アフガニスタンの東部ジャララバードで地域の人道支援の指導に当たっていた国際NGO組織ペシャワール会の現地代表の中村哲医師(73)が現地の武装組織集団に銃撃され、昨日ご遺体がご遺族らにつき添われ、故郷の福岡に無言の帰郷をされた。なんとも無念で痛ましい。改めて手を合わせてご冥福をお祈りしたい。
僕が中村医師の活躍に敬意を示したいのは専門の医師としてだけでなく、低開発国への人道支援という哲学に基づき自ら行動に移していたことだ。テレビで中村医師が現地の灌漑現場で作業服を着て自ら重機を運転していたのに驚いた。率先実行なのである。
低開発国への先進国からの援助という考え方が出てきたのは1961年(昭和36年)、米国のケネディ大統領の「平和部隊」(Peace corps)の創設である。その日本版ともいえるJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊が発足したのは65年である。東西冷戦、南北格差が問題視されていた時代であった。
個人的な話で恐縮だが、1980年代に僕は10年ほどJICAの研修事業の末端で働いたことがあるが、一般日本人の途上国支援への理解は薄かった。中村医師は30年も国際NGOの現場で働いていたという。この問題の先駆けである。世界的にも貴重な人材を失ったものだ。同時に半世紀前、この問題に着目したケネディの政治家としての偉大さを思い起こした。