会議を重ねてもなかなか結論が出ないことを「小田原評定」という。その会議を重ねていた北条執権のお城があったのが小田原城である。1139年に築城されたが1708年の大地震で破壊された。その後江戸時代には大久保家の居城になったが、明治維新で廃城になった。現在のお城は昭和35年に再建されたものだ。
「小田原」を上に冠した名物が二つある。1つは童謡「お猿の籠や」にも出てくる「小田原提灯でる。その昔、参勤交代の大名行列や旅人が夜間箱根越えをする際、折り畳みで便利なこの提灯を使ったようだ。箱根の山の狸狐に騙されないように大雄山最乗寺の神木を材料の一部に使われているとのこと。もう一つは「小田原蒲鉾」である。相模湾でとれるキスなど特定な魚を材料にして美味である。江戸の正月料理には紅白の「小田原蒲鉾」はなくてはならない。
今は町名としてなくなったが、抹香町は筆者ら昭和1桁にとっては懐かしい、戦後すぐの時代、小田原在住の私小説作家、川崎長太郎が月間の小説雑誌に当時あった抹香町の遊郭のことを書いて人気があった。現在は遊郭などはなく住宅街になっており、一部に往時をしのばせる建物が残っているとか。