今年ののーべル化学賞に吉野彰氏(71)ら3人が受賞した。日本人の受賞は昨年の医学賞の本庶祐氏(77)についで連続,ノーベル賞全体では1949年(昭和24年)の湯川秀樹氏の初受賞(物理賞)以来27人目の受賞である。
吉野氏が1943年1月生れであるのを知り、僕は70年前の湯川博士がノーベル賞初受賞当時のことが思い浮かんだ。僕は大学予科から学制改革で新制大学1年に移行した時だったが、博士が世界的な学術賞のノーベル賞を授与され、日本中が驚きと喜びで沸き立っていたのを昨日のように覚えている。
ところが意外なことに、亡父が当時歳末に日記の最後に書いている1年の回顧欄には湯川博士のノーベル賞受賞には一言も触れていないのである。水泳の古橋、橋爪両選手の世界記録続出や野球の大リーグのサンフランシスコ.シールズの来日は書いているのだが。回顧はほとんどが、GHQ(連合軍司令部)の財政税制改革、ドッジ.ライン、シャウブ勧告であり、そのおかげで野菜の統制の撤廃、酒の自由販売など庶民の生活が緩和されてきたと書いている。
今、振り返ってみると、昭和24年という年は、わが国が敗戦の生活に終わりをつげ、復活に向かっての分岐点、湯川博士のノーベル賞受賞は、そのご褒美だったが、老齢だった亡父には理解でき中たのかもしれない。