「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

また地震に見舞われたアチェと日本人

2016-12-09 07:06:15 | 2012・1・1
2004年のスマトラ巨大地震で大きな被害を受けたアチェで、また震度6.5の地震が発生、家屋の倒壊などで100人以上の犠牲者が出ている。今回の地震の震源地はマラッカ海峡に面したシグリ地方で、幸い津波がなかっため、前回のような大きなな人的被害はなかったが、シグリはマルコ.ポーロの「東方見聞録」や13世紀のアラブの冒険家、イブン.バッターナが40日間も滞在した地方であり、歴史的な建造物に被害が出ているようだ。

アチェは日本から見ると、インドネシアの最も離れた地にあり、歴史史的に無関係と思われるが、アチェ王国が最後まで和蘭と戦っつたアチェ戦争(1873-1903)に二人の日本人の名前がでてくる。一人は幕末、徳川幕府から医学研究のため和蘭に派遣された林紀(はやし.つな)で、林は和蘭滞在中、アチェへ野戦病院視察で出かけている。もう一人は、大正初期、アチェに写真技師として滞在していた伴元彦で、戦争終了後のゲリラ戦に、アチェ軍の参謀として登場してる。

アチェはイスラム教が初めてインドネシアに入ってきた窓口であり、その戒律は最も厳しい。戦争中は近衛師団が中心に駐屯していたが、何故かアチェ好きな人が多く、戦後「阿智恵会」という名の戦友会を作り立派な会報を出していた。上記の二人の日本人の話は「阿知恵会」報からのマゴびきだ。2004年の大地震のさいには「阿智恵会」から見舞金が贈られたが、その戦友会も今は解散している。大東亜戦争初期、日本軍がスマトラに無血上陸出来たのは、アチェ住民の全面協力があった。アセアン諸国の中でインドネシアは最大の親日国であり(BBC調査)その中でもアチェ人には、日本大好き人間が多い。出来るだけの援助をしよう。