「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

勝手連と政治家との関係

2007-04-11 06:19:22 | Weblog
小ブログは都知事選の公示日の3月22日に「石原氏”地すべり”勝利」を
勝手に予想した。勝利の予想は見事に的中したか”地すべり”勝利だか
どうかは微妙だ。石原慎太郎氏は浅野史郎氏に100万票以上差をつけた
が、浅野氏は169万以上の有権者から支持を得ているからだ。

正直いって僕は100万人以上の日本人が、このIT時代に浅野候補に投票
するとは思わなかった。僕みたいな老人でも、彼が何を考えているのか、
また、彼を勝手に支持している層がどんな連中だかはIT情報で判かる。
君が代、日の丸反対、北朝鮮の拉致さえ認めない連中が支持している候
補には、とても恐くて都政をまかされない。

勝手に支持するといっても、政治家は自分の主義主張にあわなけれれば
事前に断る権利はないのだろうかー。ただ票の欲しさに黙っているのでは
票を呑みこむロボットにすぎない。

勝手連とは勝手に支持するといっても、支持候補が当選すれば、反対給付
を求めてくるのは”勝手連”の元祖、横路・北海道知事選の時ではっきりし
ている。浅野氏はかって横路知事の下で直接体験しているはずだ。

今回の勝手連の中には”団塊勝手連”というのもあった。東京都政に世代
が何か関係があるのだろうかー。ジェンダーに関係している団体も勝手連
に入っていた。さすがに老人団体からは申し入れはなかった。縫ぐるみ人形
と踊るような候補には、年より世代は抵抗があって支持できない。





戦争を知らない学者の”His story"(歴史解釈)

2007-04-10 05:50:58 | Weblog
民間放送テレビの討論番組に出演していた国立大学教授が
”敗戦で旧軍関係の資料は命令で焼却された”意味の発言を
していた。乱暴な言い方である。防衛省の防衛研究所に行け
ば、いくらでもあるし、コピーならば僕の手元にもある。

20年前になる。この教授の僚友が防衛庁(当時)の図書館で
旧日本陸軍がマレーで大虐殺した重要文書を発見した、と朝日
新聞が報じた。重要文書は昭和33年以来一般公開されてきた
軍の「陣中日記」で、陸軍の”抗日共産匪賊掃蕩作戦”に参加し
たときのものであった。文部省が教科書の記述の”進出”を”侵
略”に書き直しを命じた、と朝日新聞が誤報した頃のことだ。

この出演者と共著を出している別の先生は、インドネシアのス
マトラの第25軍司令部が三千人の労務者を虐殺したと、と見て
きたようなウソを自著に書いている。誤りを指摘されても訂正
しない。”His story"である。

彼らは歴史を勝手に自分で解釈するので、こういう過ちをする。
もう一人、有名大学の女性教授。女性だから”Her story"だが。
彼女は自著の中で”昭和16年12月8日、わが国がオランダに
宣戦布告した”と書いている。ケアレス・ミステークとは思え
ない。

報道機関は公平をきすためか、いろんな意見立場の人を出す。それ
はある程度わかるのだが”His story","Her story"に固執する学者
はお断り願いたい。民放といえども国民の電波である。




花まつり 仏教 商業主義

2007-04-09 07:02:18 | Weblog
きのう4月8日はお釈迦様の誕生日,花まつりであった。東京・麻布十番
商店街が地元の仏教会と協賛で、稚児行列をしていた。明治時代からの
古い盛り場だが、戦後一時地盤沈下していた。それが数年前、二つの地
下鉄線の開通によって昔の繁栄を取り戻した。

商店街の近くには外国の大使館があり、稚児行列には外国の子供も嬉
々と参加していたのが、なにかものすごく新鮮であった。家の近くのお寺
は、なぜか例年とちがい前日に花まつりをしていた。国の祭日が”ハッピー
・マンでィ”で固定されなくなったためか、昔からの行事も休日に移行する
ケースが増えてきた。善光寺の門前町では5月の”ゴールデン・ウィーク”
に花まつりをするそうだ。

