「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

NHK 「きょうは建国記念の日」です  忘れないで

2020-02-11 05:57:22 | 2012・1・1
早朝5時からのNHKラジオ第1の「まいあさ」のコーナーの一つである「きょうは何の日」を聞いたら予告には「建国記念の日」とありながら、全く放送はなかった。文化勲章制定の日、アパレルヘイトの南アのマンデラ氏釈放の日、エジプトのムバラク大統領辞任など5項目を伝えていたが”国を愛し国を愛する心を養う”趣旨で制定された「建国記念の日」である。。公共放送が「きょうは何の日」で全く触れないのに違和感を感じるのは僕だけではないだろう。

僕ら昭和1ケタ世代、”雲にそびえる高千穂の”の式歌を学校で歌ったものにとっては2月11日は「紀元節」であり、二二ノミコトが高天原に君臨し,曽孫の神武天皇が初代天皇として即位した記念日である。僕らは「建国記念の日」の日がこの神話に基づくの知っているが、戦後生まれの世代はどうだろうか。”金鵄(し)輝く日本の栄えある光“と僕らは昭和15年(1949年)皇紀二千六百年の奉祝歌を歌ったが、今年は2680年の節目の年だが金鵄”の意味と共に忘れ去られてきた。

東京では今日、明治神宮、原宿通りで「建国記念の日」記念式典が催され、大学の吹奏楽団のパレード、奉祝神輿などが出るなど、年々賑やかになっているが、依然、国主催のお祝い行事がないのは残念だ、確か自民党は公約の一つではなかったか。NHKはまさか”公共放送“,公平を期して「建国記念の日」反対の催しを放映はしないと思うが,クギをさしておく。



東京で買った聖護院大根

2020-02-10 07:12:53 | 2012・1・1
首都圏都心ではなかなかお目にかかれない京野菜の聖護院大根(写真)を家人が中延商店街(品川区)で見つけて買ってきた。それも一本100円という値段だ。東京の人間は食べ方がよくわからない。老妻がとりあえず鍋料理の具の一つに入れて食べたがおいいしい。

東京では「聖護院」と聞くとお菓子の八つ橋を想い出す。戦前から関西への修学旅行のお土産の定番として知られている。戦後"ナマ八つ橋”も登場したが、やはり僕にはあのニッキの味が郷愁があって好きだ。ところが、考えてみたら京都には数えきれないほど、出かけたのに聖護院へは行っていない。

1980年代から90年代にかけてJICA(国際協力事業団)の途上国技術研修の一環として京都へは外国人を案内して年に数回は訪れたが、時間の関係で、英語で京都の主だった観光地をバスで巡るだけに過ぎない、聖護院大根から改めて、ネットで調べたら平安神宮え歩いてすぐのところにある。

京都の冬の寒さは厳しいと聞く。しかし、観光には冬が一番だという。京都には金閣寺、銀閣寺、二条城などユネスコの文化遺産が17もあるが、数えてみたら僕は11しか訪れていない。”思い切ったら”だが、この新型コロナウィルス騒ぎでは年寄りには無理だ

クルーズ船の薬不足は政府の責任 緊急対策を

2020-02-09 06:57:56 | 2012・1・1
ついに武漢在住の日本人一人が新型コロナウィルス感染による肺炎で亡くなられた。政府は四次にわたって武漢へチャーター機を派遣したが、すでに入院中だったという。何とかならなっかのか。痛ましい。それより今、早急に実施すべきはクルーズ船対策だ。横浜港に停泊中の「プリンス.ダイヤモンド」号では新たに乗客3人が感染、計47人が陽性と判明した。

「プリンス.ダイヤモンド」号には3000人をこす乗客乗員を乗せており、うち1000人近くが体調不良を訴えている。乗客の8割以上が60歳以上で90歳代も11人いるというが、船内の部屋に軟禁状態である。これから後、症状が出なくとも数日間、、缶詰め状態に置かれるが人道問題である。船窓からは”くすりふそく しんこく”という張り紙までみられる。

高齢者は一つか二つ持病を抱えており、特に高血圧で降圧剤を服用している者にとっては生命に関わる深刻な問題である。「プリンセス.ダイヤモンド」号には船医二人のほか防衛庁から医官5人が乗船しているそうだが、多分ウィルス感染対策で手一杯なのだろう。乗客の持病には手が回らないのかも。

「プリンセス.ダイヤモンド」号は9日、生活用水確保の、小航海の後、横浜港に帰港したが、政府は早急に薬剤師チームを乗船させ、深刻な薬不足に対応すべきである。同時に多数が外国人だという乗客に対しても母国語で対応できるコンサルタントの派遣を要請したらどうか。国際的日本の信用度の問題である。





 

