「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”全共闘”が学者になるとき―倉沢愛子氏の疑問

2019-10-02 04:47:29 | 2012・1・1
知人から送られてきた「友の道」の機関誌(令和元年9月号)の「全共闘が学者になるとき―倉沢愛子氏の疑問-」という山田喜弘氏の論文を読んだ。僕は倉沢愛子慶応大学名誉教授とは未知の方だが、1997年、彼女が名古屋大学の教授だった当時書いた「二十年目のインドシア」(草思社)の中で記述のある旧日本軍第25軍司令部の防空壕であったという労務者虐殺は虚妄であり訂正すべきだと、彼女が属していた学者たちの集まり「日本占領期フォーラム」(千葉大学中村光男教授=当時)へ公開状を送った。これに対して、中村教授は過ちを認め、ご当人が適当な機会に訂正するだろうと返事を頂いた。しかし、あれから20年の歳月を経たが、訂正も謝罪もない。

「友の道」の論文の筆者山田氏とも僕は未知だが、倉沢教授のスマトラ防空壕(日本の穴)虚妄の流布だけでなく、倉沢教授がアジア女性基金のインドネシア歴史委員だった時、提出した真実と思われぬ報告書にも触れ、彼女が、なぜ、こうした虚偽を書くのか、それは彼女が東大学生時代、体験した”全共闘闘争”の挫折感ではないかと述べている。

1970年安保闘争の際、僕ら昭和1ケタ世代はすでに社会の第一線で働いており、高校生まで巻き込んだ政治闘争に困惑していた。一国の宰相と同列にするのは担ぎ上げかも知れないが、倉沢先生は旧民主党の鳩山由紀夫、菅直人氏と同学年である。偏見かも知れないが、後期高齢者に近い、白髪禿頭の老人たちが今でも街頭デモや集会に参加しているのは過去へのノスタルジアなのだろうか。

いい迷惑である。今年7月、倉沢教授が主宰して戦時中のインドネシア史料展と講演会があり、主催者を通じて僕も参加を申し込んだが断られた。驚いたのは「フォーラム」代表の中村教授も参席、倉沢教授と談笑していたことだ。中村教授もかっての全学連の闘士。無責任な連中である。