりの
子餅を貰って帰った。大人は郊外へハイキングへ出かけたり映画をみてす
ごしたが、父の19年の日記には一日炭団づくりで暮らす、とある。
炭の粉をまるめたものを炭団といい冬の暖房には欠かせないもの。時代を
感じさせる。