「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

日ソ共同宣言から60年 期待薄の長門会談への事前世論操作

2016-12-12 06:19:03 | 2012・1・1
ロシアとの間の北方領土問題の原点ともいえる「日ソ共同宣言」が発効したのは、昭和31年(1956年)12月12日で、ちょうど60年に当たる。当時、僕は新聞社の外信部の駆け出しで、モスクワからの特派員電を受けた記憶がある。この宣言を受け18日に、わが国は全会一致で国連に加盟している。日本が国際社会に復帰できた重要な1週間であったが、まさか、そのあと60年もの間、ソ連(当時)との間の領土問題が未解決なままとは思いもしなかった。

「日ソ共同宣言」では”日ソ両国は引き続き平和条約交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島、色丹島を引き渡す”と明言している。にも拘らず、60年間も平和条約が締結されないのは、何故なのか。一つには歯舞、色丹だけでなく、国後、択捉まで含めた4島一括返還を求める日本側の主張と、ソ連側との考え方の隔たりだが、交渉が難航するきっかけとなったのは、安倍総理の母方の祖父にあたる岸信介首相当時、ソ連の反対を押し切って日米安保条約改定に踏み切ったからだという説もある。

この12月15日からロシアのプーチン大統領が来日、安倍総理の出身地、長門を皮切りに一連の日露会談に入る。しかし、会談の前から領土問題については悲観的である。先行している議題は両国間の経済協力だけである。マスコミは、さかんに解決に向かって一歩前進があればとしている。昨日、つれつれなるままにテレビ番組を見たら、政府が事前に世論操作をしているかのように、かの”ムネオハウス”氏を起用して、元島民が4島返還を誰一人望んでいない、と吹きまくっている。会談の前に、こんなに腰が引けていては、二島さえ帰ってこない。

お隣の国のように、大群衆を動員し、東京の狸穴のロシア大使館前にデモをかけ、街宣車で四六時中、日露戦争は”一列談判破裂して長門の浦を船出して始まった”と、軍歌をがなでるほうが効き目があるかもしれない。