バンダ.アチェの名は2004年のスマトラ沖地震とで壊滅的被害を受け、その名を一躍世界に広めた。それまではスマトラ最北端インド洋に面した旧クタ.ラジャ(王国)跡の一州都に過ぎなかった。アチェのことをインドネシアでは「Pintu.agama」(宗教の玄関口という。イスラム教が初めてこの地に渡来したという意味だが、宗教だけでなく、西方からの文化の玄関口だった。13世紀のイタリアの冒険家マルコポーロの著「東方見聞録」にもクタ.ラジャの名前は出てくるそうだ。
クタ.ラジャと日本との間の正史はないが、大東亜戦争中アチェに従軍した方々が戦後、出していた戦友会誌「阿智恵会」には戦前、戦中のクタ.ラジャとの興味深い秘話が紹介されいる。例えば1907年アチェ王国の最後の王様がオランダ側に逮捕された理由は日本側に軍艦の派遣を依頼したからだという。
大津波の前の1997年11月、僕は大戦中日本軍のレーダー基地があったロンガ海岸の元在日インドネシア観光局ハサン局長(故人)の経営するバンガローに泊まり、近衛師団のアチェ上陸作戦の跡を見て回ったが、当時でも半世紀近く経過しているの戦後インドネシア独立戦争に参加した日本軍の黒岩隊長の話が伝わり残されいるのに驚いた(小ブログ2015年4月4日参照)アチェ人には日本人と共通の尚武の気持ちがあると先輩から聞いたことがる。
なお、バンダ.アチェのバンダはペルシャ語の港の意だとアチェ出身のJICAの研修員から聞いたことがる。一度津波から復興なったアチェの町を見たいものだ。