「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         (付録)わが大君に召されなば(6)今沢栄三郎

2013-04-25 08:56:08 | Weblog
昭和20年7月末。完全武装に身をかためた私どもは、舟艇に身を託し夜闇にまぎれ、ヅラを出航した。(中略)3か目の夜明け、ニューギニアとセレベスの中間に横たわるセラム島(佐渡島とほぼ同面積)の西端ゲゼルに着く。海上の敵機から逃れて、これから浜伝いに東橋のビルまで日程4㌔ないし6㌔の行軍が始まった。(中略)ニューギニアと離島方面の前線の兵力を徐々に撤退させ、ジャワ島に全兵力を集中し、南方派遣軍の骨のあるところを英米連合軍にお目にかけようという作戦の意図をここで知った。
第一日目の行軍は、大地に踏みしめる軍靴に足取りも軽く、砂浜の彼方に突起する形の良い岬ヲ目指した。あの岬を越せば、また小休止と、みな童心に帰って小休止の度に燥いでいた。力はセーブしなければいけないと思って私はウキウキしている兵隊の気持ち抑えつけることをせう、自然に来たるべき困難に耐えうる心構えを醸しだせるよう心を痛めていた。砂浜伝いの行軍は滑り出しは順調だったが、潮の引き際に通りすぎなければならず、時には断崖をよじのぼった。
無理のない行程が組まれてあったものの、私どもには全く未知の行軍であったし、原住民だけ通られれる道らしく2日、3日とすぎる頃から体力の個人差があらわれてきた。ジャングルの奥から流れてくる急流は、岩に激しく砕け、河口はとても歩行できる状態ではなかった。(中略)
行軍中の最大のヤマ場である。戦争はまだ続いている。俺たちの生命は国に捧げテあるが粗末にはできない。無駄死には嫌なことだ。明日の事先の事は知れないが、名もわからないこんな河に落ち込んで死んで花実が咲くわけではない。白昼の静けさの中で一人一人が曲芸師のように静かに綱渡りよろしく難関を突破した。(後略)

         「大東亜戦争は無謀な戦争ではなかった」

2013-04-25 05:52:43 | Weblog
「史実を世界に発信する会」の茂木弘道さんから4月27日(土)午前(11時開場)、さいたま市うらわ.ホール(電話048-822-7108)で「大東亜戦争は無謀な戦争ではなかった」という題で講演会がある旨メールを頂戴した。当日は映画「南の島に雪が降る」も上映される。入場料800円。詳細は(090-5759-8710愛甲さん)。

「南の島に雪が降る」(水島総監督)は主演の加東大介(故人)が戦争末期西ニューギニア(インドネシア)のマノクワリで体験した戦記を映画化したもの。マノクワリには戦争中第二軍司令部が置かれていたが、昭和19年4月、再上陸していた連合軍の猛攻にあい「転進」という名の下に約2万人の兵士が奥地のソロン、イドレのジャングルの中を敗走、約1万2万人が餓えとマラリア、悪性下痢などで病死している。転進させられなかった加東大介は幸運だった。

西ニューギニア問題に詳しい「インドネシア文化宮」のブログ「密林に消えた2万の将兵」によると、マノクワリ周辺の密林には今でも亡くなった兵士の御遺骨が収集されぬまま散乱しているとのことだ。昭和31年、日本政府の遺骨収集船大成丸が、この地にも立より遺骨を収集したが、ごく一部にすぎなかった。最近も厚労省が毎年、収集団を派遣しているが完全には収集されていない。現地には大成丸のさい、政府が建てた慰霊碑があったが、半世紀の歳月の流れで破損されたり、撤去されている。

小ブログで連載している「大君に召されなば」の今沢栄三郎さんが、かって駐屯していた旧海軍のバオ飛行場跡付近では、女子中学校生徒の間で昔の日本兵の亡霊が彷徨して失神したという話が「インドネシア文化宮」のブログに紹介されてあった。硫黄島だけでなく海外にもこういった地域がまだ沢山あることを忘れないでほしい。