「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

スマトラの大都会と日本人

2006-11-06 06:04:25 | Weblog
きのう「メダン会」が東京のインドネシア学校であった。戦前、戦中、戦後
メダンに滞在したり、関係のあった人たちの親睦会である。僕も定年後の
平成9年、このスマトラ第一の都会、メダンにたった4か月だったが滞在し
ボランティアとして日本語を教えたことがある。会長の女性は戦前の昭和
3年メダン生れ、会員の中には戦中戦犯容疑者としてメダン刑務所に1年
余収容されていた元軍人もいる。

メダンと日本との関係は古い、明治時代には早くも娘子軍(唐ゆきさん)が
到着、一時は市内に500人もいたという記録がある。オランダ時代、この
地は葉タバコ、ゴム、油やしの農園で栄え、世界一きれいな町とさえいわれ
たことがある。詩人の金子光晴も昭和の初年メダンを訪れている。当時の
日本人の生き様はオランダ人女流作家のベストセラー「ラバー(ゴム)」の中
でいきいきと描かれている。娘子軍の末裔はオランダ農園のハウスキーパ
ーとして、他に農園周辺には日本人経営の理髪店、写真店が沢山でてくる。

戦争中は近衛師団が司令部をメダンに置いたが、当時の”遺産”「紘原神社」
が今なお現地の金持用の高級クラブとして使用されている。戦後は北スマト
ラ・アサハンの大プロジェクト(アルミ生産)に協力して数百人の日本人が滞
在したこともあった。

残念なことに現在、メダンには百人足らずの日本人しかいない。同じインドネ
シアでもバリ島は日本人の観光客で賑わっているが、250万人のここでは、
ほとんど日本人をみない。背後にはトバ湖という観光資源があるのに残念である。