「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

立憲民主党の”まっ当な政治”と民進党の亡霊

2017-10-11 05:22:07 | 2012・1・1
昨日の公示で22日の投票に向けて選挙戦の火ぶたが切られた。それぞれの地で各党の代表が第一声を発したが、立憲民主党の枝野幸男代表は東北の仙台駅前を選んだ。何故、仙台を選んだのか。枝野氏というと、僕は2011年3月の東日本大震災直後の菅直人内閣の官房長官時の"大本営的な”テレビ発表を想い出す。

枝野代表は雄弁である。その枝野氏が選挙戦でしきりに”まっ当な政治”を連発している。広辞苑によると、”まっ当な”は”まともな”という意味だが、僕にはどうも立憲民主党は”まっ当な”政党だとは思えない。僅か40日前である。枝野氏は民進党の代表選挙で前原誠司氏との間で代表を争った間ではなかったのか。その前原氏が、結果的には党を売る形で、その結果出来たのが、立憲民主党だ。

その枝野代表よりお粗末なのは前原民進党代表だ。今朝新聞で選挙の立候補者名を確認したら、前原氏の肩書は”民進党代表”で無所属である。民進党は事実上、希望の党に吸収されていたと思っていたのだが。もう一つおかしく感じたのは、希望の党との間で”排除候補者”の選別をしていた玄葉光一郎元外相も無所属で立候補している。さらに、もっとおかしいのは、同じく無所属で立候補した岡田克也元代表が”無所属同士で相互支援、ネットワークを組もうと呼びかけている。

いい加減にしてくれ。前原氏は立候補を取りやめ、正式に民進党を解散すべきだ。民進党は”まっ当な”政党ではなかった。申し訳ないが、所属議員も”まっ当な”人物ではない。有権者は民進党の亡霊に惑わされてはいけない。

「体育の日」 80老人には「転倒防止の日」

2017-10-10 04:49:07 | 2012・1・1
昨日「体育の日」東京の空は雲一つない抜けるような秋晴れであった。1964年(昭和39年)10月10日、前回の東京五輪開幕日を想わせる空であった。「体育の日」は、もともと東京五輪を記念して制定されたものだったが、ハッピー.マンデイ制が導入されて以来、10月の第2月曜日となり、前回五輪を知っている世代には意味のない休日となった。

「体育の日」といっても80歳半ば過ぎの老人にとって最近は、特に身体を動かすでもなく、家に閉じこもりがちになってきた。昨日も家から一歩も外に出ず、朝夕2回、若い時買った1.5キロのバーベルを50回ほど両手に提げ上下しただけだった。これも筋トレではなく、腰の痛みの解消が目的だ。

テレビ番組で「体育の日」にちなんで、老人がテニスをしたり、中には若者顔負けのボルダーリング(壁登り)を紹介していたが、老人といっても60歳代後半か70歳代である。僕もその時代には、毎朝ラジオ体操をしたり、万歩計を腰につけ一日一万歩を目標に歩いていた。さらに、街のジムに通い水中歩行をしたりした。しかし、80歳を過ぎてから膝に痛みを感じ、半月板摩耗の診断で人工関節置換手術を受けてしまった。こういった運動と半月板摩耗との因果関係は判らないが、昔から年寄りの冷や水という諺がある。

80歳過ぎると、一番気を付けなくてはならないのは転倒防止だ。若い時と違って、家の中のちょっとした段差でも転ぶことがある。先日も”元気印”の見本だった老妻が風呂場で転倒、足を痛めてしまった。転ばぬ先の杖といううが、転倒が原因で、寝たきりになるケースが多い。80老人には「体育の日」は転倒防止の日である。

