「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       善光寺での聖火点火に反対

2008-04-12 06:53:17 | Weblog
北京五輪の日本での聖火リレーが4月26日、長野市の善光寺を起点に80人の
ランナーによって市内18・5㌔のコースで行われる。中国のチベット弾圧をめぐっ
て抗議運動が世界的に盛り上がりをみせている時に、同じ仏教のお寺である善
光寺で聖火を点火し、ここからスタートするというのは、一仏教徒として反対であ
る。あまりにも無神経だ。

ネットをみると、すでに抗議が善光寺へも向けられている。門前町の長野であり
そのシンボルの善光寺が起点となって行事が行われるのは当然だが、時が時で
ある。チベットのラマ僧が中国当局によって弾圧されている画面を世界中の人が
みている。それなのに同じ仏教徒である日本人が寺の境内で抗議もせず、歓迎
の点火をすれば、世界中はどう思うだろうか。

僕は昭和28年から29年にかけて長野市で勤務したことがある。当時善光寺の境
内にインドの仏教徒から贈られてきた白牛が飼われていた。敗戦による日本人の
失意を慰めようと贈られてきたものだ。仏教徒同士には仏の慈悲による連帯感が
あるものだ。もともと長野が聖火リレー地に選ばれたのは1998年の冬季五輪の開
催だったからだ。それなら開催施設だったMウエーブからビッグハットめぐりで十分
である。

長野の聖火リレー委員会に対して、中国側から事前に妨害行為を取締れとか、聖火
警備隊を派遣するとか申し入れがあるそうだが、言って見れば聖火リレーなんか五
輪の"ふれ太鼓”にすぎない。映画「YASUKUNI」と同じように、中国の甘い口車に乗せ
られないほうがよい。

    "猫に小判" ”豚に真珠” ”老人にケータイ”

2008-04-11 06:21:45 | Weblog
ケータイは老人にとって”猫に小判””豚に真珠”である。外出する機会はあまり
ないし、第一メールしたくても相手がいない。若い人のようにいろんな機能が駆使
できない。せいぜい時々カメラ代わりに使うぐらいだ。それでいて月3千円ぐらい
の使用料がかかる。娘から”もったいないから、やめれば”と注意された。

電車やバスに乗ると”猫も杓子”もケータイと戯れている。さすがに大声をあげて
通話している乗客はあまりみかけない。でも車内放送でしきりに使用禁止を呼び
かけているところをみるとトラブルがあるみたいだ。先日も競輪送迎バスで使用
をめぐって殺人事件が起きている。

ケータイは車内だけの現象ではない。立ってもケータイ、歩いてもケータイ、自転
車に乗ってもケータイである。昔”ながら族”という言葉があったが、ケータイなが
ら族の誕生だ。その割りに若い人の動作が敏捷になってきたとは思えない。駅の
切符売場で後の人にお構いなく待たせるのは、若い女性だ。人を突き飛ばすよう
にして降りる乗客も、たいてい、さっきまでケータイしていた若い人だ。

大都会では、最近若い人の間で座禅が静かなブームと聞いた。”さもありなん”と
いう気がする。ケータイの虜になっている若い人も人間である。時には頭の休息
が必要だ。ケータイから離れて瞑想の時間があってもよい。逆に時間をもてあま
す老人は、ボケ防止にもっとケータイに励もう。


         "かわいそうな”福田総理

2008-04-10 06:17:25 | Weblog
福田総理と小沢民主党代表との党首討論を昨日、テレビの中継でみた。一言でいえば
今の政治を象徴する国民のイライラをますだけの討論。僕の目には小沢代表の人を小
馬鹿にしたイヤな笑いと、福田総理の今にも泣き出しそうな表情が印象的だった。

小沢代表は(1)ガソリン税を中心とした暫定税率(2)年金(3)チベット問題に絞って質
問したが、二回まで国会延長して時間があったのだから、党首討論にまで持ち込まなく
てもよい問題だ。福田総理の言葉を借りれば、いっこうに前進がない。国民の視点にた
っていない。

小沢代表は、あれほど国会を混乱させた日銀人事には触れず、福田総理の逆質問に答
えていたが”天下り反対”のお題目だけ。何度も”大蔵省””大蔵省”と今はない役所の名
前を繰り返していたが、ご愛嬌ではすまされない。この程度の認識で原則論を繰り返す指
導者では国の舵取りは任せられない。

