「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

普天間から辺野古まで25年 戦争を知らない政治家たち

2020-06-09 06:48:02 | 2012・1・1

コロナ禍の異常事態の中で行われた沖縄県議員選挙は玉城デ二―知事を支持する県政与党が25議席を獲得、かろうじて過半数を維持した。この結果普天間あら辺野古までの基地移動の問題解決の道のりはまた遠くなった。普天間基地問題が発生し、代替え候補地として辺野古の名前が出てから25年、四分の一世紀近い歳月が流れている。

四分の一世紀といえば戦後沖縄が本土へ復帰するまでの歳月27年に近い。普天間問題は民主党鳩山内閣時代”少なくとも県外”で迷走したこともあり、合法的な手続きを経ているにもかかわらず、いまだに移転先の辺野古では反対運動が続き、埋め立て工事への妨害も続いている。

75年前の昭和20年6月6日日本海軍の沖縄根拠地隊太田光司令官は”沖縄県民かく戦えり。この県民に対して後世特別な高配を賜り足し”と海軍次官に電文を送り。自らも自決されている。沖縄戦では民間人を含む23万人が犠牲になっている。時移り、今回の県議選挙で当選した52人は全員戦後生まれである。 玉城知事も昭和34年生まれ60歳である。

太田司令官同様、僕も上陸してきた米国軍との間で沖縄県民が勇敢に戦われたこと知っている。我々後世の人間が高配を送るのは当然だ、沖縄の政治家の先人たちもこれに答えて普天間から辺野古への行程をダウンロードしてきたのではないだろうか。