今年もあと半月を切り、テレビで「嵐」の桜井翔と二宮和也が年賀状受付のセレモニーに出てセールスをプロモートしていた。いつしか、そんなシーズンなのだ。僕も70枚すでに印刷済みで、宛名書きを始めた。お決りの干支の図柄に一言近況を添えた定番、生きている”あかし”のようなものだ。
近じか同じ家系同士の集まりがあり、その資料集めに亡父の遺品箱をチェックしていたら大正末期から敗戦直後までの30年間ほど、父が毎年書いた年賀状(書き損じ)が一枚ずつ保存してあった。今のよな”お年玉付き”ではなく、モノクロ印刷で華やかさはないが、時代反映したり、独創性に富んでいて面白い。その何枚かを紹介してみよう。
一番古いいのはちょうど百年前の大正9年(1929年)元旦の年賀状で、干支の申年にちなんで猿に三河万歳の姿をさせて太鼓を叩かせている。三河万歳は今や東京ではみらないし、「賀正」の字が右から左に「正賀」と逆方向だ。昭和2年は前年暮、大正天皇がお隠れになったため「諒闇欠禮」という言葉が使われ、新年の挨拶だけだ。
日支事変の始まる昭和1ケタ時代の賀状は独創性に富んだものが多い。昭和5年は歌の勅題「君が代」にちなんだ国歌の五線譜入りだとか、同8年は神社の籤をまねて大吉ばかりの漢字をならべたもの、相撲の番付け風にめでたい言葉をならべたものなどあった。
第一回お年玉付きの賀状も保存してあった。戦後の昭和25年、まだまだ、ものの乏しい時代、賞品がミシンや服地、子供の野球のグローブで話題を呼んだ。いま見ると紙質は当時センカ紙と呼ばれていたもので時代を反映している。こういったB級コレクションも時代が経つと価値がでてくるものだ。