福田総理の態度もいただけない。珍しく感情に走り”かわいそうなばかり(国会運営)に苦
労している”と発言していたが、冗談にせよ一国の宰相だ。低姿勢もほどほどにして堂々と
して討論にのぞんで欲しかった。相手は党利党略の自分勝手な政治家である。毅然とした
態度を崩してもらいたくはなかった。

小沢代表は体調を崩してお粥を二回食している、と弁明していたが、その割には画面でみ
る限りお元気に見えた。逆に乾いた唇をなめなめ答弁する福田総理の方が弱弱しく映った。
判官贔屓ということもある。総理、もっと元気をだそう。

          カメルーンから来た隣人

2008-04-09 07:01:07 | Weblog
わが家の階下の部屋にカメルーン人が引っ越してきた。国際派を自認する僕でも
正直言って「カメルーン」のことはあまり知らない。にわか勉強で、この国について
学んでいるが、かっては遥か遠い遠い存在だった「アフリカ」も身近になったものだ。

1960年は"アフリカの年”だった。この年、僕は新聞社の外信部に勤務していたが、
今でも、この年に特別な感銘をもっている。1月1日にフランス領カメルーンが独立し
たのについで、この年だけで16か国が宗主国から独立した。1945年の日本の敗
戦を契機に僅か15年で"独立の波”が、こんなに早くアフリカの岸に到達するとは思
ってもいなかった。

戦前、日本人のアフリカに対するイメージは、ジャングルと猛獣と未開の黒人だった。
戦後まもなくの昭和20年、30年代でも冒険物語「少年ケニヤ」(山川惣治)の世界であっ
た。今でも野口英世の名前は知っているが、黄熱病の研究で亡くなられたアクラがど
こにあるか知る人は少ないがー。

5月28日から30日まで横浜でアフリカ開発会議(TICAD)が開かれる。1993年、98年、
2003年についで4回目で、アフリカ諸国、援助国などから1千名の参加者がある大国
際会議なのだが、今一つ盛り上がりがない。国内の政治の混乱で、アフリカどころで
はないのかもしれないが、飢餓と貧困と病気(エーズ)に悩むアフリカの実態は想像を
絶するものがある。

身近な隣人からカメルーンを勉強したいと思い、とりあえず、東京・池袋にあるという
カメルーン料理店で身近な食から勉強したいと思っている。

    マレーシア国歌「我が祖国」と「トウラン・ブーラン」

2008-04-08 06:53:51 | Weblog
昨日の「産経新聞」にマレーシア国歌「我が祖国」がインドネシア民謡?ではないか
と書いてあった。若い記者だから仕方がないが、この歌の元歌「トウラン・ブーラン」
は大東亜戦争で南方へ従軍した日本の兵士なら「ブンガワン・ソロ」とならんでみな
知っている。銃後の小国民であった僕も昭和17年、学校の吹奏楽団が日比谷野外
音楽堂で演奏したのを覚えている。
            ▽「トウラン・ブーラン」(月のあかり)
          月かげ明るい川べりに 浮かんだワニは死んだふり
          のるな男のくちぐるま 死も恐れずと誓うけど
                         (木下みち介訳)

1965年8月31日、マレーシアの初代首相、故アブドル・ラーマンの時代に、このメロディ
が400候補の中から国歌「Negara-ku」(我が祖国)に選定された。
            ▽「Negara-ku」(我が祖国)
          我が生まれた祖国 国民は統一と発展の中に生れ 
          神が授けてくれた恵みと幸せ 我らの国王の在位が
          平和でありますよう(在日マレーシア大使館訳)

この歌の作曲者ははっきりしていない。マレーシアのペラ州では1930年代にペラのサル
タンが英国によってセーシェル島に島流しにされたとき、同島にいたフランス人ピーエル
が作曲したことになっている。一方、インドネシアでは旧蘭領時代の1937年、蘭印で
初めて製作された劇映画「トウーラン・ブーラン」の中で、Miss Roekijaが、この歌を歌って
いる。僕もこのSPレコードを持っている。

「我が祖国」は国歌として編曲されているが、元歌のメロディは、スペイン統治時代の
影響が残る「クロンチョン」である。いずれにせよ1930年代から40年代にかけて英領
マレー、旧蘭領で人々に愛されていた歌だ。南方に従軍した元日本軍の兵士も昔は
酒宴の席でも歌ったが、今は戦友会でも酒が入れば歌わない。

