「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

散逸する従軍の記録を残そう

2016-12-05 05:50:32 | 2012・1・1
屋根裏の古本整理をしていたら、未整理の戦友会誌に混じって大学同窓だったYさんの手書きの「南十字星輝く空の下で体験した戦争とと異文化」という従軍記が出てきた。Yさん(大正9年生まれ)は大学教授で生涯独身、3年前、成人後見人制度で、91歳の生涯を終えた。たまたま、僕は入院中で、老妻が代って葬儀に参列したが、多分従軍記は散逸してしまったのではないだろうか。

Yさんは大分県の出身で昭和16年3月、現役で第48師団歩兵47連隊に入隊、戦争勃発とともに台湾高雄経由でフィリッピンのリンガエン湾上陸作戦に参加、さらにそれを終えると、インドネシアのスラバヤ上陸作戦にも転戦している。その後、Yさんは戦時中の大半を東チモールの南寧の地に駐屯、敗戦は再びジャワで迎え、戦後、連合軍の使役に従事して22年3月復員している。20歳から26歳まで6年間、海外の戦地勤務していたわけだ。

Yさんの従軍記は、几帳面な手書きな原稿で、戦争初期スラバヤで写した同郷の上司との写真や自分が所属していた速射砲隊の対戦車砲の写真、上陸した東部ジャワのクラガン海岸、現在の東チモールのカラー写真などが添えられている。多分、この従軍記は葬儀の後、後見人によって処分されてしまったのではないだろうか。Yさんの死後、後見人からは何も僕には連絡がない。

僕の手元には2002年、「大東亜戦争とインドネシア」という本を出版した際、全国の戦友会や個人から頂戴した資料がある。機会をみて整理し、出来たら本にしたいと思いながら、そのままになっている。学徒兵の記録「聞けわだつみの声」だけでなく、Yさんのような一般兵の従軍記録も散逸しないように、出来たら一か所に集めて後世に残したいものである。