わが家の”ファミリー.ヒストリー”の調査をお願いしている遠縁から、伯父さんに当たる方(大正12年生まれ)の軍歴証明書のコピーが参考までにと送られてきた。昭和18年(1943年)12月1日、近衛歩兵三聯隊に補充兵として現役入隊し、21年5月、スラウェシ島のマナドから田辺港に復員帰国するまでの記録だ。
新型コロナウィルスの流行に触発されて武漢三鎮作戦を調べていた最中なので、この軍歴に18年12月14日、中支山東省棗荘の警備につくとあるのに驚いた。僅か2週間で朝鮮半島に渡り、鮮満(満州)国境、満支(支那)国境を列車で通過、警備についているのだ。さらに驚いたのは、それから2か月後の19年2月には転戦しながら上海に移動、4月にはマニラ経由、5月ハルマヘラ島のワシレ上陸作戦に参加している。
ワシレ上陸作戦は俳優の池部良さんが書いた「ハルマヘラ.メモリー」(中央公論社)に詳しいが、、この方の部隊はさらに8月にはインドネシア最北端のタラウド諸島のカラケラン島の守備に就いている。多少大戦中のインドネシアの戦史を知っている僕でもこんな小島に近衛兵が駐屯していたと思わなかった。
戦後75年、あの戦争も体験しない世代が多くなってきた。今考えると、中国大陸までわざわざ大勢の兵を運び、逆送して南方の孤島に近い小島の警備につかせる、戦争とは随分と無駄な無意味なものだのを再確認した。