         増上寺大法要にチベットを思う

2008-04-07 07:16:45 | Weblog
きのう徳川将軍家の墓所がある東京・芝の増上寺で催された浄土宗宗祖、法然上人
の「御忌大会」(ぎょきたいえ)に参席した。「御忌大会」は法然上人が亡くなられた命
日を偲んで毎年櫻の頃に行われる浄土宗の大祭である。今年はわが家の菩提寺、浅
草・源空寺の住職が祭りの唱導師を勤められた。大門から三解脱門を通り大殿まで繰
り拡げられた"お練り”や"稚児行列”は桜吹雪の中、さながら一幅の江戸絵巻をみる華
やかさであった。

東京生れの東京育ち、三代続く家系だが、この歳になって初めて、この絵巻を目にした。
大殿での法要も絢爛だった。色とりどりの仏衣をまとった百人をこす僧侶の読経の声と
鉦や太鼓が響く伽藍の中で散華が舞う。仏教文化の粋である。千人の善男善女に混じ
って僕も初めてつけた葵の紋入りの袈裟をかけ「南無阿弥陀仏」を唱えた。

同じ仏教でもチベットでは、共産中国の弾圧で、生き仏のダライラマが国外へ逃れて伝
統文化が破壊の危機にある。幸いにもわが国は他国からの侵略からまぬかれかれ千
数百年の伝統文化がこうして守られている。戦争中の空襲で増上寺の大半は破壊され、
多分「御忌大会」どころではなかったであろう。花吹雪の下で、この伝統の華やかな大法
会を観ることが出来、改めて平和の幸せを噛みしめた。そして遠くチベットの悲劇に思い
をはせ、一日も早く共産中国が侵略から手を引くように祈った。

「御忌大会」はきょうも増上寺で催される。

          民主党の"わが世の春”

2008-04-06 06:44:45 | Weblog
新聞に東京・音羽の鳩山会館にの恒例の「櫻を観る会」の写真が載っていた。小沢
一郎代表を中心に民主党幹部のお歴々が、杯を上げ、勝ち誇ったように"わが世の
春”を謳歌しているーように僕の目には映った。

民主党にとっては政権奪取の千載一遇のチャンスかも知れないが、国民にとっては
困りものだ。国の経済の舵取り役の日銀総裁は決まらず、全国の道路計画もストップ、
地方の経済は停滞し始めてきた。ガソリン代の値下げで喜んでいる時ではない。政府
の施策も悪いが、それ以上に民主党の対応がお粗末だ。一か月以上も参院の実質
審議をストップさせたのは民主党の責任だ。言い訳にはならない。

またまた小沢代表が在日米軍駐留経費負担に関する新特別協定案を議決する衆院
本会議を欠席した。例によって”別の日程があった”という説明で"私には私の優先順
位がある”そうだ。まったく国会議員としての自覚がなく、自分勝手な男である。

その昔、仁徳天皇が、高き屋に上り、民のかまどが賑っているかどうか観察したという
古事を修身で習った。音羽山上の鳩山会館から眺めた民のかまどぶりはどうだったか。
政府も野党も国民の視点にたっての政治を唱っているが、国会が混乱しているうちに
民の心は閉塞し、いらいらが積もってきた。9日には党首会談が予定されているそうだ
が、またまた直前になって小沢代表が”ドタキャン”するのではないかと、僕は心配して
いる。それほどまでに信用はない。お二人とも頑張って下さい。

          71年前の同期の桜

2008-04-05 06:13:44 | Weblog
今年の櫻は長持ちしている。東京では開花してからそろそろ二週間もたつのにま
だ花を残している。が、さすがに今日あたりから散りかけてきた。そんな花吹雪の
中で、71年前、同じ小学校の門をくぐった仲間6人と同期の会を催した。すでに喜
寿を祝った老爺ばかりだが、会えばお互い”オイ、お前”の昔に戻る。

僕らが入学したのは昭和12年4月1日、校門横の櫻が全開だったのを覚えている。
みな新しいランドセルに学帽、胸に折りたたんだハンカチをつけ、希望に燃えていた。
まだ平和の時代だったが、三か月後の7月7日には日支事変が起こり、5年生の12
月8日には大東亜戦争が勃発した。小学校6年間は、まさに激動の時代だった。学
制も1年から4年までは小学校、5年、6年は国民学校であった。

