戦前僕が生れ、戦争疎開で去るまで13年間住んでいた東京.五反田の雉子神社の秋祭の最中である。昔は10月3日に固定されていたが、今は10月の第一日曜日に変わったが、この季節になると、昔は子供心にも秋を感じたが、昨日の東京は都心部でも30℃を超す真夏日だった。
少年時代の追憶から亡父の昭和12年の日記帳(博文館発行当用日記)の10月の備考欄を見たら次のような作者不明の詩があった。「ぴいひょろの神楽の笛の/もれ響く森の(やしろ)の/秋祭りの人出で賑わう/村人の群れに混じってたまさかに店に見出し/ほほづきの紅き一房/いとけなき日々の想い出しのび口に当ててききと鳴らす」
昭和12年といえば日支事変の始まった年、五反田は東京府荏原郡大崎町から品川区五反田に地名変更されていたが、上記の詩にあるような「村祭り」の風景は薄れていた。しかし、五反田駅前から本殿に向かう市電(都電)の沿道の縁日には露店がずらりと並んでいた。確かに祭の晴れ着を着た少女たちがほほづきを買い、口で鳴らしていた。
少年たちの買い物の目当ては何だったか。戦争とい時代を反映して玩具の刀、ピストル、サムライのお面、日光写真、樟脳を入れて走る、ブリキ製の舟、はっかパイプ、カルメラ焼き、金魚すくい、ひよこなどなど。 この年の12月、南京が陥落、戦争は次第に深みに入り御祭りどころでなくなってきた。