暮も3日に迫った29日、安倍総理の真珠湾慰霊の旅に同行、帰国したばかりの稲田朋美防衛相が靖国神社を参拝した。何故この時期の参拝なのかー。例によって例のようなマスコミの質問に対して、稲田大臣は”忘恩の徒になりたくないからだ”と答えた。昭和34年生まれ、僕の娘より若い大臣だが、その時代がかった返答に驚いた。靖国参拝は、大臣がいう心の問題である。真珠湾の旅で安倍総理が不戦の誓いをした直後に防衛大臣が誤解を呼ぶ、靖国参拝をしたら、外交的にどうなのか配慮しなかったのだろうか。
僕も”忘恩の徒”にはなりたくない。だから、今回の安倍総理のパーフォーマンスがかった真珠湾慰霊の旅には一言ある立場である。僕は総理がアリゾナ記念碑に献花し、犠牲者に黙祷を捧げ、生き残りの米兵に膝まづいている姿を見て、75年前の同じ時期、タイ領シンゴラ海岸に上陸した第25軍司令部の戦友会誌に載っている一文を想い出した。真珠湾攻撃に先立って、旧日本軍はマレー半島のコタバルに敵前上陸、同時に陽動作戦として、当時中立国だったタイのシンゴら海岸にも上陸した。そのシンゴラの司令部にコタバル敵前上陸で戦死した311のご遺体が、イスラム教で火葬禁止されている現地から大発(輸送船)によって運ばれ、荼毘(ダビ)にふせられる悲しい情景が書かれてある。
戦後70年経つが、コタバルでもシンゴらでも政府主催の慰霊祭が行われたことがない。戦跡の慰霊碑さえ建っていない。真珠湾とは違って完全に忘れられてしまった。稲田防衛相が、真珠湾慰霊の後、国のために尊い命を捨てたにも関わらず、忘れ去られたご英霊に想いをは馳せられたのは素晴らしい。しかし、真珠湾慰霊の旅によって、せっかく展開しようとしている一連の、安倍内閣の平和外交にとっ靖国参拝がプラスかマイナスなのか配慮がたりないように思われる。
僕も”忘恩の徒”にはなりたくない。だから、今回の安倍総理のパーフォーマンスがかった真珠湾慰霊の旅には一言ある立場である。僕は総理がアリゾナ記念碑に献花し、犠牲者に黙祷を捧げ、生き残りの米兵に膝まづいている姿を見て、75年前の同じ時期、タイ領シンゴラ海岸に上陸した第25軍司令部の戦友会誌に載っている一文を想い出した。真珠湾攻撃に先立って、旧日本軍はマレー半島のコタバルに敵前上陸、同時に陽動作戦として、当時中立国だったタイのシンゴら海岸にも上陸した。そのシンゴラの司令部にコタバル敵前上陸で戦死した311のご遺体が、イスラム教で火葬禁止されている現地から大発(輸送船)によって運ばれ、荼毘(ダビ)にふせられる悲しい情景が書かれてある。
戦後70年経つが、コタバルでもシンゴらでも政府主催の慰霊祭が行われたことがない。戦跡の慰霊碑さえ建っていない。真珠湾とは違って完全に忘れられてしまった。稲田防衛相が、真珠湾慰霊の後、国のために尊い命を捨てたにも関わらず、忘れ去られたご英霊に想いをは馳せられたのは素晴らしい。しかし、真珠湾慰霊の旅によって、せっかく展開しようとしている一連の、安倍内閣の平和外交にとっ靖国参拝がプラスかマイナスなのか配慮がたりないように思われる。