日本人の大半は仏教徒である。熱心かどうかは別にして葬儀だけは佛式
でやる家庭が多い。それなのにキリスト教の行事ークリスマス、復活祭、バ
レンタインなどなどーが大好きだ。そして商業主義に踊らされている。一方、
仏教はどうなのか?昔からある、花まつりのような行事さえ一般社会から
遊離している。

麻布十番の稚児行列は参加希望の子供が多く.事前に早々と締切ったと聞く。
商店街が上手にこの昔からの行事を利用した。冗談だが”甘茶にかっぽれ”と
いう話もある。甘茶とは花まつりのときお寺さんが甘露にかわって信者にご
馳走したノン・アルコールの飲料だ。健康志向、布教をかねてお寺さんでお
売りになったらどうですかー。






サイタ サイタ サクラガ サイタ 70年前の1年生

2007-04-08 06:57:42 | Weblog
昭和12年4月1日、僕らは東京品川区立の尋常高等小学校に
入学した。校門の桜は満開、ピカピカの一年生だった。あれから
70年、きのう僕らは当時の級友8人とささやかな会をもった。
みな白髪禿頭の喜寿の年齢を迎えた。

当時の文部省国定尋常小学校1年の国語教科書巻1は「サイタ 
サイタ サクラガ サイタ」で始まっていた。カタカナだった。
国定教科書としては始めての色刷りで、見開きの向かって右側に
は満開の桜、左側には遠くに山を配した里山の桜が印象的だった。  

「サイタ サイタ」の次が「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」だったが
その年7月7日、日支事変が始まり、長い長い戦争の時代に入った。
中学3年までである。今の義務教育の期間、ほとんどが戦争だったわ
けだ。

母校は昭和20年4月の空襲で全焼した。そして校名だけ残り近
くの学校と合併した。ところが、その校名も二年前、都会過疎とい
う理由で校名まで、取り上げられ”竹馬の地”とは無関係の小中
一貫校が誕生、よその土地から子供が通ってきている。

70年前、桜の校門をくぐった級友もいま消息のわかるのは10
名前後、毎年学校のあった地にこだわって会を開いている。が、
校名もかわってしまった昔の学校跡を訪れる気持ちにはなれない。
秋祭りの想い出のある”産土神”へ行き手をあわせた。役人の勝手
で卒業生の了解もなく100年以上の歴史をもつ学校を消してし
まう暴挙に腹がたつ。

「俺は君のためにこそ死にに行く」

2007-04-07 07:50:13 | Weblog
旧制中学時代の友人に誘われて「俺は君のためにこそ死にに行く」
という戦争末期の特攻隊員の生き様、死に様を描いた映画を一昨日
試写会で見た。僕は本当のことを言うと戦場シーンが嫌いなので友
人の誘いにリラクタントだったが、見た後の感想は”グッド”、映画
会社のアンケートにも85点をつけた。

僕らの世代は戦争体験が当時の年齢によって違う。従軍世代も戦地に
よって戦争感が違うようにだ。この映画の総指揮を取った石原慎太郎
や主演の岸恵子は、いわゆる集団疎開児童、敗戦時中学1年生だから
戦争には組み込まれていない。そういうわけか彼らには戦争の過酷さ
についての認識があまい。

映画の宣伝ビラを見て石原慎太郎・総指揮監督と知り、彼の戦争認識
が反映している、のではないかと恐れた。が、それは杞憂でさすが芥川
作家である。きちんとあの時代を総括し、当時の日本人の心を描いてい
た。岸恵子も少女時代の体験を見事に演技に反映し好演である。

僕らは戦争末期、敵の上陸作戦に備え、利根川運河の拡幅工事に学徒
動員され、特攻隊員と同じような生活をしていた。敵の艦載機の機銃
掃射に逃げまどった。多分、戦争があと1年続いていたら、僕らは特攻
隊員と同じ運命”見事に”国のため散華していたかもしれない。

僕は戦場シーンにアレルギーである。この映画にも映画の体質上,戦闘
場面はある。しかし、それ以上に製作側に観衆に何を伝えたいのかーそ
のメッセージがある。僕は戦争を知らない世代に、ぜひ、このメッセージ
をくみ取ってもらいたい

