「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

フジテレビの”たるみ””おごり” 考えられない暴力団からの接待

2016-12-21 06:35:14 | 2012・1・1
フジテレビ社会部の警視庁担当の記者が暴力団関係者から何回も高額な接待を受け、その代償に自分名義で高級車購入の便宜を与えていたという。かって現役時代、新聞、民放に30年勤務した僕には、まったく信じられない不祥事だ。戦後すぐの時代、当時まだ新聞が唯一つのマスメディアだった時代には、新聞記者は”社会の木鐸であれ”といわれ、皆、それを自戒してたものだ。

古い話で恐縮だが、昭和20年代の終り頃、地方支局に勤務にしていた時、小さな町の警察署長が交通事故を起こし、そのもみ消しに関係者が菓子折りを持って夜、支局を訪れたが、支局長はガンとして受け取らず、記事になり、署長は辞任に追い込まれた。東京の下町の警察署のクラブに籍を置いていた頃、ある飲食店がオープンに際し、各社の記者に商品券を贈ってきたが、全員これを返した。それが当時は当たり前であったのである。

かって、フジテレビ系列の地方局に勤務した僕だが、この事件は最近のフジテレビの”たるみ”おごり”を象徴している事件のように見える。不祥事が新聞に載った日、12月8日から1週間の在京のテレビの視聴率ベスト30が掲載されていたが、フジテレビの番組は一本もない。数年前、フジテレビが各時間帯視率のトップの座を独占していた時代があったが、今のフジテレビの凋落は考えられない。

僕は今のフジテレビ凋落はトップの経営陣の責任だと思う。今度の事件を受けて、自社の報道番組の中で、キャスターが謝罪しているが、本来ならばトップがカメラの前に出て頭をさげて謝罪すべきである。それほど社会的に重大な事件なのをトップは自覚していないようである。

(社会の木鐸)木鐸とは昔、中国で法令などを国民に知らせる道具。これから転じて日本では、戦前、新聞記者は報道の重要性を感じ社会をリードする行動をとれと言われた。