母校は昭和20年5月の空襲で焼け、戦後は校名だけは残り、別の場所にあったが、
その校名も都会過疎により廃校になってしまった。僕らの仲間も空襲と疎開でバラ
バラになり、消息の取れているのは12人にすぎない。そのうちの半分が集まったわ
けだ。級長だったS君は東京大学の名誉教授、副級長のK君は名古屋で企業の社
長さんで、わざわざ遠くから駆けつけてくれた。新幹線の車掌さんだったI君も安曇野
からきてくれた。ほかに一級建築士のO君、中小企業の現役経営者のA君、それに
僕が出席者だ。

残念ながら幹事役で、最近まで六本木でビブブラフォンのライブ演奏していたY君は
病気で欠席、かってA級競輪選手でならしたS君も顔をみせなかった。やがてお世話
になろうと思っていた葬儀屋のS君も昨年先に逝ってしまった。散る花をめでながら
同期の桜は世の無常を知りながら適当に酒をのんだ。



           母子家庭の悲劇

2008-04-04 06:04:51 | Weblog
青森県八戸市の母親に絞殺された小学校4年の少年の「おかあさん」の詩は、涙
なくしては読めない。30歳の母親は生活苦と将来への不安から愛児に手をかけた
といっているそうだが、少年の母親へ思いをこめた詩を読んでみて、改めてこんな
悲劇が起きる前になんとかならなかったという思いで一杯だ。

それにしても同じような事件が多すぎる。秋田県藤里町の畠山静香被告の事件もそ
うだったが、やはり母子家庭による悲劇であった。片親家庭の関係者には怒られる
のを承知で書くと、今の若い人たちは自分勝手で耐え性がない。些細なことから離婚
し、結果として悲劇が起きてしまう。

「国民生活白書」によると、全国の母子家庭は123万世帯、父子家庭も17万もいる。
問題なのは母子家庭の平均所得が父子家庭に比べ年233万円と低いことだ。当然
なことだが、生活が苦しいという世帯が53%もいることだ。それに昔は離婚後の親権
は父親だったが、1990年の統計では78%の母親が親権を持っている。

結婚53年の僕の経験から言うと、結婚は知らない者同士の結びつきだ。長い間には
"山あり谷あり”である。お互いに相手を理解し耐えるところは耐えなければならない。
僕の場合は、一方的な老妻の寛容から長持ちしたというのが、子供達のもっぱらの評
だがー。片親世帯は、いろんなケースがあると思うが、短絡的な離婚は決して幸せで
はない。




       「長寿医療制度」と名前は変わっても

2008-04-03 06:33:56 | Weblog
「後期高齢者医療制度」の名称が福田総理の”鶴の一声”で「長寿医療制度」に
突然変わった。”後期高齢者”という名称は僕ら後期高齢者の間で悪評サクサ
ク。多分あと数年で後期高齢者の仲間いりする総理の耳にも快くはなかったの
だろう。このいきなりの変更をめぐって現場は混乱、与党の間でも批判の声があ
がっているという。

”あの世行きのお仲間入り”との酷評さえあった名称の変更は歓迎。ただ名前
は変わっても、内容がそのままでは、というのが正直な気持ちだ。それよりも
「後期高齢者制度」のPRに2億5千万円も使っていたということだ。3月末に政府
広報紙「あしたのニッポン」が、わが家にも届いたが、同じ内容の広報が東京都
からも目黒区からも届き、目黒区にいたっては郵送までしてきている。

周知徹底はよい事だ。が、問題は小ブログ(3月15日)でも指摘したように、内容
なのだ。年金生活者は限られた収入で生活している。知りたいのは新制度にな
って保険料がいくらになるかであるが、保険料=均等割額+所得割額ーの方程
式では判らない。内容も相変わらずの役人言葉の羅列である。

「年金とくべつ便」の受給者発送が始まったようだが、受給者というのは高齢者だ。
そのうち1200万人もいる後期高齢者がどのくらいいるのかは不明だが、僕の仲間
にもボケが出てきている。「特別便」を見ないで批判しては、いけないが、多分、老
人心理や実態を知らずに発送したとすれば、あまり成果は期待できない。税金の
さらなるムダ遣いだけだ。