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日本インドネシア美術協会の益子恒資さん(94)から東カリマンタンバリックパパンの老朽化していた「日本人戦没者の碑」と「平和と友好の碑」の二つが現地のインドネシア人の好意で修復してくれたと知らせてくれた。(写真の上二つは「平和と友好の碑」、下二つは「日本人戦没者の碑」)。碑の修復だけでなく、墓碑に詣でる山道も写真のように舗装され、階段まで造られた。
慰霊碑はバリックパパンからサマリンダ街道を13㌔行ったカランジュアン村にある。昭和20年7月、カリマンタンに再上陸してきた豪州軍と日本軍の守備隊との間で激しい戦闘が起き、この村周辺で現地人を巻き込み約5000人が死亡している。1991年6月、この戦闘で生き残った戦友と遺族が中心となって、豪州側にも呼びかけ「平和と友好の碑」を現地に建て、合同慰霊祭が行われた。しかし、歳月の経過で慰霊碑が老朽化してきたため、益子さんが昨年、現地側に修復を依頼したところ、現地の住民が自費でこのように修復してくれた。
僕も2003年、現地を訪れているが、現地の住民は中国系の仏教徒で、バスを仕立てて各地の慰霊碑を巡拝し般若心経を唱えてくれた。しかし、従軍世代の高齢化と共に、最近は現地を訪れる日本人も少なくなっている。今年7月にも慰霊祭を行う予定しているが、94歳の益子さんは訪問できず、慰霊金を送り、こちらから手を合わせることにしている。 src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/22/5c3ed5a64beba60fefb4f3c599487626.jpg" border="0">
2003年の訪問時の写真
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