牧水も父もこよなく愛した沼津

2017-10-09 05:24:20 | 2012・1・1

沼津牧水会(林茂樹理事長)から昨日、新刊の「牧水揮毫旅行記」(写真)の寄贈を受けた。旅と酒の歌人,若山牧水が生前全国を旅した記録である。その中で何故、牧水が沼津の地を愛し、永住するに至ったかを書いた「半折短冊会趣意書」が所載されていた。「一、二年間、休憩の目的で当地に移住以来いつのまにか満二年の日が過ぎました。予定に従えば、今、東京の方に引き上ぐべき時期にに当たりますが。、暫らくこの田舎の静けさに親しんでみますと、どうも再び彼の喧噪裡に入って行く心になりません、いっそ此処に永住して、見馴れた富士を一生仰ぎ暮らすことにしたいと思いたちました」(大正11年7月10日)

僕の父が、牧水が沼津に移住してきたこの時期に半年間(大正10年8月―11年2月)だが、新聞社の記者として沼津に滞在、交流があった。11年前、僕は父の遺品を整理していて、父が沼津を去るに当たって、牧水が父に贈ってくれた自筆の即興の歌「わが友を見送るけふの別れ酒いざいざ酌むめな別れゆかぬとに」が書かれた扇子(写真)を沼津牧水会に寄贈した。

父の遺筆の中には、残念ながら牧水との交流について触れていないが、何回か盃を交わしている。生前、父は僕に牧水は駅弁で酒を飲むのが好きだったと語っている。当時はカネに恵まれていない歌人と新聞記者、記者クラブの一室で一升ビンと駅弁を買ってきて酌を交わしたのであろうか。牧水と父はほぼ同年齢、大学も同窓であった。

その父も沼津がこよなく好きだった。想いでの記には「沼津は明るい街だった。人口が少ない割に寂しいような感じがしなかった。人情が厚く、滞在半年間他郷にいるような気がしなかった。魚は美味しく、酒もよく、それよりも一番嬉しかったのは友人たちに恵まれたことだ」と書いている。

(「牧水揮毫旅行記」は頒価 一千円 連絡先 〒410-0849 沼津市千本郷村1907 若山牧水記念館)

カズオ.イシグロ氏と幼児の記憶

2017-10-08 05:56:54 | 2012・1・1

今年のノーベル文学賞作家カズオ.イシグロ氏(62)の生きざまに興味を持った。イシグロ氏は英国在住の日系の作家である。1954年(昭和29年)生まれで、59年、5歳の時、海洋学者の父親のイギリス転勤で渡英し、以来、英国で教育を受け、87年英国に帰化された方だ。イシグロ氏はノーベル賞受賞に当たり”自分はイギリス育ちだが、物の見方、芸術的感性は日本の影響をけている”と語っているが、僕が興味を持ったのは、氏の5歳までの日本での幼児体験である。

ノーべル賞作家と比べるのは僭越もいいところだが、僕は普段から人生の記憶がいつごろから始まるのか関心を持っていた。僕は昭和6年2月生まれだが、5歳の時の2.26事件の大雪の日、幼稚園横の坂道を滑った記憶は残ってる。父が残してくれた絵(写真)の中には僕が10年7月、4歳5か月の時に描いた幼稚園のプールがある。このプールで泳いだのも僕は覚えている。

2006年6月号の「文学界」にイシグロ氏のインタービュ記事が載っており、氏が幼児期育った長崎の事も書いてある。イシグロ氏が育ったのは昭和30年代の初めである。当時の長崎が幼児だった氏の目にどう映り、残像として残っているのだろうか。僕の幼稚園の自由画帳をみると、ほとんどどの絵にも”お日様”と軍艦が描かれ時代を反映している。イシグロ氏の作品にも昭和30年代の残映があり残されているのだろうか。

小池百合子氏の二足のわらじ 二兎を追う者は

2017-10-07 06:10:18 | 2012・1・1
公明党の山口那津男代表が昨日記者会見で小池百合子氏について”二足のわらじをはくのは並大抵ではない”と、批判とも同情ともつかない言葉で言っていた。確かに、昨日一日の小池氏は、国政政党希望の党の代表として選挙公約を発表、同時に都知事として定例の記者会見にも臨んでいる。週末に早々と公用車で別荘に行き温泉につかっていた前任者とは違う。

