今日から1泊2日で40余年前の昔勤めた福島の民放のOB会出席を兼ねて老妻と旅に出る。東日本大震災以来、毎年1回は、この時期に小旅行ををしているが、今年は初めて太平洋岸の浜通りにある「スパ.リゾート.ハワイアンズ」に1泊、常磐東線に乗って郡山の会に参加する。
「スパ,リゾート.ハワイアンズ」は昔「常磐はワインアンズ」といった、わが国初のテーマパークだ。その昔、栄えた常磐炭鉱が廃坑になったとき、地下の温水湧水を利用して昭和41年にオープンした。当時は海外旅行が解禁になって間もなくで、まだまだ、ハワイは憧れの地であった。当時はまだフラダンスも今のように盛んでなかったし、フラガールという言葉もなかった。
老妻はこの10年近く老人会でフラダンスを習っているが、一度も”本物の”ハワイへは行ったことがない。僕らの青春時代、岡晴夫の歌う「憧れのハワイ航路」の歌がヒットしていた、”晴れた空そよぐ風”で始まる、あの明るい歌である。その頃、ハワイなんて憧れの憧れの地であった。しかし、今ではおカネと時間さえあれば、だれでも行ける。
東日本大震災から2年余りが過ぎたが、福島原発事故の被災者を含めて30万人の人がまだ仮設住宅などで避難生活を送っている。幸い僕ら老夫婦は元気でこうして旅行ができる。僕らが震災地を支援できるのはこんな小旅行だけである。”浜通り”でとれる新鮮な魚介や野菜をいっぱい食べてこよう。
「スパ,リゾート.ハワイアンズ」は昔「常磐はワインアンズ」といった、わが国初のテーマパークだ。その昔、栄えた常磐炭鉱が廃坑になったとき、地下の温水湧水を利用して昭和41年にオープンした。当時は海外旅行が解禁になって間もなくで、まだまだ、ハワイは憧れの地であった。当時はまだフラダンスも今のように盛んでなかったし、フラガールという言葉もなかった。
老妻はこの10年近く老人会でフラダンスを習っているが、一度も”本物の”ハワイへは行ったことがない。僕らの青春時代、岡晴夫の歌う「憧れのハワイ航路」の歌がヒットしていた、”晴れた空そよぐ風”で始まる、あの明るい歌である。その頃、ハワイなんて憧れの憧れの地であった。しかし、今ではおカネと時間さえあれば、だれでも行ける。
東日本大震災から2年余りが過ぎたが、福島原発事故の被災者を含めて30万人の人がまだ仮設住宅などで避難生活を送っている。幸い僕ら老夫婦は元気でこうして旅行ができる。僕らが震災地を支援できるのはこんな小旅行だけである。”浜通り”でとれる新鮮な魚介や野菜をいっぱい食べてこよう。