「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

75年前戦時下の修学旅行

2017-10-02 05:11:50 | 2012・1・1
秋はもの想いに耽る季節である。加齢と共にその傾向が強くなる。亡父の残した日記を読み直していたら75年前の昭和17年年は10月2日、僕は伊勢、奈良、京都へ4日間(往復車中2泊)の修学旅行へ出かけている。この年は前年12月8日、大東亜戦争が勃発し緒戦の勝利で国民が皆沸き立っていた。「出来秋南の海の大戦果」「大東亜弥栄える豊の秋」(亡父の句)。

緒戦の勝利の恩恵で、当時、東京の国民学校(小学校)6年生だった僕らは、戦争で前年まで中止になっていた修学旅行へ出かけることができた。ただ時節柄を考えてか勝利を祈念しての「参宮旅行」という名目であった。僕らは夜9時過ぎ、品川駅から特別仕立ての列車(SL)に乗って出発、目が覚めたら名古屋駅の車窓からお城の金の鯱(しゃちほこ)が望見された。

伊勢へ着くと、小休止の後、僕らはその足で伊勢神宮の内宮外宮を参拝、二見が浦の夫婦岩を見学した。駅前の旅館に一泊、同宿した他校の生徒との間に枕合戦をして引率の教師から大目玉をくらったのを憶えている。二日目は奈良に向かい猿沢池のほとりの旅館に泊まり、春日大社に参拝,鹿にセンベイをやる前に少しかじったが、不味くて食べられなかった。折角、奈良に行きながら「参宮旅行」のためか僕らは法隆寺の大仏には出かけていない。3日目は橿原神宮の神武天皇陵を参拝、その足で京都へ行き、御所を電車の上から拝み、平安神宮を参拝,夜行の列車で帰京した。

時代を反映した修学旅行だったが、75年経った今でも昔の仲間が集まると、旅行の最後に京都駅前の旅館で食べた揚げたてのコロッケの話が出る。東京では、この年を最後に修学旅行は戦争の激化と共に廃止され、復活したのも戦後数年たってからであった。

野田元総理の“股(また)くぐり”

2017-10-01 05:18:18 | 2012・1・1
民主党政権時代の野田佳彦氏が今回の民進党と希望の党との合流に関連して”先に離党した男”(細野豪志氏)の股はくぐらない”と発言したという。細野氏が”三権の長経験者は入党を遠慮してほしい”といった発言への反応である。恐らく、野田氏は希望の党が民進党離党者を公認するかどうかは、小池百合子代表と民進党の前原誠司代表との間で決めるべき問題だというのだろう。

野田氏の”股くぐり”発言は多分、中国の故事”韓信の股くぐり”が頭にあったのだろう。「慣用句ことわざ辞典」(三省堂)によると、中国の漢時代の名将、韓信が若い頃、無頼者にケンカを売られたが、言われるままに無頼者の股をくぐった。後に韓信は,漢の高祖を助け天下統一の功績のあった名将になったが、この故事は”大志を抱く者は、腹を立てずに、よく忍耐せよ”という意味である。

民進党は希望の党への合流を議員全員総会で了承している。前原代表によれば、安倍政権打倒ということで”名を捨て実を取る”ことでの合流だった。ところが、相手の希望の党の小池代表は、民進党全員を公認するのではなく、左派は排除すると公言している。左派のの中には辻元清美議員のように希望の党へは行かないと断言しているが、選挙公示まで10日に迫って、希望の党から公認を得られるかどうか決まらないのは罪な話である。

安倍政権打倒という”大志”があるのなら、前原代表は小池代表との話し合いの中で、無条件の合流を決めるべきであった。細野氏も代表ぶった発言をすべきではないし、野田氏もこれに腹を立てず、股をくぐるべきである。小池新党にある程度期待していた世論も民進党の自爆による、合流で風向きは自民党有利に変ってきたように僕にはみえる。