札幌が12月初旬としては29年ぶり、積雪65センチという大雪に見舞われている。テレビの画面でみると、中心部の時計台から大通にかけて白一色、路面電車は除雪が間に合わず終日、運休中止、新千歳空港では200便以上が運航停止だという。僕は昭和46-47年の冬から55年―56年の冬までの10年間勤めの関係で札幌に住んだことがあるが、こんな大雪の記憶はない。今年の札幌は10月の初積雪、11月上旬の23センチの記録的な積雪といい異常である。お見舞い申し上げます。
29年ぶりの大雪というから僕は体験していないが、東京生まれ東京育ちの僕にとっては、北海道の冬はからっきしダメだ。最初の冬は札幌五輪の年で、五輪讃歌「虹と雪のバラード」(トワエモア)のように、札幌の町には地下鉄が走り、地下街ができ、新しい街に生まれ変った時期であった。しかも、新しく誕生した会社勤務とあり、冬の北海道の生活は何ら苦でもなくむしろ楽しんでいた。住まいもジャンプ台に近く、子供たちは歩いてスキー場へ行ける自然豊かな場所だった。
しかし、3年も経つと、長い冬が僕には苦痛になってきた。家のまわりの雪かきが出来ず、郵便配達の人から”この家には男がいないのか”と怒られた。なにより通勤の足が厳しく、バス通りに出るまで、気をつけて歩いているのだが、何回も転んだ。北海道生まれは幼い時から雪道に慣れているのだが、僕らは歩き方がら違うようだ。
僕が住んでいた40年前には人口100万人だったが、今は150万人、地下鉄も1路線だったのが3路線になり、郊外にまで延びている。昔に比べれば、冬季の生活も楽になってきたようだが、やはり雪国になれない者にとって老後を送るにはどうだろうか。
29年ぶりの大雪というから僕は体験していないが、東京生まれ東京育ちの僕にとっては、北海道の冬はからっきしダメだ。最初の冬は札幌五輪の年で、五輪讃歌「虹と雪のバラード」(トワエモア)のように、札幌の町には地下鉄が走り、地下街ができ、新しい街に生まれ変った時期であった。しかも、新しく誕生した会社勤務とあり、冬の北海道の生活は何ら苦でもなくむしろ楽しんでいた。住まいもジャンプ台に近く、子供たちは歩いてスキー場へ行ける自然豊かな場所だった。
しかし、3年も経つと、長い冬が僕には苦痛になってきた。家のまわりの雪かきが出来ず、郵便配達の人から”この家には男がいないのか”と怒られた。なにより通勤の足が厳しく、バス通りに出るまで、気をつけて歩いているのだが、何回も転んだ。北海道生まれは幼い時から雪道に慣れているのだが、僕らは歩き方がら違うようだ。
僕が住んでいた40年前には人口100万人だったが、今は150万人、地下鉄も1路線だったのが3路線になり、郊外にまで延びている。昔に比べれば、冬季の生活も楽になってきたようだが、やはり雪国になれない者にとって老後を送るにはどうだろうか。