「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         (号外)大君に召されれらば(1)-(5)今沢栄三郎

2013-04-16 09:17:22 | Weblog
初年兵教育が終わり内地勤務の歯科医師であった数名の仲間を残して、広東、海南港、仏印組に別れ宇治を出発したのは秋たけなわの9月末だった。(中略)仏印組の私の乗った輸送船は広東湾に入り、初めての異国である黄埔に着いた。港で陸揚げの荷物を担いで行く苦力の姿や犬を見つけ、犬の世界には国境がないので、ほっと胸をなでおろした。船内での約10日間、入浴もできず、下船して割り当てられた兵站宿舎で、暗闇の中でのドラム缶の風呂の加減は、地獄から天国にきたような心地であった。
翌朝、そのドラム缶を見たら、褐色なのにおどろいた。よくあんな不潔な湯に良い気持ちで入れたものだと思った。黄埔に1週間ほど待機していたが、ある日、広東に行った。駅前広場で中国の靴磨きの少年が敗戦の屈辱にめげず、日本の兵隊に敵愾心に満ちた鋭い眼差しを向けていたのが忘れれれなかった。
再び海路、当時の仏領インドシナといわれたハイフォン港に入り、今度はトラックで北上してランソンに向かった。ハイフォンの兵站宿舎は通過部隊やら私たちのような追及する兵隊の宿泊所で、どうも小学校の校舎らしかったが、天井に「ヤモリ」がぶる下がっているのが薄気味悪かった。ランソンのわが配属の本隊は郊外の小川のほとりにあった、第二防疫給水部という軍隊ではあまり聞きなれぬ名称で、この部隊に私が終戦の日までご厄介になろうとは思いもよらぬことであった。(後略)

           「三等郵便局」のサービスの悪さ

2013-04-16 06:54:12 | Weblog
わが家の近くの郵便局はいつ行っても混雑している。戦前この辺が郊外で人口が少なった頃の「三等郵便局」である。局舎が狭く、その上ATM(自動預け払い機)が入口にあるため、行列が局舎からはみ出している始末だ。郵便局組織は”株式会社”ではなかったのだろうか。普通の民間会社なら、こんな慢性的な渋滞はありえない。局舎を広げたり、別な場所に引っ越すと思うのだが。

昨日15日は年金生活者の「給料日」、郵便局のATMの前は普段より一層混んでいる。僕は友人に小包便を出すため行列を押し分け郵便窓口に行った。たまたまコピーした文書を入れたため封をしていなかったので係の女性に封をしてくれt頼んだところノリを突き出して自分ではってくれとのこと。年寄りはそれでなくとも手先が不器用になっている。その位のサービスをしてもよいのではないか。

IT時代から取り残された僕の周囲の老人たちは、相変わらず「郵便」のお得意さんである。昔の郵便局のイメージがあるのだろうか為替サービスは今ではコンビニでもできるのだが、わざわざ郵便局に出かけてするお年寄りが多い。簡易保険の窓口で、ながながと説明を受けているおばあちゃんの姿を見かける。

僕はこの郵便局の慢性的な混雑さを知っているので、自転車で出かけたときには少し離れた住宅街の「三等郵便局」に出かける。あるいは、土日にバスに乗って地域の本局にまで出しにゆく。こちらは混雑していないし、局員のサービスもよい。詳しいことは解らないが、郵便局株式会社には局員間に身分格差があって、これが利用者のサービスに跳ね返って来るみたいにみえる。