ネットの「日本語俗語辞典」によると、二足のわらじとは”江戸時代、博打打ちが、十手を預かる捕使をしていた故事から同一の人間が異なる仕事をする意で、どちらかといえば、あまり好い意味には使われていない。「慣用句ことわざ辞典」(三省堂)には、その例の一つとして、警察官が麻薬の密売をすることをあげている。

都知事に就任して以来の小池氏の言動を見ていると、絶えず何かしていないではいられない。精神的に高揚状態にある人のように僕には思われる。もしかすると、小池氏は、二足どころか三足も四足も履ける方かもしれない。しかし、ローマの古い諺には”二兎を追う者は一兎をも得ず”といのがある。”同時に異なった二つのことをしよう欲張っても、どちらもうまくいかない”(前記慣用句ことわざ事典)

国民が今、一番望んでいるのは何か。希望はむろんだが、それよりも当面の生活の安定であり、それには、それを支える長期政権である。小池氏には期待する面もあるが、数合わせの民進党との合流は頂けない。二兎は追わないほうがよい。

「都民ファースト」都議二人の離党のニュース価値

2017-10-06 06:43:42 | 2012・1・1
徒然(つれつれ)なるままに日暮しテレビの前で小池百合子知事の国政参加をめぐる”ああでもない、こうでもない”という推測のワイドショーを見ていたら、その付録なのか「都民ファースト」都議二人の離党記者会見を、なんと全国ネットの民放3局がナマ中継で放送していた。

地方議員二人の離党がそれだけのニュース価値があるのだろうか。二人は冒頭、カメラの前で深々と頭をさげたが当然である。離党の理由として二人があげているのは、党内間にブラックボックスがあること、政治資金集めのパーティ開催問題、小池知事の国政政党、希望の党代表就任への抵抗感などのようだが、僕には今一つ理解できない。何故、この時期に離党を発表するのか、大向こうを狙った個人の宣伝としか思えない。

小池希望の党代表は昨日、前原誠司「民進党」代表と会談、そのあと小池代表に国政への参加を説得したが、小池代表は改めてその”ラブコール”を断ったと明言した。それでも、テレビのワイドショー出演者の中には、いまだに土壇場に来て小池代表は出馬するのではないかと推測している。政治家であっても都知事の公職にある人だ、僕はそれはないと思っているのだが。

推測は選挙後、誰を首班指名にするのか不明だからである。小池代表はこれから党の創立メンバーと協議すると言葉を濁しているが、こんな重要な問題が決まっていないのはおかしい。前原代表は選挙に無所属で立候補するようだが、当選後すぐ希望の党に参加した場合、首班候補の資格があるのかどうか。僕は寡聞にして知らないが、今回の”連合劇”のシナオリを見ると、小池.前原両代表の間にウルトラCの密約があると思いたくなる。

昭和の遺産 自由が丘のバス停待合室

2017-10-05 05:53:19 | 2012・1・1

昨日、近所に住む70年来の”竹馬の友”二人と自由が丘で5か月ぶりに会食した。これまで季節のよい春秋二回、まだ自然が残る近くの駒沢公園、砧公園などへ弁当持参で散策の集まりをしていたのだが、昨日はお互いに足が弱り、初めて街中のカフェで昼食を共にした。

自由が丘へは東横線で一駅、乗れば数分の距離だが、昨日は友人の勧めで初めてバスを乗りついで行ってみた。バス停は電車の駅より近いし、乗換えのバス停も同じ場所、それに事実上無料(年1千円)のパス券を持っている。時間が余るほどある、老人にとっては、いいことづくめだ。

自由が丘は、ここ数年、東京では住みたい場所、行きたい場所の上位にランクされているが、戦前、駅前に藁葺の農家があった時代から、この町を知っている僕らにとっては驚きである。しかし、よく探すと、まだ昭和初の遺産を目にする。例えばバス停だが、地方の町でよく目にする待合室がまだ残っていた(写真)。地元の「広小路会」がおそらく無料で場所を提供しているものだろう。お世辞にも立派なものではないが、土一升金一升の地である。バス停で座る場所がなくいつも難儀をしている老人にとってはまさに極楽だ。

