鶴見は横浜市の北部に位置し、その北西部の丘陵地帯に曹同宗の大本山、総持寺がある、もともとは石川県輪島にあった諸嶽寺を移転した来たものだが、明治時代の大火で本堂など伽藍は消失した。しかし、50万平方mという敷地は広大だ。境内には併設の鶴見大學の施設もある。
総持寺の丘に隣接した丘に「花月園」がった,大正3年,企業家がパリのモンテブローに模して遊園地を作り、最盛期には専属の舞踊団まであった。しかし、昭和初期の恐慌から戦争になり、子供中心の遊園地と規模を縮小した。そして戦後は競輪場に転向したが、その競輪場も平成20年廃止された。筆者も30歳代、競輪にこっていたころ、月に何回か鶴見駅からバスにのって通ったものだ。
鶴見の臨海部はJR鶴見線沿いに京浜工業地帯だ.。戦争末期の昭和19年、東京の下町で呉服商をしていた従兄が鶴見の造船所へ強制徴用されて見舞いに出かけたことを思い出す。京浜地帯に空襲が激しくなってくる頃であった。