中国山東省棗荘から北セレべス.タラウド諸島まで2年半の軍靴の跡

2020-02-08 06:18:11 | 2012・1・1
わが家の”ファミリー.ヒストリー”の調査をお願いしている遠縁から、伯父さんに当たる方(大正12年生まれ)の軍歴証明書のコピーが参考までにと送られてきた。昭和18年(1943年)12月1日、近衛歩兵三聯隊に補充兵として現役入隊し、21年5月、スラウェシ島のマナドから田辺港に復員帰国するまでの記録だ。

新型コロナウィルスの流行に触発されて武漢三鎮作戦を調べていた最中なので、この軍歴に18年12月14日、中支山東省棗荘の警備につくとあるのに驚いた。僅か2週間で朝鮮半島に渡り、鮮満(満州)国境、満支(支那)国境を列車で通過、警備についているのだ。さらに驚いたのは、それから2か月後の19年2月には転戦しながら上海に移動、4月にはマニラ経由、5月ハルマヘラ島のワシレ上陸作戦に参加している。

ワシレ上陸作戦は俳優の池部良さんが書いた「ハルマヘラ.メモリー」(中央公論社)に詳しいが、、この方の部隊はさらに8月にはインドネシア最北端のタラウド諸島のカラケラン島の守備に就いている。多少大戦中のインドネシアの戦史を知っている僕でもこんな小島に近衛兵が駐屯していたと思わなかった。

戦後75年、あの戦争も体験しない世代が多くなってきた。今考えると、中国大陸までわざわざ大勢の兵を運び、逆送して南方の孤島に近い小島の警備につかせる、戦争とは随分と無駄な無意味なものだのを再確認した。

2009年流行インフルエンザの反省 水際作戦の強化

2020-02-07 06:39:51 | 2012・1・1
新型コロナ.ウィルスの感染予防のマスクが全国的に品不足で、花粉症の流行を前に問題になっている。加藤勝信厚労相は国会で公正価格での流通を望むと述べているが、ネット通販では一箱(50個入り)1万円以上で取引されている。11年前の2009年5月にも同じ現象があったのを思い出した。HINI.パンデミックと呼ばれているインフルエンザだが、カナダからの留学帰りの学生から発生、当初致死率が高いと伝えられたため大騒ぎとなり、人々はマスク求めに走った。

すっかり忘れてしまっていたが、この流感は何故か1か月後の6月、季節的な流感だと訂正され、マスク不足も収まっているが、20010年、厚労省はこの流感で203人が死亡したと発表している。このインフルエンザが国際的なウィルスによるものか季節的な一般のだったのか判らないが。麻生太郎内閣、舛添要一厚労相の時代である。

新型コロナ.ウイルスの中国本土での感染者は3万人をこえ、わが国での感染確認者数も45人に増えた。その中で武漢から第四次チャーター便で200人が帰国した。感染者数が増えなければよいのだが。習近平はウイルス撲滅は戦争だと、繰り返し言っているがまさにそうだ。

マスクの公正価格の提供は当然だが、安倍内閣にとって差し迫った問題は水際作戦の強化だ。安倍総理は来航する外国からのクルーズ船乗客に対して入国を拒否すると言明しているが、加藤厚労相は、新たなクルーズ船の来航禁止を法制化するかどうかについてだけ口をにごしている。人命にかかわる問題である。11年前のHINIパンデミックスを想い出し老爺心からふと国の政策は大丈夫かなと思ったりした。



1枚の写真 58年前 ドバイの渡し船

2020-02-05 16:38:44 | 2012・1・1

UAE(アラブ首長国連邦)のドバイに30年以上にわたって住む日本人女性の槇島公さんから電話を頂戴した。槇島さんは先年、僕らが1962年、新聞社の移動特派員としてUAEを取材したさい同行のKカメラんがが撮影した写真を「Dubai 1962」として現地で出版された方だ。2009年、Kカメラマンの撮影した写真の展示会が開かれ、僕らも招かれたが大変な盛況だった。今、その写真はドバイの博物館に寄贈されている。

槇島さんの話は僕が58年前の取材で、現地で知り合った日本の個人貿易商が手漕ぎの渡し船で行く姿のスナップ写真(上)を博物館に寄贈してもよいかということであった。(下)の写真は2009年、再訪した際写したものだが、今は手こぎボートなどなくモーター付きの舟がひっきりなしに桟橋を往き来していた。

ドバイの海は奥まった湾である。北九州市の洞海湾に似ている。58年前、僕らは一夜ダウ船(伝統的なアラブの舟)を雇って湾の奥部の首長の王女別邸の夜景を撮影したが、トビウオがが撮影の邪魔になったのを今でも覚えている。ドバイといえば今や超高層の五つ星のホテルが林立する近代的な観光都市だが、半世紀前には二階建て12室しかないホテルが一つしかなかった。僕の撮った1枚の写真がドバイの歴史を語る一助になれば光栄の限りだ。


