「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

節分 豆まき 柊 追儺

2020-02-03 04:55:29 | 2012・1・1
暦の上では、今日3日は節分、明日は立春だが、東京都心は2月の声を聞いた途端冬に逆戻りした感じで寒い。それでも気分的には”冬来たりなら春近し”である。わが家も夕方にかけて節分の豆まき行事を行った。門前に飾る柊(ひいらぎ)と鰯(いわし)目刺を用意した。

ものの本ならぬネット情報によると、節分は中国の昔の宮廷行事だったが、平安時代に日本に伝わり宮中行事となり、次第に庶民の間にも広がっていった。鎌倉時代の「徒然草」(第17段)によると、節分は旧暦の大晦日から四方拝にかけて行われていたらしいが、江戸時代には今のように旧暦春節の前夜に行われるようになった。。

戦前昭和の遠い東京の想い出によると、節分の夕方になると、各家ごとに”鬼は外、福は内”の豆まきの声がこだました。門前には柊の枝に鰯の頭をさしたものが飾られていた。僕ら子供は部屋の中にまかれた”福の内”の豆を年の数だけ食べたりした。わが家では卆寿を迎えた僕が、今でも近所に迷惑にならぬよう、声を潜めて”鬼は外”と豆をまき、形だけ部屋の中にまかれた”福は内”の豆を拾って食べる。

中国では春節の前日、日本のような節分の行事が今もあるかどうか寡聞にして知らない。節分とは四季の変わり目、気候の変動、健康に悪いので、昔の人は追儺の形で考え出したものかもしれない。現代版の追儺行事を考えてはどうだろうか。といって”鬼は外”でウィルスを巻きちらされては困るが。(写真はわが家のベランダの鉢植えの柊)