「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

石原慎太郎氏の”自己犠牲”の論理

2016-12-20 06:47:45 | 2012・1・1
産経新聞掲載の石原慎太郎氏のコラム「日本よ」(12月19日首都圏版1面)を読んだが論理が判らない。僕がボケた証拠かもしれないが紹介してみよう。石原氏の論理は”下司なメディアが象徴する現代社会にあって、人間として最高の美徳「自己犠牲」を求めるのは砂漠において針を求めるように難しいが、、今年大リーグから古巣の広島カープスに戻って優勝に貢献した黒田は、それを身をもって示した”と称賛、推挙している。黒田博樹投手の大活躍は僕も認めるが、人間として最高な美徳「自己犠牲」の実行者となるとちょっと大げさすぎるのではー。

石原慎太郎氏の言う「自己犠牲」とは、昭和45年、作家三島由紀夫が防衛庁内で自刃する前、石原氏が三島氏との対談で二人が男の最高の美徳として認めあった共通な考え方だという。二人は対談の前に、たがいに入れ札をしたら、二人ともそれは「自己犠牲」であったという。その「自己犠牲」と黒田投手とどう関係があるのか。黒田投手の大リーグからの広島への復帰は、野球人生の最後を華やかに古巣で飾りたいという男の美学だと思うのだが。

今年の重大ニュースの一つには、東京都の舛添前知事から小池知事への一連の騒ぎがあげられるが、その第なん場、第なん幕かの「豊洲市場盛土の場」には石原慎太郎氏は脇役として登場してくる。かっては主役として一世を風靡した石原氏だが、老いぼれた脇役として、僕の目には“憐れ”に映った。人生、最高の美徳が「自己犠牲」ならば、晩年もそれに徹し、世間をあまり騒がさないほうがよいのではと、同じ老人の僕は思うのだが。