2020年の東京五輪に向かって都市整備が進んでいるが、おそらく東京のバス停は、世界でも下から数えたほうがよいのではないだろうか。世界では交通安全のためバス停前に”Bus Bey"という空間が設けられているが、東京ではほとんどない。自由が丘の屋根付き待合室のあるバス停など23区内ではほとんどないに違いない。希望の党が政策の一つにあげれば、僕は喜んで一票投じるのだが、

話題つくり 演出上手な希望の党の候補公認

2017-10-04 06:45:13 | 2012・1・1
わが家の近くの私鉄駅前で元野田佳彦総理の補佐官だった手塚仁雄元衆院議員が「民進党」の幟をたてて、街頭演説していた。手塚氏は野田親分に”殉死”する形で、希望の党への合流を望まず、無所属で立候補すると支持を訴えていた。手塚氏は衆議院議員三期。それ以前の都議時代から地元では街頭演説が親しまれてきた。

今朝、新聞で希望の党の第一次公認候補名を見たが、手塚氏がたつ東京5区から、希望の党は、あまり名前を聞いたことがない福田峰之氏を公認していた。ネットで調べたら、先日、自民党を脱党して希望の党に参加したあの人だ。今までの選挙区から”鞍替え”しての公認である。手塚氏(野田元総理)への気配りなのだろうか。自民党は元防衛副大臣の若宮けんじ氏が公認候補である。

週刊誌的見方で恐縮だが、東京の25区ある小選挙区で、希望の党は、自民党の相手候補を意識して公認している。”大年増の厚化粧”発言で話題になった石原慎太郎元都知事の子息二人の選挙区には長男伸晃氏の8区には、政界のサラブレッドといわれる木内孝胤氏、次男の宏高氏の3区には、元拉致担当大臣で名前の通った松原仁氏、安倍総理の補佐官だった萩生田光一幹事長代理の12区には民進党の論客の長島昭久氏を当てている。

こういった話題には事欠かないが、肝心の政策論争はどうなっているのか。2009年の民主党が勝利した選挙では、結果的には裏切られたが、マニフェストが有権者の関心を集めた。今回はテレビのショーとしては面白いが、数だけ公認候補は集めたが、かりに政権をとった場合の政策がどうなのか。しがらみのない政治は期待するが、それだけでは。

リベラルって何? 立憲民主党

2017-10-03 05:26:56 | 2012・1・1
希望の党の小池百合子代表から排除しかかった民進党の枝野幸男党代表代理(元官房長官)が”リベラル”派を集めて立憲民主党を立ち上げた。早速、菅直人元総理は”リベラル勢力結集の最後のチャンスだ”として新党への参加を表明した。

”リベラル”と聞くと、戦後派(アプレ)世代の走りである僕らには、戦後すぐの時代、雨後の竹の子のように出版された”カストリ雑誌の一つの名前を想い出す。カストリとは酒のない時代密売されていた焼酎で、三合飲むと失明するといわれ、雑誌も三号出すと倒産するといわれた粗悪の雑誌だが、戦前禁止されていたセックスが伏字なしで”自由に”読めるので売れに売れた。

本来、リベラルとは英語の”liberal"から来ており、ネットの定義を総合すると”古い仕組みから自由に脱した新しい革新的な考え方”のようだ。その意味ではカストリ雑誌「りべらる」は文字通りリベラルであった。しかし、今、日本で一般に使われているリベラルは、保守派に対して進歩派。どちらかといえば、左翼の代名詞として使用されている。今回の民進党と希望の党との合流劇でリベラルはという言葉を最初に使ったのは小池百合子代表だが、小池代表が何を基準にしてリべラル派を排除するといったのか今一つ解らないが、代表の頭の中にはリベラル即左翼という考えがあったかもしれない。

立憲民主党の考え方や政策は、参加者からだいたい想像つくが、本来の意味のリベラルかどうか。戦後70年、時代に明らかに即さなくなった憲法改正問題一つとっても党名に”立憲”にこだわるようでは、リベラルであるかどかだ。もっとも、枝野さんは、自分自身をリベラルとは呼んでないようだが。