第五師団と第十八師団で編成された大輸送船団二十隻は二隻の巡洋艦と十隻の駆逐艦に護衛され、海南島のこの島の自然港であるこの港をから出撃したのは相和16年12月4日であった。出港の前日まで上陸訓練繰り返し行われ,士気はますます上がっていった。港の名前が三亜というのは後で知った。輸送船はいずれも1万トンに至らず速度もおよそ9ノットにすぎなかった、威風堂々という形容詞さながらの偉観であった。上陸が近くなったのであろう。第一線の兵隊が異様な服装に気がr始めた。電波のように情報が伝わって来る。タイ国の兵隊の服装をしてタイ国旗を掲げてマレー国境を楠正成の奇襲戦法で突破するという。近代戦に桶狭間や千早城の戦術でよいのであろうか。兵隊の頭では絶対者である参謀や連隊長の神通力に頼る他ない。もうこうなると事の正否を論ずるいとまはない。
進退窮まって「戦機まさに熟せり」の情感が盛り上がってくる。大きなモンスーンが日本軍の行動を数日秘匿してくれたのは幸運だった。12月7日の真夜中、輸送船はタイ領シンゴラの沖合に錨をおろした。上陸用舟艇に移乗するやめの縄梯子をおりかけると、折から海は荒れ始め波は1㍍から1㍍半ぐらいの高さに達していた。数珠つなぎになって降りる完全武装の兵隊も、さすがに舟艇に飛び降りることをためらうが、下から船舶兵が「それ、下りろ、早く」のかけ声で運を天にまかせ一気に舟艇めがけ飛び下りる。すべては闇と波の音の中の一瞬である。
陸地に近づいたのだろうか、舟艇は傍まで行けば壊れてしまう。高い波が暗い暗い岸辺に打ち上げてくる。二度、三度「飛び込め」の掛け声とともに背中を押されテまず隊長が海中に飛び込んだ。こうなると、将校、下士官、兵の区別無視されてしまう。私も海の中で浮き上がったら背が立った。小銃も手にあった。水際を徒渉して砂浜に駆け上がった。
進退窮まって「戦機まさに熟せり」の情感が盛り上がってくる。大きなモンスーンが日本軍の行動を数日秘匿してくれたのは幸運だった。12月7日の真夜中、輸送船はタイ領シンゴラの沖合に錨をおろした。上陸用舟艇に移乗するやめの縄梯子をおりかけると、折から海は荒れ始め波は1㍍から1㍍半ぐらいの高さに達していた。数珠つなぎになって降りる完全武装の兵隊も、さすがに舟艇に飛び降りることをためらうが、下から船舶兵が「それ、下りろ、早く」のかけ声で運を天にまかせ一気に舟艇めがけ飛び下りる。すべては闇と波の音の中の一瞬である。
陸地に近づいたのだろうか、舟艇は傍まで行けば壊れてしまう。高い波が暗い暗い岸辺に打ち上げてくる。二度、三度「飛び込め」の掛け声とともに背中を押されテまず隊長が海中に飛び込んだ。こうなると、将校、下士官、兵の区別無視されてしまう。私も海の中で浮き上がったら背が立った。小銃も手にあった。水際を徒渉して砂浜に駆け上がった。