「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

世界遺産 富岡製糸所建設に関与していた義理の伯父

2019-12-03 06:31:03 | 2012・1・1
先日、祖父の頭に丁髷を結い、腰に二本刀をさした武士姿の写真を小ブログに紹介(11月22日)、撮影時(文久2年=1862年)祖父は幕府の何の職務についていたのか調べていると書いたところ、四代も前の遠縁の方から、これも遠縁の法政大学教授、関口浩氏の紹介を受け、同氏が先祖の地、深谷市(埼玉県)藤野木について書いた冊子の寄贈を受けた。

冊子は深谷市郷土文化会会報「故園」(19号)で、関口教授は遠縁の郷里の明戸小学校初代校長、加藤改作について一文を書いているが、驚いたことに僕が情報を知りたかっていた祖父忠義の嫡子、重信のことが書いてあった。重信は戸籍の上では僕の伯父に当たる人物である。教授の調査によると、重信は改作の実兄だが、若い時実の叔父、忠義の養子に出ている。

重信も幕末から維新にかけての人物だが、関口教授の研究によると、廃藩置県(明治4年)の時代、「熊谷県」から「群馬県」の役人に奉職、世界遺産、富岡製糸場の設立には、工場の建物に使用するレンガの土を郷里の深谷市藤野木から運搬してきている。

これからは推測だが、祖父、忠義が横浜で写真を撮った文久2年のわが国の輸出の82%は生糸と蚕だったという記録がある。父からの言い伝えによると、祖父は租税関係の仕事をしていたらしい。祖父が嫡子である重信に仕事の上で色々便宜や情報を与えることは当然である。祖父は維新後東京府の役人となり、明治32年死去しているが、重信は29年早逝して
いる。
写真は再録