
僕は昭和18年4月から23年3月までの5年間、攻玉社で学んでいるが前半は戦時、後半は戦後の激動期であった。20年1月4日(2年3学期)から終戦の8月15日までは学徒動員を受けて軍需工場で働き、さらに戦後の10月1か月一杯も焼け跡整理で学舎を後にしている。
母校は20年5月23日の大空襲で、3回建てコンクリート校舎を除いて全焼した。当時僕らは交代で学校に宿まり、警備についていたが、亡父の日記によれば、僕も空襲3日前の20日に宿直勤務していた。
ホームカミングデイに招かれ母校を訪れ、往時のことが想い出された。僕らが汗を流して掘った防空壕跡はどこだか特定できず、僕らが教練に励んだ校庭は新校舎ができてすっかり狭くなっていた。しかし、焼け残った校舎は7階建てに増改築され、昔、紫宸殿しかなかった屋上はきれいな庭園に変わっていた。
70余年前、僕らが歌った応援歌”歴史は古き80年”は、今は100余年に変わっている(正確には156年前)ホームカミングデイは古い歴史ある伝統校ならではの行事だと誇りに思い感謝する。