改めて武漢三鎮作戦 WHO事務局長はまずは前線視察を

2020-02-05 06:39:46 | 2012・1・1
新型コロナウィルス感染の拡大について緊急事態宣言を出しているWHO(世界保健機関)のテドロス事務局長が中国への渡航や貿易についての制限は不必要だ。そんな提言をしたことはないと述べたという。中国では昨日、一日当たりの感染者が3000人をこえ、わが国でも新たに横浜沖のクルーズ船の乗船者10人が陽性と判明した。こんな事態なのに、WHOのトップの認識は大丈夫なのか。

小ブログは先月26日、流行初期の段階で「武漢」という久しぶりに聞く地名から日支事変初期の昭和13年10月の武漢三鎮作戦を想い出し一文した。僕は小学校2年だったが、学校の勝利の提灯行列に参加した。子供だったので、”サンチン”という音の響きの面白さがあって覚えているのかも知れない。しかし、今回改めて調べてみたら、この作戦で日本側だけで戦死者79500人、病死者900人も出し,支那軍は195000人もの遺棄死体を出している(ウィキペデイア)。

武漢三鎮の戦いは、ほとんどの日本人の記憶から失われているが中国ではそうでないかもしれない。習近平はコロナウィルス撲滅を戦争に譬えて、国家を挙げて戦っているとのたまわっている。WHOのテドロス事務局長の発言は理解できないでもないが、習近平は戦争だといっているのだ。事務局長はまずは前線の武漢を視察したほうがよい。

夜食に納豆 僕の闘がん食日記

2020-02-04 06:08:53 | 2012・1・1
先日、テレビ朝日系のニュース番組を見たら国立がん研究センターが約9万人を対象に15年かけて追跡調査をしたら、一日一食納豆を食べていた人のがんによる死亡率が食べていない人より10%低いという結果を発表していた。

僕は2000年に初めて膀胱がんを発病、摘出手術をして以来、20年間に6回がんで入院手術しており、今も20106年1月の大腸がんの事後チェックで年に2回、CT検査をしてる。幸い、いずれも早期に発見(ステージ2)され大事に至らなかったが、回数だけは”歴戦の勇士”である。

この勇士が一番感謝しているのは家人による日常の食生活だ。若い現役時代はあびるほど酒をのみ、チェインスモーカー、不節制の限りをしていたが、最近、この20年は違う。これだけ高い授業料を払ったのだから当然だが、家人が”試して合点”的な食事を用意してくれている。

参考までに紹介すると、夜食に納豆ひと箱、料理せずにそのまままず食べる。朝食は信州流の実だくさんの味噌汁に玉子料理、ヨーグルト大匙3杯にバナナ三分の一切れほど。食後のお茶も茶殻も一緒に食べる。今年になってミカンの皮が便秘に好いと聞いたので試し始めたが調子がよい。しかし、ゲテモノ食事は主治医に相談しながらの方が安全である。

節分 豆まき 柊 追儺

2020-02-03 04:55:29 | 2012・1・1
暦の上では、今日3日は節分、明日は立春だが、東京都心は2月の声を聞いた途端冬に逆戻りした感じで寒い。それでも気分的には”冬来たりなら春近し”である。わが家も夕方にかけて節分の豆まき行事を行った。門前に飾る柊(ひいらぎ)と鰯(いわし)目刺を用意した。

ものの本ならぬネット情報によると、節分は中国の昔の宮廷行事だったが、平安時代に日本に伝わり宮中行事となり、次第に庶民の間にも広がっていった。鎌倉時代の「徒然草」(第17段)によると、節分は旧暦の大晦日から四方拝にかけて行われていたらしいが、江戸時代には今のように旧暦春節の前夜に行われるようになった。。

戦前昭和の遠い東京の想い出によると、節分の夕方になると、各家ごとに”鬼は外、福は内”の豆まきの声がこだました。門前には柊の枝に鰯の頭をさしたものが飾られていた。僕ら子供は部屋の中にまかれた”福の内”の豆を年の数だけ食べたりした。わが家では卆寿を迎えた僕が、今でも近所に迷惑にならぬよう、声を潜めて”鬼は外”と豆をまき、形だけ部屋の中にまかれた”福は内”の豆を拾って食べる。

中国では春節の前日、日本のような節分の行事が今もあるかどうか寡聞にして知らない。節分とは四季の変わり目、気候の変動、健康に悪いので、昔の人は追儺の形で考え出したものかもしれない。現代版の追儺行事を考えてはどうだろうか。といって”鬼は外”でウィルスを巻きちらされては困るが。(写真はわが家のベランダの鉢植えの柊)