二つの日本映画をみて

2007-04-06 07:28:10 | Weblog
一昨日、昨日と二日続けて日本映画をみる機会に恵まれた。こんなことは生
まれて70余年初めてだ。一昨日は友人に誘われ渋谷の劇場で蒙古誕生の歴
史「蒼き狼」、昨夜はこれまた別の友人の好意で新橋のホールの試写会で特
攻を描いた「俺は君のためにこそ死に行く」である。

日本映画がやっと復調の兆しをみせてきた。2006年の公開作品821本は1995
年以降で最高、スクーリン数3,062本は対前年比136本増、3,000本を越えたのは
1970年以来との事。入場者数は1億6,427万人。そして21年ぶりに邦画の興行収
入が洋画を上回った。あまり映画好きではない僕が二日連続行くのだから分かる
ような気がする。

昔、僕らが子供だった頃、映画は全盛期で、庶民の唯一の娯楽であった。映画館は
どこの地方の小さな町にもあったものだ。今のようなホテルやビルの中にある立派
な豪華なものではなかった。昭和10年代まで館内の中央には警察官の臨官席があり
通りを挟んで男と女の席が仕切られていた。

今の映画館は豪華さを売物にしているからトイレの匂いなどしない。お客もマナー
がよくなって、お煎餅をボリボリ食べたりしない。しかし、映画の内容はどうだろ
うかー。今回は偶然二本とも戦争場面が多かった。特に「蒼い狼」は人殺しのシ
ーンが多すぎる。製作者の自己満足のためだろうかー。戦争中の陸海軍推薦映
画みたいだった。「俺は君のためにこそ死に行く」も戦争場面はあった。しかし、
あまりイヤ味に感じなかったのは、製作側に観客へ伝えたいメッセージがあった
からだろう。それは別項で紹介したい。


勤勉なおばちゃん 怠け者のおじいちゃん

2007-04-05 06:26:34 | Weblog
新学期は子供だけではない。老人(ただしおばちゃん)の新学期で
もある。我が老妻の4月から始まる習い事を紹介しよう(カッコ内は
1か月の回数)。習字①クレオン画①フラダンス②墨絵①健康体操
①民謡①-月に9回6つの習い事に挑戦する。これに対して僕は
ゼロ。老妻が勉強で外出のさいは家で留守番である。

こういった習い事は、すべて区や町会の主催。男女参画で授業料も
安い。が、老妻の話では男性の参加者はどの講座もほとんどない。
輪投げ、民謡に2,3人、つまり頭と身体をあまり使わないものにだけ
参加している。なまけ者は僕だけではない。

東京の区部では地域にもよるが、だいたい同じような状況らしい。が、
田舎ではおじいちゃんは、もっと活発のようだ。ただし最近ちょっと不
人気になったのは、ゲートボール。老人スポーツの代名詞のようだった
が、従軍世代と違って僕ら昭和1ケタは、人から号令されたり、号令
するのはあまり得意ではない。こんなところに原因があるのかも。

僕の唯一の運動といえば、近くのスーパーへ自転車に乗っての買物だ。
行くと、ご同様、閑をもてあましたおじいちゃんがウロウロしている。
行くところがないのである。中には見ていると、弁当とカンビールを買って
休息所のソファーで仲間と”宴会”をしている。最近まで近くの公園で野外
マージャンをしていたグループがいたが、風紀上よくない、と禁止された。
都会のおじいちゃんは怠け者、どうも生産的でない。

全国学力テストと犬山の言い分

2007-04-04 06:50:45 | Weblog
全国学力統一テストが今月24日実施されれる。全国の小学校6年、中学
3年を対象に国語、算数(数学)2科目について行われるが、岐阜県犬山市
教育委員会だけが、いち早くこれに反対を表明、本まで出して騒いでいる。

全国規模の学力テストは1956年から約10年ほど小、中、高校生対象に行
われた時期があったそうだが、参加校が少なく、教職員組合の反対で中止さ
れた。日教組がのさばりかえり、文部省が言いなりになっていた時代でもあっ
た。そして、そのあと”ゆとり教育”の時代が続いた。その結果が子供の学力
低下である。かっては国際的な学力テストで上位を占めていたのが、いつの
まにか低下してしまった。

