長い拡がりを持つインドネシアでも赤道直下は西スマトラのボンジョルノとこの町の二つしかない。西カリマンタン(ボルネオ島)の州都でカプアス河の河口に発達した華僑の多い港町である。町の名前のいわれとして、ポンチ(ponti) アナック(子供の幽霊)とあまり町名としてはふさわしくない。昔、高波や津波が起こる度に子供が大勢流され死亡したいういわれからだという。
この町で先の戦争中おそらくインドネシアでは最大唯一つの悲劇が起きている。戦時下蘭領ボルネオは海軍軍政下にあり、ポンチアナックにはバンジャルマシンに司令部がある海軍第22根拠地隊の分遣隊が派遣されていた。陸軍の憲兵に当たる「特景」の25歳の若者が事実上の隊長だった。占領当初、陸軍統治下であった頃は前田年為司令長官が土地のサルタン宅を訪問、何番目かの”奥さん”と写真を撮るなど平和であった。
このポンティアナックの町で昭和19年9月頃からスパイ狩と称して連日市民が逮捕され、90キロ離れたマンドゥルに運ばれ惨殺された。マンドゥルの地には現在、犠牲者21037人を祀る慰霊碑が建っている。戦後のBC級戦争裁判で、この事件で日本人16名が処刑されている。しかし、和蘭歴史資料館の記録は犠牲者は1200名としている。マンドゥルでは毎年6月27日。州知事が参加して慰霊祭が行われる。当時の関係者も少なくなってきた。