「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

南海の孤島で敗戦を迎えた 近衛兵の20か月の軍歴

2020-06-24 05:05:41 | 2012・1・1

「ファミリーヒストリー」を調べられている遠縁の方から、伯父の戦時中の軍歴証明書が入手できたとコピーを頂戴した。伯父さんは大正12年6月まれで存命されておれば、98歳だが残念ながら物故されている。証明書を拝見すると、伯父さんは昭和18年12月1日、満20歳で近衛師団歩兵3連隊に補充入隊している。補充というのは、師団本隊はすでにインドネシアのスマトラに展開、駐屯していたからだ。

軍歴を拝見して僕には改めて驚くことばかりだ。従来からの中国大陸に含めて戦線が豪北方面からインド洋にかけて拡大したため極端な兵力不足になっていた。伯父さんたちは入隊して僅か1週間、新兵教育もろくにせず博多を出港、朝鮮半島経由、14日には、中国山東省の任地に到着、歩兵砲兵小隊に編入されている。僅か2週間の即席兵隊だ。そのあと、中国各地を転々と守備に就きながら移動、明けて19年4月には上海からマニラ経由インドネシアのハルマヘラのワシリ上陸作戦い参加している。

ワシリ作戦には俳優の池部良も参加、戦後自著「ハルマヘラ.メモリ―」にその模様を書いているが、伯父さんたちの部隊はそのあとすぐ6月には近海にあるサンギヘ島に転進、さらに8月にはタラウド諸島のカラケラン島に上陸守備についている。この間、伯父さんは衛生兵に転属しているが、20年8月の敗戦まで約1年間、この南海の孤島に駐屯していた。

カラケラン島のあるモルッカ海峡では、ハルマヘラに隣接するモロタイ島の飛行場奪還のため再上陸してきた米軍との間に激しい戦闘が展開され数千人もの犠牲者が出ている。軍隊は「運隊」と呼ばれたそうだが,同じハルマヘラ作戦に従軍しても、その後の作戦地の違いによって運命を別にしている。天皇と皇居を守る目的で創立された名誉ある近衛師団で敗戦を南海の孤島で迎えた人は少ない。