京(京都)野菜ブームに触発された形で東京でも昔あった伝統野菜が見直されている。戦前僕ら子供だった頃でも練馬大根、亀戸大根、小松菜などの名前は聞いたことがあったが、僕が生まれた五反田周辺にも昔、品川大根、居木橋(大崎)南瓜があったという話を聞いた。これに関連して先週の土曜日出席したスペイン協会の文化の集い「Club Donquijote」で頂いた資料の中に滝野川の名がついた人参、ゴボウ,蕪が明治時代まであったことを知って驚いた。
スペイン協会と江戸特産野菜との話は場違いだが、この日の講師の話は、日本の野菜の種子を南米に提供することの是非についての話からであった。滝野川という地名は戦前、東京市が35区だった頃あった古い地名だが、今は警察署の名前ぐらいしか知られていない。その警察署の前に「一里塚」がる。江戸時代、ここが日本橋から数えて二つ目の一里塚だった、つまり江戸から8㌔ぐらいの郊外であった。おそらく農村地帯で、おいしい野菜がいっぱい獲れた地域だったのであろう。その影響で明治に入ってからも、中山道沿いのこのあたりには野菜の種子屋が沢山見られたという。
専門家の講師の話は知らないことばかりで面白かった。漬物で有名な野沢菜も広島菜も元は大阪の天王寺蕪がルーツだそうで、修行に来た僧侶が郷土に持ち帰り植えたところ、蕪より菜のほうがおいしく育ったのだという。今の日本の農業はそれに似て原種より、移植した地の土壌や気候にあってできた交配種(F-1)が多いとのこと。交配種は形がそろい、生育も早く、収穫後の日持ちがよいとのことだ。そういえば、日ごろスーパーで見受ける野菜は、確かに形はそろっているし、長持ちもする。
日本産の野菜の種子が南米大陸にわたり、どんな野菜ができるか楽しみだが、昔気質の僕は昔のように赤い茎の部分が多い、ホーレン草のほうがおいしいのだが、最近はみあたらないのは残念だ。
スペイン協会と江戸特産野菜との話は場違いだが、この日の講師の話は、日本の野菜の種子を南米に提供することの是非についての話からであった。滝野川という地名は戦前、東京市が35区だった頃あった古い地名だが、今は警察署の名前ぐらいしか知られていない。その警察署の前に「一里塚」がる。江戸時代、ここが日本橋から数えて二つ目の一里塚だった、つまり江戸から8㌔ぐらいの郊外であった。おそらく農村地帯で、おいしい野菜がいっぱい獲れた地域だったのであろう。その影響で明治に入ってからも、中山道沿いのこのあたりには野菜の種子屋が沢山見られたという。
専門家の講師の話は知らないことばかりで面白かった。漬物で有名な野沢菜も広島菜も元は大阪の天王寺蕪がルーツだそうで、修行に来た僧侶が郷土に持ち帰り植えたところ、蕪より菜のほうがおいしく育ったのだという。今の日本の農業はそれに似て原種より、移植した地の土壌や気候にあってできた交配種(F-1)が多いとのこと。交配種は形がそろい、生育も早く、収穫後の日持ちがよいとのことだ。そういえば、日ごろスーパーで見受ける野菜は、確かに形はそろっているし、長持ちもする。
日本産の野菜の種子が南米大陸にわたり、どんな野菜ができるか楽しみだが、昔気質の僕は昔のように赤い茎の部分が多い、ホーレン草のほうがおいしいのだが、最近はみあたらないのは残念だ。