今回の統一テストはこういった背景の下に実施されるが、犬山市教委はここ数
年、市独自の少人数による”競争原理”を排除した教育を実施しているので統一
テストには反対だという。統一テストはいたずらに地域間、学校間、子供同士の
学力競争をあおり、教育に悪影響を与えるからだと主張している。

犬山市は昨年12月の市長選挙で、学力テスト参加を公約にした新市長が当選
した。普通首長が交代したときには、教育長も辞意を表明するのがしきたりのよ
うだが、教育長は”いすわり”を続けている。どうもこの教育長は日本の教育の現
状がどうなのかとか、これをどうしたらよいかーというより自分のかたくなな教育
理念に固執しているだけのように見受ける。70歳という年齢、老害なのだろうかー。


ある藤原(F)機関員の死

2007-04-03 06:47:29 | Weblog
「ゆりかごの歌」「からたちの花」などの童謡作家と知られる北原
白秋に「マレー作戦の歌」(昭和17年年)がある。
    ① 雲か山かと見渡せば マレーは今だ十字星
      万里の怒涛乗り越えて 船は満ちたり輸送船
      怒涛の如き我が軍の進撃を見よ電撃を
    ② 敵の囲みをつく作戦に クアンタン沖の猛迫に
      相叫び応え突破する タイと英との国境線
      怒涛の如き我が軍の進撃を見よ 電撃を 

昭和16年12月8日、マレーのコタバルとタイのシンゴラに上陸し
た我が軍は怒涛の如き電撃戦で翌17年2月16日シンガポールを
陥れた。この世界に類をみない作戦は当時の国定国語教科書にも
掲載され、藤田嗣冶画伯も戦争画に描いた。

いま、日本人の何人が当時のことを覚えているだろうかー。一昨日
僕はこの電撃戦で大活躍した藤原(F)機関員だったO氏の子息と会
い、尊父のことを聞いた。藤原機関は開戦時、在マレー・インド人90
万人を我が軍の見方につけ、インド独立の基礎となるインド国民軍を
結成した陸軍の諜報機関である。O氏の尊父は藤原岩市機関長の通
訳をしていたが、17年3月、東京で開かれたインド独立会議に出席の
途次乗っていた飛行機が北アルプスの焼岳に激突、プリタム・シンILL
(インド独立連盟)書記長ら独立の志士と共に遭難死した。

白秋の歌詞も藤田画伯の戦争画もそしてO氏の獅子奮迅の活躍もい
まや忘れられかけている。”戦争は悪”というフレーズで一刀両断され、
戦後墨で塗りつぶされた教科書同様歴史から消えようとしている。歴
史は歴史として後世に残すべきである。


老人の在宅医療は大丈夫か

2007-04-02 06:50:35 | Weblog
75歳以上の高齢者を対象とした医療制度が平成20年から
スタートするそうだ。厚労省が社会保障審議会に提示した案
によると、従来の外来医療、入院医療とは違う在宅医療を中
核にした制度だという。

在宅医療と聞いて、僕は昔の「往診」と早とちりした。昭和30
年代頃まではあったような気がするが、白衣を着たお医者さん
が黒い大きなカバンを看護婦さんに持たせ、患者の御宅を往診
していた、あの「往診」である。僕も子供だった頃、自宅でお医
者にノドを吸入して貰った記憶がある。

ところが在宅医療と往診とはまったく違う。厚労省の基本的考え
方は、従来の病院、クリニックなどと違い在宅医療専門の施設を
設け、医師、看護師が定期的に患者の家へ行き診断するものだと
いう。これによって①高齢者の患者を病気別ではなく総合的に診
断できる②一人暮らしの寝たきり老人に対応できる③終末期を自
宅で迎えたいという患者の希望にも応えられるーというものだ。

高齢者にとって好いことばかりだが、加齢と共に疑い深くなってき
ている。よく高齢者の患者が一つの病院から次の病院へ”たらい
回し”されるケースを聞く。医療費の高騰を防ぐ策なのか、あるいは
医療機関の経営難のためなのかしらない。新しい在宅医療はこの解
決策なのだろう。厚労省の案どおり万事うまく動いてくれればよいが、
地方による医者の格差、福祉サービスの現状をみると、なんだか病
院からの年寄り追い出し策ではないのか疑いたくなる。