「太平洋戦争」はインド洋上でもあった。71年前の昭和17年(1942年)4月、インド洋上の南雲忠一海軍中将率いる機動部隊の空母から発進したゼロ戦は4日と9日の2回、当時英国植民地であったセイロン(現在のスリランカ)首都コロンボとトリンコマリ―軍港を爆撃、英国軍機との間に激しい空中戦を展開し、軍施設や飛行場に多大な損害を与え、また英空母ハーミーズなどを撃沈させた。
「太平洋戦争」中、日本海軍のインド洋の前線基地は、スマトラ北端のインド洋に面するサバン島の第九根拠地隊であった。数年前、僕はこの根拠地隊の戦友会誌「サバン会報」の有終号を知人から頂いた。今回セイロン空襲を調べるに当たって、この有終号を再読したら「サバンの姑娘たちを送る」という原稿を目にした。姑娘(クーニャン)とは中国人娘のこと。ここではサバン島にいた慰安婦の事である。
敗戦後すぐの昭和20年9月、サバン島から日本へ復員のため第九根拠地隊はスマトラのアチェに集結した。この時サバン島にいた慰安婦90人も同行した。この原稿は慰安婦を出身地のマレーのペナンに送還するため、アチェのコタラジャ(バンダアチェ)からメダンまで慰安婦を引率、無事にメダンまで軽便鉄道に乗せて送還させた兵曹長の記録である。
当時、彼女たちに対する住民の反感もあり、厳重な警護の下、3日3晩の旅だったが、メダンの駅には出迎えの華僑が来ており、彼女たちは兵曹長らに手をふって別れていった。兵曹長氏は原稿の中で”所詮あわれな売られた”籠の鳥”だが、サバンの姑娘たちよ幸せにと心の中で念じた”と結んでいる。従軍世代の当時そのままの心境が語られており、最近言われている「性奴隷」の状態とはほど遠い。
「太平洋戦争」中、日本海軍のインド洋の前線基地は、スマトラ北端のインド洋に面するサバン島の第九根拠地隊であった。数年前、僕はこの根拠地隊の戦友会誌「サバン会報」の有終号を知人から頂いた。今回セイロン空襲を調べるに当たって、この有終号を再読したら「サバンの姑娘たちを送る」という原稿を目にした。姑娘(クーニャン)とは中国人娘のこと。ここではサバン島にいた慰安婦の事である。
敗戦後すぐの昭和20年9月、サバン島から日本へ復員のため第九根拠地隊はスマトラのアチェに集結した。この時サバン島にいた慰安婦90人も同行した。この原稿は慰安婦を出身地のマレーのペナンに送還するため、アチェのコタラジャ(バンダアチェ)からメダンまで慰安婦を引率、無事にメダンまで軽便鉄道に乗せて送還させた兵曹長の記録である。
当時、彼女たちに対する住民の反感もあり、厳重な警護の下、3日3晩の旅だったが、メダンの駅には出迎えの華僑が来ており、彼女たちは兵曹長らに手をふって別れていった。兵曹長氏は原稿の中で”所詮あわれな売られた”籠の鳥”だが、サバンの姑娘たちよ幸せにと心の中で念じた”と結んでいる。従軍世代の当時そのままの心境が語られており、最近言われている「性奴隷」の状態とはほど遠い。